6-3 弟を守れなかった日【エランド視点】
俺は五歳になった。
メティスとの関係は更に冷え切り、最後に会話をしたのはいつだったのかも忘れてしまった。
赤子だったラキシスも日に日に知識を吸収していき、自分には兄がいるという事も理解出来るようになってきた。だからこそ、兄を恋しがっている様子だったが、俺もメティスも進んでラキシスに会いに行く事はなかった。
そんな時、父上から急ぎ王宮の治癒術士を連れてポジェライト家に向かってくれと命が下り、俺は数名の治癒術士と、俺付の騎士二人を連れて馬車で王都のポジェライト家へ向かう事となった。なんでも、産まれたばかりの男児が死にかけているとか。
ポジェライト家の当主ヴォルフと父上が懇意の仲である事は周知の事実であり、ポジェライト辺境伯当主が王都に不在の今、父上が力を貸してやりたいと思うのは分かるのだが……それ以外の理由もある気がしてならない。
「ポジェライト家の御令嬢、先日に王命で登城しておりましたよ」
馬車に揺られながら、向かいに座るルイがそんな事を口にした。
切りそろえられた紺色の髪に清潔感の漂う騎士服、規律正しいルイの性格がそのまま見た目にも出ている。
「ルイ、何故今その話を?」
「エランド様が何故自ら出向かなくてはいけなかったのか、と気にされているようでしたので」
丁寧に答えたルイに対し、もう一人の騎士ロッカスが大口を開けて笑った。
「俺でも流石にわかりますよ! 国王陛下はポジェライト家の令嬢をエランド様の嫁さんにしたいんですよきっと!」
ルイはロッカスを睨み付け、脇腹目掛けて強めに肘を打ち付けた。
「あだぁっ?!」
「口に気をつけろと何度言えば理解するのだ、これだから農民あがりの騎士は」
「へいへい、お貴族育ちの坊ちゃまには耳障りでしたか、すみませんねぇ~」
「お前達は仲が良いのか悪いのか分からないな」
口を揃えて「仲が良いわけないでしょう」と即座に二人して否定してくるものだから笑ってしまう。
だが、まあ……ロッカスの言っている事は当たっているだろう。父上は昔からよく身内に漏らしていたから。昔、共に旅をした仲間達と家族になりたい、と。
父上は勇者と呼ばれ魔王討伐の為に旅をしていたという。
その時に共に旅をしていた仲間は父上を除いて三人。我が国の竜騎士団長ディオネ・ウォード、元聖女で現在は公爵家を継いだクラリス・ロレーナ、そして国一番の天才魔法使いポジェライト辺境伯のヴォルフ・ジョセ・ポジェライト。
彼らは皆既に結婚していて子どもが居る。父上はどうにかその子ども達を婚約させてあわよくば家族になりたいと企んでいるようだ。
普通ならそんな理想だけで国王が我が儘を言わないでくれと言われる所だろうが、どうしたものか、この者達は皆地位も高く派閥も中立であるが故に婚約者としてとても望ましい家柄の者達だった。過去には、爵位を追われかねない者もいたと聞いているが、魔王を倒した功績と優秀な能力を王家が称え、その地位を確固たるものにしたという。この国で、魔王を討伐した彼らの名前を知らぬ者はいない程に。
……まさか父上がそこまで計算していたとは考えたくはないが、兎に角婚約者としては問題がない。
どうやら俺とポジェライト家の御令嬢を婚約させたいと父上は考えているらしい。
「エランド様は、ポジェライト家の御令嬢と婚約となってもよろしいのですか?」
率直なルイの問いに、曖昧にしか応えられなかった。
「まあ……それが父上が決めた事ならば」
「まだお若いのですし、貴族である以上結婚は義務となりますから私からは何か言える事はございませんが」
ルイは真っ直ぐに俺を見つめたまま頷く。
「エランド様の意思を私は出来るだけ尊重したく思っております、どうぞご自分の心を大切になさってください」
「俺もだぜエランド様!」
ルイの肩を押しのけて、ロッカスがずいっと前のめりになる。
「王族だろうが、なんだろうが、俺はあんたが好きだから騎士やってんだ! 自分が気に入った奴と結婚出来るのが一番だしな!」
「口の利き方には気をつけろと何度言わせる!」
「うるせぇな! 人前ではなおしてんだろぉが!」
目の前でいつもの言い合いが始まる。堪えきれずに笑い、二人に感謝を告げた。
「二人ともありがとう、そんな日が来たらまた話を聞いてくれ」
「勿論です、とまあこんな話をしていますが、御令嬢はもうじき二歳といいますから、婚約者になるにしてもまだ先ですね」
二歳……よちよち歩きの赤子だろうなと思い苦笑いする。
「エランド様、御令嬢のお名前はちゃんと知ってますかい? ウィズ嬢っていうそうですよ」
「ウィズ嬢……」
「おや、どうやらポジェライト家に着いたようです」
もう少しこの話が続くかと思っていたが、目的地に到着したらしい。ルイとロッカスも背筋を伸ばして騎士の顔になり、先に馬車から降りて扉に手を添え俺を外へと導いた。
「うん……?」
外に一歩出て屋敷の騒ぎに気がついた。王族を出迎える為に外で待機していた屋敷の使用人達は皆出入り口の扉を見つめて硬直していた。
