9-2 守りたいから傷付けた【メティス視点】
ナイフの切っ先が僕目掛けて振り下ろされ、咄嗟に身体を傾けて避けたけれど、間に合わなかった。
「うっ、アァァァッッ」
ナイフの刃は僕の左目を切り裂いて、真っ赤な血が辺りに飛び散った。
痛い、熱い、痛い。
切られた左目を手で押さえながら蹲る。絨毯を掻きむしりながら痛みを堪えようとするけど、与えられた激痛にどっと汗が噴き出して、呼吸が乱れる。
「おや、避けられてしまいましたか。せめてもの温情で一太刀で葬ってやろうと思っていたのに、次は避けてはだめですよ、痛みが長続きするだけですからね」
別の侵入者が二人がかりで僕の頭と身体を掴んで、乱暴に床に押さえつけた。
幾ら藻掻いて抵抗しても大人の力には敵わず、ぴくりとも動かない。
「さようなら高貴なお方、来世では良き人生を」
血にまみれたナイフが僕の首目掛けて振り下ろされる。
死ぬのか、こんなあっけなく、無力に……また、人間に殺されるのか。
忘れていた筈の怒りと憎しみが瞬時に膨れあがり、全身に駆け巡る。
来世で……だと? ふざけるな、何度目だ、何度何度何度何度何度何度何度何度何度何度何度繰り返していると思っている? 今世では必ず我が積年の望みを叶えてみせる。忘れもしない、あの悠久の空への道を邪魔をするというのなら。
「殺してやる……」
溢れ出す殺気が抑えられない、今正に我を殺そうとしている男のマスクの先の瞳を恨めしいなと睨め付けると、男の動きが不自然にピタリと止まった。
「っ赤い目?! なんだ……アンタ、なにもんっ」
その時、激しく窓ガラスを突き破る音が部屋に轟いた。
この部屋にいた者達全員が驚いて、粉々に破壊されたバルコニーへと振り向くと、僕の目には、あの白龍が怒り任せに尾でバルコニーを破壊し、口を大きく開けて水の砲丸を生み出している光景が見えた。
「な、なんだ? 何も無い所に水の玉がっ」
「避けろ!! 飛んで来るぞ!!」
グァッッと唸りをあげて水の息吹が暗殺者達目掛けて吐き出された。部屋の中に津波が襲いかかる程の威力で、水の壁は暗殺者達を呑み込んだ。
知らないうちに僕の周りにだけは水の膜が張られていて、被害は無かった。
水に呑まれて身体を壁に打ち付けられる暗殺者達、地べたに這いつくばりながら噎せて、リーダーの男が震える声で撤退を告げる。
「物音を立てすぎたっ、逃げるぞ!!」
「リーダーっ、ですがあと少しで王子を殺せるのに!」
「馬鹿が!! 龍相手に人間が勝てる訳ねぇだろうが!!」
「はい? 龍なんてどこに……」
「いいから行くぞ!!」
暗殺者達は蜘蛛の子を散らすように窓から外へと逃げだそうとしたけれど、怒りの咆哮をあげた白龍は鋭い爪を暗殺者達目掛けて振り下ろした。
「ふ、伏せろ!!」
リーダーの男の声に従い全員伏せ、白龍の攻撃を何とかよけると壁には三本の爪痕がくっきりと残った。残念だ、当たれば即死だったのに。
「っ……」
左目の痛みにガクンと膝を突いて蹲った僕に白龍が気を取られ、暗殺者達はその隙に今度こそ外へと逃げて行った。
痛みと熱さで頭が朦朧とする……さっきまで何か大切な事を思い出しかけていたような気がするのに、なんだったかもう分からない。もしも今、僕の望み通り誰か死んでいたら思い出せていたかもしれないと、漠然的にそう確信していた。
白龍がゆっくりと僕に近づいてきて、僕の前で頭を垂れた。
『やはり貴方こそが我が主……』
「水の大精霊であるきみが、なぜぼくに頭をさげるの? ぼくとけいやくしても、きみのちからにはならないのに」
『いいえ』
白龍は潰された僕の左目に口を寄せた。ひやりと冷たい水が左目を覆うように濡らしていく。
『貴方が私の力を借りるのではなく、私の力の全てが貴方のものなのです』
「どういういみ?」
『私は貴方に服従します、どうか私と契約を』
再び僕に頭を下げて、目を閉じながら僕の言葉を待つ白龍。
これと契約すれば、僕の力がエランド兄上よりも強いという事がバレて、兄上の障害になると思っていた。
けれど、先程のような暗殺者がまた現れないとも限らない。もし、またこんな事があれば今の僕では酷く無力だと痛感した。
本当なら、兄上の為を思うなら僕は殺されて方がいいのだろうけど……何故かな、僕は絶対死ねないと思ったんだ。【望みの為に】強く生にしがみつこうとしていた自分に気づいてしまった、力が欲しいと願ってしまったから。
白龍の鼻先に手を伸ばして触れ、声を張り上げた。
「我が名はメティス、水の大精霊とのけいやくを望むものである。汝の名をわれにささげよ」
『我が名はポセイドン、貴方の命が燃え尽きるその日まで、私の力は貴方の物』
触れた指先から全身に形容しがたい冷たい何かが走り抜けた。身体の内に秘めていた魔力が、今なら外に解放出来る事を理解する。そして、その力は目の前にいる水の大精霊ポセイドンと繋がっている。
