8 大好きだから離れようと決めた【メティス視点】


 僕が産まれた時の事をよく覚えている。


 暗い所から目が眩む程の明るい場所に呼び出されて、その明るさに怯えて大声で泣いた。まともに動けない脆弱なこの身体、簡単に殺せてしまう僕を守るように暖かな温もりで抱き上げたのは、母だった。



「やっと会えたわね」

 僕に頬を擦り寄せて、愛しそうに僕を抱きしめる。


「貴方の名前はメティス、叡智は貴方の糧となり、その知識で人々を導けますように」


 暖かな母の腕の中で身体を抱きしめられて、その温もりに酷く安堵した。

 名前を与えられた……固有名詞ではなく、個人としての名前だ。

 その名前を考えるのに、どれ程の時間を費やしたのだろう? 名前を告げた時の声色が本当に愛しそうな母のそれで、伝わってくる無償の愛が嬉しくて僕はまた声を上げて泣いた。


「エレノア! 産まれたのか?!」


 突然耳に飛び込んできたのは男の声、どこか聞き覚えのある男の声だった。


「人前では名前のみを呼んではなりませんとあれ程申し上げた筈ですよ」

「エレノア!! 身体は無事か?! 赤子は元気か?! 何故俺も立ち会えなかったんだ!! 隣国の王の接待などディオネに任せれば良かっただろうに!! ああああっっ酷い汗じゃないか?! 水を飲むか?! なにか欲しいものはあるか?! 大丈夫か?!」

「もう……貴方の狼狽っぷりを見ていたら小言をいう気にもなれませんわ。私は大丈夫ですから、陛下もこの子を抱いてあげてください」


 母の腕から、その男の腕へと渡され、僕を抱き上げている男がぐずっと鼻を鳴らした。


「はああぁ~~っっ、可愛いっ、俺と君の子どもだ! とても愛らしいっ」


 男はトントンと僕の背を撫でながら、心底嬉しそうに笑った。


「パパだぞ~、今日から俺達が君の家族だ」

「父上です陛下、王族がそのような呼び名はいけません」

「聞こえないでちゅねぇ~~」


 聞こえてくるのは雑音ではなく、僕の母と父の笑い声。そして、その笑いの中心にいるのが自分なのだという……実感。


「ところで、この子の名前だが!」

「この子の名前はメティスです」

「もう決めてしまったのか?! 俺もこの一ヶ月徹夜で沢山考えたというのに!」

「陛下のネーミングセンスは独特だと証明済みなので駄目です。今後一切の命名はさせません」

「エレノアぁ~~っ」


 まだ目が開かぬ視線の先で、僕に愛情を注ぎ微笑む母と父の顔を見てみたいと強く思った。


「たぁっ」

「ん? メティスが喋って……」


 見たいと思ったから、目を開けた。

 開けた視線の先は想像以上に光に溢れていて、慣れないその光景に胸を締め付けられた。


 僕を抱き上げる父は太陽の様だった。

 金色の髪と金の瞳、窓から差し込む光にあてられて髪の先からキラキラと光が零れ落ちる。


 ベッドに横になり、父に抱かれる僕を見上げている母は月の様だった。

 銀色のウェーブのかかった長い髪は艶やかで、青い瞳は夜を支配する夜空の如く知的で美しい。


 いつもヘドロのように心にへばりついていた怒りや憎しみ、悲しみも、どのような感情であったのか思い出せぬ程に、今の僕の心は満たされていて、母と父が心底驚いた顔で僕を見ていた事など気にも止めなかった。


 ……何故、いつも怒りを感じていたと思ったのだろう? 考えようとしてみても、父の腕の中が心地よくて、その考えはどんどん忘却の彼方へと忘れられていった。




◇◇◇




 一歳になる頃には、僕を取り巻く環境と僕自身の異常さに気づいてしまった。


 どうやら僕はこのヴァンブル王国の第二王子に産まれたらしい、使用人達の会話や国王である父上に抱かれたまま執務室にいる時にやってくる国の貴族達の会話などを聞いて色々な情報を学習した。


