10-3 君と出会えて希望という暖かさを知った【メティス視点】


 ――夢を見た。

 視界は真っ暗で何も見えない。だというのに内に抱えた感情が今にも噴き出して爆発してしまいそうな焦りを感じていた。

 憎しみ、恨み、悲しみ、悲しみ、怒り、悲しみ、怒り、悲しみ。



『ア゛ァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』



 膝から崩れ落ち、空に叫び声のような声ならぬ声の咆哮が轟いた。

 その時に全てを理解した。

 今まで培ってきたものは何にもならなかったと。間違えてしまったのだと。

 だから、全て、壊してしまおうと。


 夢の最後に、光がわらった。



『光の鉄槌で葬ってやろう』



 目映い光に呑まれて……僕は消えてしまった。





◆◆◆





「っ!」


 どっと心臓が激しく鳴った衝撃で目が覚めた。

 嫌な汗を掻いている……どうやらウィジュにつられて本当に眠ってしまったようだった。

 周囲を確認すると日は傾いていて、空は茜色に染まっていた。


 何か夢を見ていた気がするけど……思い出せない。


「ふぇ……?」


 隣で眠っていたウィズも目が覚めたようで、寝ぼけ眼を擦って不思議そうに瞬いていた。


「あれ?」


 彼女が不思議そうにした理由は自分が泣いていたからだ。

 大きな瞳からぽろぽろと涙を流して泣いている。おかしな時間に昼寝をしてしまったせいで、怖い夢でも見てしまったんだろうか?


「なんで泣いているの?」


 そう僕が問うと、ウィジュは僕と視線を交え、きょとんと目を丸くした。


「泣いているのは、めちすでしょ?」

「僕……?」


 そんな筈はないと思いつつも自分の頬に指を滑らせると濡れている事に気がついた。自分の両目から雫が溢れでている。


 これはなに…? なんで僕は泣いているの?


 暗殺未遂事件の時だって、あんなに痛くて苦しかったのに泣かなかったのに。なんで今泣いているの?

 状況が分からず混乱していると、隣のウィジュが何やらもぞもぞと動いて、不思議そうな声をあげた。


「おててぎゅー?」

「え……」


 手が、ウィジュと繋がれていた。それも、僕がウィジュの手を握る形で強く握りしめられていた。

 眠っている時に勝手に握ってしまったのか、自分の行動に驚いて慌ててウィジュから手を離した。


「多分寝ぼけて……何してたんだろう、本当に寝るつもりも無かったのに」

「おひるねきもちよかったね!」


 ウィジュが起き上がって思い切り背伸びしている姿を見上げて、呆れたと溜息をつく。

 気持ちがいい訳がない、こっちは毒にやられて具合が悪かったというのに。


 ……あれ?


 気がついた違和感に、自分の両手を握ったり開いたりして確認する。

 もうどこも、苦しくない?

 指先の痺れが嘘のようにとれている、目眩も吐き気も綺麗になくなっている。昼寝をして体調が回復した? まさかそんな馬鹿みたいな話がある訳が……。


 僕の混乱など知るよしも無いウィジュは、僕に顔を近づけて嬉しそうに煌めく笑顔を見せた。


「これでおともだち!」

「嫌だよ、一応これでもこの国の王子なんだけどね? 不敬って言葉わかる?」

「今日はもーかえるね! またあそぼうねめちす!」

「人の話を本当に聞かないね君は」


 しっしっと手であしらいながらも、何故か悪い気はしていない。けど、自分の喋りたいことだけを喋って、都合良く解釈しているよね。いくら子どもと言えど自由が過ぎるんじゃないのかな。

 でも……少しだけ、本当に少しだけだけど、楽しかった……から、いいけど。


 いつの間にか戻ってきていた空に浮かんでいるポセイドンを見上げると、視線が王城へと伸びていた。

 どうやら……このウィジュをみんなが探し回っているみたいだね。やっぱり勝手にここに一人で来たんだこの子は。

 きっともう会う事は無いだろうけど、この薔薇の迷路の外までは案内してあげなくちゃいけないかなと、立ち上がろうとした時。


 ウィジュから耳を疑う言葉が飛び出した。


「めちす! まっちろなりょーちゃん! ばいばい!」

「は……」



 今……なんて言った?