『左目の眼球の損傷は応急処置までに治療しました。私の力では治療はここまでですが、治癒魔法ですぐに治療すれば回復するでしょう』
「そう……」
『メティス様、これを』
白龍から渡されたのは、黄金の獅子が炎を咥えている紋章だった。
「これは……?」
『先程の者達が持っていたものを剥ぎ取りました』
爪で攻撃した時だろうか? けれど、これを見てハッキリとした。僕を殺そうとしたのは紅蓮院の者の指示であったと、これは紅蓮院の紋章で間違いないのだから。
あの暗殺者達を雇って僕を暗殺するつもりだったのだろう、頭を抱えてまだ痛む左目を押さえながら、どうしたものかと考えあぐねていた時だった。
「メティス!!」
驚いて振り返ると、真っ青な顔で息を切らせているエランド兄上が立っていた。
「メティス!! 大丈夫か?!」
兄上は僕の元に駆け寄ってきて、僕の怪我の具合を目の当たりにすると、真っ白な顔色になって震えだした。
僕を心配しているんだね、こんな時間に部屋から抜け出して僕の所へ来る位、僕と仲直りしたかったの? 優しいねエランド兄上は。
だから僕は……貴方を突き放さなくちゃならない。
「ち、血がっ、メティス、怪我っ、だいじょうぶっ、どうしよう、待って今人をっ」
「なんできたの……」
酷い言葉を散々言おう、僕達の立たされている現実を突きつけて、そして僕から離れて貰おう。
でないと、紅蓮院はまた必ず僕とエランド兄上を引き離そうとしてくるだろう。
引き離そうとしても引き離せず、もし兄上が王太子になれなかったとなれば、用済みだとばかりに今度はエランド兄様を暗殺して、新たな駒を探すかもしれない。
僕達兄弟は不仲であり、王位を争いあっていると演じなければ、エランド兄様の命も今日の僕のように危険に晒されてしまう。
「ぼくに近寄らないでっていっただろ!!」
「メティ……ス?」
「誰のせいでこんなっ!! こんな目にあったとおもってるの?! ぜんぶアンタのせいなんだからな!!」
ごめん、嘘だから。兄上のせいなんて思ってない、本当はこんな事言いたくない。でもこうでも言わないとエランド兄上は俺に近づくのをきっと止めてくれない。
兄上に紅蓮院の紋章を投げつけると、兄上はそれを理解して驚愕の表情を浮かべて、可哀想な程に震えだした。
それは証拠だよ、そして現実だ。兄上が傷つかないように守りたいと思っていたけど、こうなってしまった以上僕の暗殺事件は城内に広まるだろうから、守るだけというのはもう難しくなってしまった。
「アンタはまだ知らないの……? 無知であることはとてもつみぶかいよ」
だから、紅蓮院には気をつけて、と。奴等はエランド兄上を国王にする為なら非道な事も行うのだという危機感を知っていて欲しい。
エランド兄上を突き飛ばして、更に言葉で畳みかける。悲しいけれど、これが現実だ。
「ぼくは水の魔力をもっている、火の魔力にとって水は脅威だから、エランド王子を支持する紅蓮院は、ぼくのそんざいがじゃまなんだよ」
我ながら説明口調になっている事に心の中で失笑する、今までこの現状を知らなかったエランド兄上にとっては辛い話かもしれないけど。
「水属性の魔力を支持する【水龍院】に王権をにぎられるかもしれないってね!! アンタより魔力がつよい僕が王位につくべきだと水龍院があばれだすまえに、ぼくをころしにきたんだ!!」
全て知って、そして周囲に隙を作らず、そして僕を嫌って遠ざけて、安全な場所で国王になって貰いたい。
「……自分がどれだけぼくを追い詰めているかわかった? わかったらゆうしゅうな王子殿下はおとなしくえらそうなかおして王位にすがりついていればいいんだよ」
最後に吐き出すように言葉を投げつけて、兄上を完全に突き放した。
兄上が呆然と僕だけを見つめていて……やっぱり水の大精霊の姿は見えないという事実が胸を締め付けた。
直後、駆けつけた兵士に僕は保護されて治療を受ける事になったから、部屋に残された兄上が何を思ったのかはもう僕には知る術は無かった。
後日、左目の治療も終え、ようやく普段通り動けるようになった頃。父上と母上にお願いをした。
僕の魔力鑑定を三歳に行わないでほしいと。
王族は三歳になったと同時に魔力鑑定をするのが通例だけど、僕が今回の暗殺事件で酷く心を痛めて魔力に触れるのを怖がっているからとか、そういう理由をつけてほしいと懇願した。
僕の【我が儘】で魔力鑑定を遅らせている隙に、兄上を王太子として指名してほしいと願った。せめてもの抵抗だった、王太子が兄上に決まれば後に僕が水の大精霊と契約したという事が判明しても容易に覆す事など出来ないから。
そして、水の大精霊と契約を交わした事も父上と母上には話したけれど、二人は何も言わずに僕を抱きしめてきた。その暖かさが酷く心を傷付けて、僕は自分の心が酷く疲弊してしまっている事を知ってしまった。
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