 だからこそ、自分が異常だと気づいてしまったんだ。


 恐らく一歳の子どもは周囲の言葉を理解なんて出来ないし【産まれた時から言葉を理解していた】なんて事は有り得ない。

 母上がこの名前をつけた願いの通りに、産まれながらに天才であったのか、それとも別の理由があるのかは分からなかったけれど。


 母上と父上以外にも、僕には家族がいた。


 僕より二歳年上の兄上で、名前をエランドと言う。

 初めて出会った時は赤い大きな瞳で興味津々に僕をじっと見ているだけだったけど、最近は毎日のように僕に会いにくる。


「メティス、おにいさまだぞ」


 ソファに座り込んでいる僕の隣に座ってツンツンと頬を突いてみたかと思えば、僕の両手を握って意味もなく笑っている。

 いや、意味はあるのかもしれない。

 何か目的があるとか、そういう下心じゃなくて母上と父上と同じように家族である事が絆で、それが尊くて幸せだから理由なんてなくても愛してくれる。

 相手が笑ってくれるならそれが嬉しいという、そういう幸せの意味が家族というものにはあるのかもしれない。


 だって、僕も幸せで嬉しいと感じてしまっているから。


 初めて出会ったような気がしない感覚も霧散してしまう程に、僕にとっての大切な物が、ひとつ、またひとつと増えていく。


 それに、最近とても気になる事がある。


 僕とエランド兄様が二人で遊んでいる時によく変な奴が現れる。

 それは窓の外から僕達の事を覗き見たり、外に出れば僕達の頭上の空を飛びながら着いてくる、真っ白な鱗を持つ金目の龍だった。

 最初こそなんだと目を見張ったけれど、現れるのは僕とエランド兄様が揃う時だと決まっていたし、別に見ているだけで何をしてくる訳じゃないのでその姿にも慣れてしまって、見て見ぬ振りをするようになった。

 けど、じっと何かを見定めるかのように凝視してくるその金の目が、なんだか少し苦手だった。




◇◇◇




 二歳になる頃、父上と母上が僕を見つめながら難しい顔をする機会が増えてきた。


「メティスもしかして……俺の言葉をもう全て理解しているんじゃないか?」


 人払いされた国王の私室で、僕と父上と母上の三人だけが招かれている。

 敬愛する父上のその言葉に、迷いもなく素直に頷いた。


「ほら、やっぱりそうだ。この子はもう言葉を理解しているよ」

「まだ産まれて二年ですよ? 貴方の言葉を深く理解せずとも喜ばせたくて頷いているだけでは?」


 母上はどこか不安げな面持ちで膝をついて僕の頭を撫でた。

 言葉は理解しているけど、言葉はまだ上手く喋られない。身体の発育ばかりはいくら頭が良くてもどうしようもない。

 けれど、ゆっくりでもいいから言葉を紡いで聞いてみようか。僕一人が抱えているよりも、二人には伝えた方が良いだろう。


「ははうえ」

「どうしたのメティス?」

「すいりゅういんが、ぼくのそばにいます」

「っ!!」


 母上が息を呑んだ。


「あと、ぐれんいんのものたちが、さいきん、えらんどにいさまと、ぼくが、あそぶのを、じゃま、します……おういけいしょうが、ぼくがいることで、あやぶまれると、おもっているのでしょうか」


 水龍院と紅蓮院。


 炎属性の魔力を崇拝する者達の事を紅蓮院、水属性の魔力を崇拝する者達の事を水龍院と呼ぶらしいという事までは理解していた。

 問題は、紅蓮院に属する者達がエランド兄様の傍に付き従っている事。そして、僕の事を煙たがっていて、エランド兄様と二人で居るときは適当な理由をつけて引き離そうとしてくる。 僕への嫌がらせ以上に何か別の理由があるような気がしてならなかった。


 そして僕の事をやたらと褒めて担ぎ上げているのが水龍院。


 大勢いる貴族の臣下達にも派閥があり、この間の会議ではエランド兄様を次期国王にすべきだという紅蓮院派と、僕を次期国王にと推す水龍院派の者達が激しくぶつかったのだそうだ。


 その話を耳にして、心底呆れた。次期国王はエランド兄様だという事はもう決まったようなもの、兄様が三歳の時に行った魔力測定の時に通常の者の何倍も優れた炎の魔力を有している事が分かったし、まだ幼いながら王族としての素質と頭角を現している完璧な方だ。