「またあそびにく、ゆぅっ?!」


 足早に立ち去ろうとしたウィジュの腕を掴んで引き留めた。

 驚きと、期待で、心臓がばくばくと音をたてて鳴っている。

 真っ白な龍って……言っていた。あの日と同じように、ポセイドンの事を真っ白な龍と呼んでいる?


「真っ白な……なんだって?」

「ふえ? りゅーちゃん?」

「前にもきょうりゅうって言っていたね? じゃあ……まさか、まだ見えるの? 三歳になったのに?」

「お空にいるよ?」


 三歳になった君はもう大精霊の姿は見えない筈だ、僕と同じように魔力が高い稀少な化け物でもない限り……。

 はやる気持ちを抑えて、けれどウィジュを掴んだ腕は決して離す事はせずに本当に見えているのか確認を続ける。


「目は……? 彼の目の色は何色に見える?」

「おめめ?」


 ウィジュはポセイドンの方を見上げると、両手を開いて笑った。


「きらきら~! きんいろ!」

「……ポセイドン」


 僕の命令に従い、ポセイドンは首を擡げて空高く吠えた。そして、ポセイドンの周囲に水が溢れ出し、それは身体に巻き付いて、とある物を水で表現する。

 水の翼がポセイドンの背に生えている。

 これは瞳の色なんて想像では絶対に言い当てられないものだ、本当に見えていないとこの姿は分からない。

 ドッドッとずっと心臓が鳴りっぱなしだ。震える声をなんとか正常に保たせながら、再度ウィジュに聞いた。


「あれは見える?」

「んー? ぱたぱた! おみずのおっきなぱたぱた~!」


 ウィジュは両腕を伸ばして身体全体で翼が生えていると表現した。


 見えている……本当にポセイドンが見えてる。あの、エランド兄上にも見えなかったのに。王妃である母上にだって見えていない。父上は見えているけど、国王である父上は僕だけを守るなんて出来やしないから、いつも独りだと思っていたんだ。

 力があるせいでどれだけ苦しめられて、辛い環境で独り戦ってきた事だろう。

 こんな力は利用されるか、疎まれるかで、大切な人を不幸にするだけで……絶対誰も僕の事なんて理解出来ないと思っていた。


「めちすー?」

「兄上にも……見えなかったのに」

「めちす、いたいいたい?」


 ウィジュが僕の頭を撫でてくれる。

 小さな手、けれど今の僕にとってはそれは救いのようにも思えた。

 ウィジュの手を握りしめて、自分の頬に添えて安堵に震えた。


「よかった……よかった」

「うん? めちす、うれしーの?」


 恐る恐る顔を上げて、何にも染まっていない君が首を傾げている姿に、僕は素直に頷いて、笑った。


「うん……嬉しい」

「よかったね! やったー!」

「っははは……」


 ぎゅっと手を握ったまま、内心でごめんねと呟いた。

 勝手に仲間意識をもって、同じだと安堵してしまって、ごめんね。


 あの日、見えないと言ったエランド兄上と君の姿を重ねて、見えると言った君の存在が嬉しくて堪らない。

 ただそれだけの事だけど、偶然君が見える人だっただけなんだけど。

 それでも、僕は嬉しくて嬉しくて堪らないんだ。独りじゃなかったという事が、強がっていた僕をこんなにも勇気づけてくれた。


「僕と友達だって言うんなら、これからはもっと一緒に遊んでくれる?」


 ウィジュは一瞬キョトンとした顔になったけど、すぐに弾けるような笑顔を向けてくれた。


「うん! うれちー!」

「うん僕も……嬉しいよ」

「わあい! めちすとお友達―!」


 僕に飛びついてきたウィジュをなんとか抱き留めて、ぎゅうっと抱きしめた。

 心に蔓延っていた暗闇の中に、一筋の光が差し込んだ──そんな気持ちだった。







◇◇◇







「居た!!」


 薔薇の迷路を出て、城内へウィジュを連れて戻ると、真っ青な顔をした魔力鑑定士と相当心配して怒っているエランド兄上が駆けよってきた。これは、ウィジュが居なくなってから相当探し回っていたんだろうな。


「どこに行ってたんだ! 心配したんだぞ?!」

「えっと、えっと」



 あの後でウィジュに話を聞いた所、ポセイドンが空を飛んでいる姿が見えて、我慢できずに魔力鑑定を放り出して追い掛けて来てしまったんだそうだ。けど、ポセイドンが見えるという事は秘密と約束しているからエランド兄上に言えないんだろう。

