10-2 君と出会えて希望という暖かさを知った【メティス視点】


 何も環境が変わる事は無く、一年の月日が流れた。


 あの出会いの後もウィジュは何度も王城に招かれているようだった。父上には僕とウィジュが出会った事は伝えてある、水の大精霊が一時的にではあるだろうけど見えていた事も。それを踏まえた上で僕とウィジュは会わせない方がいいとも告げていた。


 もしも大衆がいる前で「水の大精霊がいる!」なんて言われたもんならたまったものではない。子どもの戯れ言として流せる程、城内の悪意は甘くないんだ。


 ウィジュの事を王族の婚約者にしたい位父上が気に入っているようだったから、エランド兄上が良いんじゃ無いかと打診していた。

 ポジェライト家の当主は父上とも個人的にも仲が良く、家柄的にも問題ない。何よりエランド兄上を裏切る可能性は低い。権力の為に王家に令嬢を差し出して内部から王家を牛耳ろうとする貴族達と比べて、ポジェライト家はその点は有り得ないと確信出来る家柄だ。


 だから僕はウィジュに会おうとしなかったし、正直避けていた面もあった。

 まだ君は大精霊が見えている筈、ならまだ僕は独りじゃない。この世界に取り残されてなんかいない。

 そんなどうしようもない、馬鹿みたいな願いを抱えて、もしも再会した時に水の大精霊が見えなくなっていたら……そう考えると憂鬱な気持ちになっていた。


 仲間意識……みたいなものを勝手に持っていたんだと思う。だから、君に再会して見えなくなっていたら裏切られたような気持ちになりそうで、そうなるだろう弱い自分が嫌で会わないようにしていた。



 今日も、ウィジュが王城に来ているらしいと噂は聞いていた。遂に、ウィジュは三歳になり、魔力鑑定をする事になったそうだ。


「三歳になったんだ……」


 薔薇の庭園に寝そべりながら、あの日出会った小さな女の子の存在を思いだしていた。

 という事は……もう大精霊の姿を見る事も出来なくなっているんだろうね。

 その現実に虚しさを覚えた。遂にこの時がきたのかって、僕と同じく見えていた少女はもう居ない、僕はまた独りになってしまった。


「ハァ……」


 寝返りを打って、冷や汗を拭う事も出来ずにぼやけた視界で空を見上げた。

 ここは、薔薇の生け垣で作られた迷路になっているから、そう簡単には誰かに見つかる事はないだろう。だから、毒に侵されて死にかけている姿なんて誰にも悟られずに済む筈だ。


『メティス様……顔色が真っ青です』

「へいき……」


 今朝、朝食を終えた数分後から具合が急激に悪くなった。

 グラリと世界が歪んで、胃をひっくり返したような吐き気に襲われて、身体ががくがくと震えだした。僕の傍に誰も居ない時に僕が倒れたら、この場所に運ぶようにと前もってポセイドンには命じていたお陰で、ポセイドンはこの場所に僕を連れて来て、体内に入った毒の解毒をしてくれた。

 けど、水の魔力では毒や怪我を完全に治癒する事は出来ない、出来たとして緩和させる事ぐらいだ。

 毒は何度か盛られた事があるから耐性もあるし、ポセイドンのお陰で死にはしないけど、吐き気と身体の怠さ、発熱はどうする事も出来ない。

 料理に毒が混入していない事は城の者が確認済みだ。恐らく、料理の最後に口を拭いたナプキンに毒が付着していたんだろう、姑息な真似をしてくれる。


『やはり誰かに診てもらった方がっ、人を呼んできます』

「はは……誰かって? だれもきみのすがたなんて……みえないのに?」

『……それでも呼んできます』


 悔しそうな顔をして、ポセイドンは飛んでいってしまう。

 本人も、誰かに自分の姿が見えないと分かっていて、それでもじっとしていられなかったという事なんだろうか。


 独り残されて、見上げた空がとても遠い遠い存在に感じた。

 何処までも続く真っ青な空、手を伸ばしても決して届く事はない……もう、届かないのかな。


「かえりたい……」


 無意識にそんな言葉が口から零れ落ちた。どういう意味かなんて自分でも分からなかったけれど、もう二度と届かないという事実が、苦しくて、苦しくて、涙が零れてしまう位切なかったから……僕は泣いた。