 僕は国王になる気などさらさら無いし、エランド兄様こそ相応しいと思っている。だから、水龍院の言動は疎ましいと思っているし、それが紅蓮院を刺激しているように思える。


「メティス」


 父上が目の前に膝をついて、僕の肩を叩いた。


「一つ聞かせてくれ、お前は……次期国王になりたいか?」

「ファンボス様!」

「エレノア、メティスはもう状況を理解している。ならば我が子として守るだけでなく、ちゃんと話をせねば、一人の人間として向き合わねばならないよ」


 肩に置かれた父上の手を握り返して、しっかりと首を横に振った。


「あにうえを、こくおうへいかに。ぼくは、なりたくない」

「……そうか、わかったよ」


 父上は優しく微笑み、僕の頭を撫でた。


「だがメティス、お前はとても優秀だ。エランドも優秀だが、お前の頭脳は他に類を見ない程だ。故に、それに気がついている者達からのお前を次期国王にと推挙する声も多い」

「そうですか」

「エランドとメティス、どちらが次期国王に相応しいという論議も多発していてな、まだ時期尚早だとは言っているのだが」


 自分達の派閥を強化する為に、より優秀な者を国王に持ち上げたいといった所だろうか。エランド兄様は炎の魔力、僕はまだ二歳で鑑定を受けていないから不明だけれど……水龍院は僕の事を水属性だと睨んでいるのだろう、だから僕を国王にして水龍院の権力を強めたいんだ。


 より魔力が強く、優秀な者が国王になる。


 ならば、僕の魔力鑑定を待っていてはいけない。もしも僕が本当に水属性であり、少しでもエランド兄様よりも魔力が強いと分かれば、火と水の魔力は反発するからと難癖をつけ、魔力が強い僕を国王にしろという者達が増えるのは明確だろう。


 もし、僕が王太子になんてなったらエランド兄様はどうなる?


 ただでさえエランド兄様は【赤目】という事で疎む輩がいる。

 赤目は魔王の力を有しているとかいう、人間達が作ったなんの確証もない馬鹿げた話が発端だ。

 父上が国王になってから、その赤目の差別はかなり緩和されたが、凝り固まった頭の奴らは今でも赤目を不吉の象徴として忌み嫌っている。


 エランド兄様の王太子失脚を目論む輩に隙を与えてはいけない。そうなるであろうと育てられて、今も努力を重ねているエランド兄様の心を守らなくてはいけない。


 絶対に、エランド兄様を王太子にして兄様の心を守らなくては。


「メティス、俺からも一つ聞いてもいいだろうか?」

「はい」


 父上の真剣な声に反応して顔を見上げた。


「この世に精霊というものが居る事は理解しているか?」

「はい」

「そうか、人間は精霊と契約して初めて魔法が使えるようになる。自分の魔力と同等の精霊以下の姿が見えるようになる。つまり、魔力が弱い人間は妖精の姿を見る事が出来ても、精霊の姿を見る事は出来ない。逆に、魔力が高い人間は中位精霊の姿も見る事が出来るんだ」

「はい」

「……俺は光の大精霊と契約していた。つまり魔力が通常の人間の何倍も強いのだが」


 父上が、窓の外へ視線を向けたので、それに従い僕もそちらを眺めた。

 すると、外の大木に姿を隠しながらも、こちらを見つめている白龍の姿が見えた。

 いつもはエランド兄様と二人の時に現れるのに、珍しい事もあるものだ。


「メティス、あそこの大木に水の大精霊が居る」

「え……」


 水の大精霊……あの白龍が?


「大精霊の姿が見える程の魔力の持ち主はこの世界ではとても少ないんだ。王妃に選ばれる程の才能と魔力を持つお前の母上でさえその姿を見る事は出来ないんだよ」


 母上は肯定するように頷いた。


「本来大精霊とは自分が守護する領域からは出てこぬものだ、人と契約するのだって人が精霊の住まいに趣いて契約を請うものだ。しかし、あの水の大精霊は長い時間この王宮に居着いている……まるで、誰かと契約するのを待ち焦がれているかのようにだ」