 ウィジュは本当の事も言い訳も言えず、焦りに焦ってスーーっとエランド兄上の前に跪……違う、これは土下座だ。


「ごめんなしゃい」

「土下座はやめてくれ」

「もう、たまぁにしか、しましぇん」

「たまにはするのか」

「せっぷんするかくごでしゅ」

「接吻してどうする」

「あ、せっぷく、です」

「どっちにしろ止めろ」


 エランド兄上とウィジュのまるで漫才のようなやり取りに、自然と笑いが込み上げてしまう。


「兄上許してあげて。僕が一緒に遊ぼうって誘っただけなんだ」

「メティス……」


 まさか僕が助け船を出すと思っていなかったんだろう、兄上は僕が出てきた事に顔を強ばらせてウィジュに対して何も言えなくなってしまった。

 僕に嫌われていると思っているからね、その反応は仕方ないんだろうけど。


「ウィジュ立って。馬車まで送るから」

「うん?」

「ん?」


 土下座をしているウィジュを立たせようと手を差し出そうとした所で、エランド兄上から素っ頓狂な声が漏れた。


「ウィジュ…?」

「え? ウィジュ、でしょうこの子の名前」

「……いや」


 エランド兄上はなんとか笑いを堪えつつ、にやけた口を手で隠しながら衝撃の事実を僕に告げた。


「そいつの名前はウィズ、だ」

「…………は?」

「ウィジュ……うぃじゅ、か。そうだよな、少し前までは自分の名前も上手く言えずにいたからな、メティスが勘違いするのも無理はないけど……ふっ」


 カタカタと肩を揺らしながらエランド兄上が笑いを堪えている。

 え? じゃあ何? この子の本当の名前はウィズで? 僕は今までウィジュだって勘違いしていたって事? ウィジュって? 赤ちゃん言葉みたいな名前を僕はずっと使っていたって事?


「なんで教えてくれなかったのかなぁ?」

「ひょおい!」


 ウィジュ。改め、ウィズは今度は僕に向かって土下座を決めた。

 そんなウィズに僕は笑顔で手を差し伸べ……そのむにむにのほっぺを掴んで思い切り伸ばした。


「ふひゃあいっ?!」

「まさか君みたいな小さな子に恥をかかされるなんて思わなかったなぁ」

「ごめんひゃひゃい~っ」

「おや、なかなかよく伸びるほっぺだね? どこまで伸びるのかもっと引っ張ってみようか?」

「おひゅるひくらひゃい~~っ!」


 短い両手をジタバタと動かして必死に暴れるウィズ。

 もう、この羞恥心のやり場をどこに逃がせばいいのか分からない、悔しいし恥ずかしいしで落ち着かない。


「ウィズ、メティスは怒っているんじゃなくて照れているだけだから心配しなくていいぞ」

「兄上!」


 余計な事を言わないで! と拗ねたように声をあげると、兄上は楽しそうに声をあげて笑っていた。

 久しぶりに……兄上とこんなやり取りをした気がする。

 なんだかとてもむず痒くなって、ウィズの頬から手を離して、一人でさっさと歩きだした。


「ふえ? めちす? かえるの?」

「そうだよ、さようなら!」

「うん! ばいば~い!」


 恥を掻かされた意趣返しで、馬車まで送らないと遠回しに言っているのに、ウィズには全く通じていないようだった。

 振り返れば、ウィズは兄上に頭を撫でられてから兄上に送って行かれるようで……それがなんだか、面白くないと思ってしまった。


「ウィズ!」

「はあい?」


 僕が呼べばウィズは不思議そうに振り返った。

 変な子。大精霊は見えるし、おかしな歌ばかり歌うし、周囲の皆を自然と笑わせてくれるし……。


「今度、遊びにいくね」


 また会いたいって思ったから。


「やったぁ!」


 ウィズは両手をあげて大喜びして、満面の笑みで僕に手を振った。


「またね~!」

「うん……またね」


 今度こそ帰って行くウィズの背を見送った。

 また、があるなら今日感じた楽しいとか、嬉しいという気持ちをまたウィズから貰う事が出来るという事だ。なら僕も、その気持ちを少しでも返せるようにしなくちゃいけないね。

 未来を考える事が楽しいと思った。いつも未来の事を考えると憂鬱で仕方が無かったというのに。


「父上と母上にも話にいこう」


 年相応の笑みを浮かべて、いつもよりもずっと軽やかな足取りで城内を歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る