「……~なおはなっ♪ おはなっ♪」



 いっその事、意識を手放した方が気分は楽になるだろうかと思い始めた頃……風に乗って聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「どど~んがどんどん♪ ぽんぽんじゃーんっ♪」


 この女の子の声は……ウィジュだ。

 そういえば、今日はここに来ていたんだと思いだし、手放そうとしていた意識を奮い立たせて、耳をそばだてた。


「おは~なレンジャーどはでにとうじょうっ♪」


 ……また変な歌を歌ってる。それに、歌声が近づいたり離れたりしているけど、迷ってるのかな? いや、それよりもどうしてこの薔薇の迷路に立ち入ったりしたんだろう? 君は魔力鑑定に来ている筈なのに。


 毒を盛られてまた人に殺されかけたという悲しみと憤怒が、ウィジュの馬鹿みたいな歌声を聞いていると小さくなっていく。

 君に会いたかった、という気持ちと。会いたく無かった、という気持ちが鬩ぎ合う。

 心がふわりと軽くなるのを感じているのに、出会ってしまったら、大精霊の見えない君はもう僕とは違う普通の世界に戻ってしまったと実感してしまうから。

 そんなの、寂しくて悲しくなる、なんでよりにもよって毒を盛られた今日なんだろう?

 ウィジュに会わないように逃げようと、なんとか起き上がろうとするが、ウィジュの歌声は聞こえてくる。


「ばらちゃんマン! たいせつなところはぜんぶばらでかくす!」


 なんだって???


 逃げようとしていた身体がピタリと止まる。ばらちゃんマンって何?

 大切な所は薔薇で隠すって……それは変態では?


 聞いた事もない歌、いや聞いた事があってたまるかというレベルの歌だから、きっとウィジュが作った歌なんだろうけど、センスが独特すぎて酷い。

 僕の動揺を知るよしも無く、ウィジュはまだまだ歌を歌う。


「まんとをひらりとなびかせて! 土のなかからバラをくわえてかれいに登場!」


 いや違う歌じゃなくてこれはもう台詞だ。舞台さながらの勢いと迫力でウィジュが叫んでいる。

 いやいや、土の中から薔薇を咥えて華麗に登場って何? 土の中から? 薔薇を咥えた全裸(大切な所は隠している模様)が出てくるの? それは最早ホラーじゃないの? 兵士に突き出そうか?


「ひとりじゃないぞぉ! なかまもつぎつぎと土の中からかれいにとうじょう!」



 な か ま が い た 。



 脳内でマントをした全裸(大切な所は薔薇で隠している模様)の変態が土の中から次々と這い出して走り回っている光景が繰り広げられている。


 訳が分からない、もう訳が分からないよ、誰か強制的にこの訳の分からないけど勢いがある歌を聴かされている僕の気持ちになって欲しい。困惑が凄い。


 ふと、ウィジュの声がとても近づいている事に気がついた、迷って歩いているだろうに、まさかここまで来てしまうなんて。身を隠すなら今しか無い。

 ベンチの後ろに隠れようとした時、ウィジュのトドメの一撃が聞こえてきた。


「さいごはきょだいかして、せかいからバナナがなくなってしまうのだ!」

「なんで?」


 立ち上がる間もなくツッコミを入れてしまった。後悔後に立たずとはこの事だ、隠れられる隙もあったのに、意味が分からなすぎて言葉の方が先に出てしまった。

 あの変態が巨大化するだけでも大事件なのに、なんでバナナが無くなってしまったの? バナナとの因果関係が不明すぎる。

 僕の声に反応して、とうとうここまでやって来てしまったウィジュは、僕の姿を見るなり弾けるような笑顔を浮かべた。


「あ! めちす!」

「覚えていたとはね……光栄だよウィジュ」


 近づいてきて膝をついて僕の顔を覗き込んでくる。王族に対してその態度はどうなんだとか……きっとこの子に言っても無駄なんだろうな、さっきの歌を聴いていて激しくそう思うよ。


「なにしてるのー?」

「……なにもしてないよ」

「たのしー?」

「しらない」


 素っ気なく言葉を返す。毒のせいで具合が悪いという事もあるし、なにより大精霊がもう見えないと知って僕が絶望するのが分かりきっているから、早く帰ってほしくて冷たくあしらった。