 嫌な汗が背筋を伝う。気づいてはいけない事態に、気づいてしまいそうで、とても気持ちが悪い。


「メティス、お前にはあの水の大精霊の姿が見えているか?」


 ドクンと心臓が強く身体の中心で鳴り響いた。これは警告音だ、幸せだと感じているこの絆を破壊してしまう、とても危険な事実だ。


「わか、らない……だって、まだ」


 そうだ、もしかしたらエランド兄様にも見えているかもしれない。僕みたいに見えないフリをしているだけかも。


「きいてくる」


 一縷(いちる)の望みを掛けて母上と父上から離れて、扉から部屋の外へ飛び出した。

 僕がエランド兄様より優秀ではいけない、そんな事はあってはならない。

 エランド兄様は国王としての素質を持っている方だ、今はまだ子どもだけど将来はきっと誰よりも国民の事を想える素晴らしい国王になる筈だ。僕よりもずっと国王に相応しい。

 兄様自身も自分が次期国王になる事を信じて疑っていないだろう、だっていつも言っていたから「将来俺も父上のようになりたい」と。兄様の夢と未来を奪ってはいけない。


 兄様に恨まれたくない、怖い。


 酷く怯えているこの感情をなんとか落ち着かせて、エランド兄様の部屋の前までやってきた。あがった息を落ち着かせて、いつも通りの雰囲気を装って扉をノックする。

 すると、少しして扉が開き、エランド兄様が姿を見せてくれた。


「メティス? 護衛もつけないで一人で何をして……」

「エランド兄様」


 兄様の言葉を遮り、服の袖を指でつまんでひっぱりながら呼びかけると、どうかしたのかと笑いかけてきた。


「エランドにいさま、火ぞくせいの魔力ってほんとう?」

「うん、鑑定士に診て貰ったから間違いないよ」

「火……なんだ」


 確認で聞いたけど間違いなく火の属性……憎らしい事に僕の後を追って先回りしたらしい、高い天井の上で浮遊しているあの大精霊は水だという。


 属性が、兄様と一致しない。


 震える指先を握りしめる事でどうにか誤魔化して、願いを込めて頭上に居る大精霊を指さした。


「にいさま、これ……みえる?」

「ん……?」


 兄様は不思議そうな顔をしながら天上を見て、部屋の中もぐるりと見回している。



 お願い、どうか見えていて。僕に次期国王になる隙を与えないで。

 僕を兄様の未来の障害にさせないで。



 兄様は困ったように頭を掻いて……無情にも首を振った。


「なにも……みえないけど」


 みえ……ない? 兄様にはあの大精霊の姿が見えないんだ。それは、僕がエランド兄様よりも魔力が高いという証明になる。


 そして、あの水の大精霊は恐らく僕と契約したいと望みここに居着いているんだろう。

 もしも、僕が水の大精霊と契約したと周知の事実になったらどうする? 知識も魔力もエランド兄様よりも優れているとバレてしまったら……兄様は。


 何より、水龍院が黙っていないだろう。


 僕が三歳になった時に水属性の魔力だという事が確定して、更に大精霊と契約するという話にまでなったら?

 僕が兄様の傍にいちゃ、いけない。いつ、誰から、この情報が漏れるかわからない……隠し通さなくちゃ。

 僕をいつも監視している水龍院をエランド兄様に近づけさせない為にも、僕がエランド兄様から距離を取らなくちゃいけない。でないと、水龍院が僕に王位を継承させる為にはエランド兄様が邪魔だと、暗殺を企てる隙を与えてしまうかもしれない。


「……そうなんだ」

「メティス、あのな……」

「もう、いい」


 兄様の服の袖から手を離して一歩、二歩と離れていく。

 直視するには醜く煩すぎるこの世界を、兄様の背に隠れて見るのが好きだった。まるで守られているようで、母上や父上とまた違う対等な絆がくすぐったくて嬉しくて……大好きだったよ。


「もう、ぼくにかまわないで」

「え……」


 だから、僕はエランド兄様を突き放そう。

 兄様が国王となる為に、弊害となる僕は傍にいちゃいけない。水龍院の奴等に隙を与えてはいけない。兄を嫌う弟王子が、権力争いに負けたと装わなくてはいけない。


「飽きた、エランド兄上はもう……いらない」


 そう言い放って僕は兄上に背を向けて立ち去った。

 こうする事で兄上を守れるなら……あの背中に甘える事をやめるよ。


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