「じゃあ、わたしもねるーっ」


 僕の了解も得ないで、ウィジュはころんっと僕の隣に寝そべってしまった。


「きもちー」

「…………」

「めちす、いいなぁ」

「なんなの?」


 なんなんだよ、本当に……。

 会いたくなかったのに、また独りなんだって気づかされて悲しいって泣きたくなかったのに。もう違う世界にいる癖に、勝手に近寄ってきて懐こうとして、僕の心に責任も取れないくせに。


「なんでこんな場所まで来たの? いつもみたいに父上の所へ行けばいいだろ」


 分かってるよ……これは八つ当たりだって。僕が勝手に裏切られた気分になってるだけだ。

 ウィジュは僕の言っている意味が理解出来なかったんだろう、考えるような素振りをしばししてから、眠そうに目を擦りだした。


「わかんにゃい……」

「ちょっと、ここで寝ないで」

「あそびたかったんだもん~」

「え? なんの話?」

「まっしろな……りゅー…………」


 真っ白な龍?

 それはきっと一年前に見えていた水の大精霊の思い出話だ、今見えた訳じゃない、だってこの子はもう三歳になっているから。

 そうやって自分に言い聞かせていると、ウィジュは突然眠そうだった目をぱちりと開けて飛び起きた。


「ウィズね、おともだちまだいないの!」

「へえ……そう」

「めちす! ともだちになろ!」

「はあ……?」


 友達? 脈絡も無く何を言っているんだ?

 ウィジュはさもいい案が浮かんだというように嬉しそうに笑って頷いて両手を広げた。


「いっしょにあそんだり、ご飯もぐもぐしたり、おひるねしたりするのよ!」

「嫌だよ……なんで僕が」

「はい! めちす! ねんね!」


 起き上がろうとしていた僕の肩を押し返して再び寝かせ、その隣にウィジュも寝転がった。抵抗したくても、身体が怠くてこんな小さな女の子にも簡単に負けてしまう。


「おともだちのだいいっぽ~! おひるねからはじめましょ!」

「それってさ……君が眠いだけなんじゃ」

「おやしゅみなさい!」

「ちょっと……」


 勝手に友達認定をされて、断ると言ってやろうと思ったのに、ウィジュはもう寝に入っている。おやすみ三秒なの? 初めて来る場所なのにそれは驚異的過ぎない?

 僕の隣で、無防備にもすやすやと寝ようとするか弱い女の子の姿にぐっと眉間にシワを寄せた。


「僕は……弱い者とは馴れ合わないよ」


 だって、僕の傍にいるとみんな危険に晒されるんだ。毒を盛られるのが日常茶飯事で、暗殺者にだって襲われるような非現実的な日常に僕は居る。僕の死を望む者達が沢山居るこの悪夢の世界で、弱い者と馴れ合って心を許して……その先で失ったらどうするの?


 いやだ、いやだ、みんなして僕の心を壊そうとしてくる。怖い、どうしてそんな酷いことしてくるの?

 本当は僕だって……自由に好きな人達の傍に居たいのに。


 今僕が泣き出しそうな顔をしている事をきっとウィジュは知らない。君を突き飛ばして逃げ去りたい衝動を必死に堪えている事にも気づいていない。

 ウィジュは段々と夢に意識が落ちていきながらも、どうにか僕の声に応えた。


「うぃじゅ……まいにち……まきわりしゅるね……」

「薪割り……?」


 予想外の返答に、ぽかんと口を開けて固まってしまった。

 分かりましたサヨウナラとか、それでも傍に居たいの、とかそんなつまらない戯れ言が返って来ると思ったのに、薪割りをするという言葉の真意はどういう意味なんだろう。


「むきむき……つよく……なりゅ」


 ああ……そうか、僕が弱い者とは馴れ合わないって言ったから、それを深く考えないでまっすぐにとらえてしまったんだね。力が弱いから、筋肉をつけるねって、そういう話になったの? 


「……変な子」


 可笑しいと笑ってしまう。君はなんでそんなに馬鹿みたいにまっすぐで、純粋で居られるんだろう? どうして、僕を笑わせる事がこんなにも上手なんだろう?


「君といると嫌な事を考える暇も無くなるから……すごく、らく」


 まるで、何も知らなずに、ただ兄上や父上と母上が好きだった頃に戻ったみたい。普通のこどもで……いられるみたい。


 ウィジュにつられて、段々と瞼が閉じていく。

 予想外で破天荒な君の姿を、これからも見ていられたらよかったのにね。きっとそれは……無理な話だろうけど。

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