そして、屋敷の中から鬼のような形相をした女が金切り声で叫びながら現れ、その女に腕を捕まれて引き摺られている女の子の姿が見えた。
「あれはなんだ?」
「ポジェライト家の夫人ですよ……あの噂の悪女の」
ルイが情報を耳打ちし、ロッカスは焦ったように声をあげた。
「おいおい…! あれじゃ嬢ちゃんの腕がもげちまうぞ!」
夫人が今にも女の子を空高く掴みあげたまま地面に叩きつけようとしている光景を目の当たりにし、声を張り上げた。
「やめるんだ」
ピタリと動きが止まった。そして、俺の姿を見て誰なのか悟ったのだろう、ザアっと青ざめて狼狽え始めた。
「あ、貴方様……はっ」
「国王陛下の命にて、王宮より治癒術士を連れて参りました。ですが、このような場所で貴女は何をしているのですか?」
夫人は視線をあちらこちらに動かして落ち着きが無い、言い訳でも探して狼狽えているのかと思ったが、なにやらそれだけではない気もする。
ガタガタと震え、焦点が定まっていない、何より目は腫れぼったく、病人かと見紛う程夫人の顔は真っ青だった。
(それになんだろうか……夫人から痺れるような甘い香りがする)
疑問はあるが、その前にまず目下の者から名を名乗るという貴族の礼儀も果たさずにいる夫人の態度に顔が歪んだ。
「先に俺から名乗らせるつもりか、ポジェライト夫人」
「し…失礼いたしました……レベッカ・ポジェライトが拝謁いたします……王子殿下」
ようやく夫人から手を離されて、女の子……確か名前をウィズと言ったろうか? ウィズはぺたんと地面に座り込んで呆然と俺を見上げていた。
「お前の事は父上からよく聞いている、ウィズ嬢」
手を差し伸べると、俺よりもうんと小さな手が重ねられて、こんな小さな子に何をしていたのだと苛立ちが募る。
「俺は、エランド・グロー・ヴァンブル、この国の第一王子だ」
ウィズは呆然と俺を見上げているだけで何も言わない。つい先程引きずり回されて、暴言を投げつけられていたというのに、こんなに小さいのに泣き喚きもせずにただ無感情に見上げてくるだけだった。
その姿が……危ういと思った。
直ぐさま、ウィズを連れて屋敷の中へと入ったものの、ここの使用人の悪意に酷く失望した。
ウィズが怪我をしているというのに応急手当をする素振りすら見せない上に、彼女に出された飲み物はコーヒーだった。二歳の子どもにそんなものが飲める筈もなく、それを分かっていての嫌がらせという事に腹がたつ。挙げ句の果てに、ウィズの存在を無かった事にして、王族の俺に必死に媚びをうろうとするフットマン。
使用人は主人に似るという……ヴォルフが不在の今、この屋敷の女主人はレベッカなのだろうが、夫人が普段ウィズに対してどういう態度なのか見ていなくても手に取るように分かってしまう。
そして、ロッカスが放った失言。
「だから舐めてんですよ、使用人の殆どはウェスト家から連れてきた者達だと言いますし。ったく自分に有益になる者に従い上手い事媚びを売って高い給金を貰いたいんでしょうよ。だから現状を見て、大切にされてないお嬢様の事は構わないようにしてい……」
「ロッカス」
ロッカスは根は良い奴なのだが、空気をあまり読めず時折失言をしてしまう。すぐに止めたがウィズの耳には聞こえてしまっただろう、さぞかし傷付けてしまったかと思ったが、先程と同じようにポカンとした顔をしただけで、特に何も反応は無かった。
劣悪な環境で心は痛いと叫んでいるのに感情を表に出す事が出来ない。そうする事で自分自身を守る危うさ。
その姿はとても、メティスに似ていて……放って置くことなど出来ないと思った。
どうか一人で抱え込まないで、頼って欲しい、泣いて欲しい。
この子の心を解放出来たらと言う言葉であると同時に、そうであって欲しいという願いを乗せて頭を撫でたその先で、ウィズは顔を歪めてぼろぼろと泣いてくれた。
ウィズが泣いてくれてよかった、一人で潰れてしまわないでよかった。お前の心を守れたのなら……よかった。
こんな風に、弟達の事も守れたらよかったのに。ウィズの心を少しでも救えた事に安堵して、メティスとウィズの姿を重ね合わせて、それでもまだ救えていない弟に心の中でごめんと謝罪する。
なあ、メティス。心を消してしまわないで欲しかった、俺はお前にとって害にしかならない憎むべき存在かもしれないけど、それでも怖いも、嫌いも、全部全部ぶつけてほしかったよ。
感情を爆発させて泣き続けるウィズを抱きしめて、そう願うことを止められなかった。
◇◇◇
あれからというもの、ウィズはよく王城へ遊びに来るようになった。
父上が招待している事もあるが、ウィズも自発的に俺に会いたいと来てくれているようだった。
ポジェライト家は相変わらずだと、ウィズの乳母であるソフィア夫人から話は聞いている。
ポジェライト辺境伯本邸は王都から離れた遙か北の土地、魔の森と隣国の国境沿いにある。
ヴォルフはそこで、魔王討伐戦争時に湧き出た魔物の残党討伐の任務についている。まだ王都に戻れる兆しはない故、いくらコチラが王都のウィズの状況を説明したくとも、どうする事も出来ない。
「えらんどぉー!」
ウィズは日に日に言葉が多弁になっていく、この年頃なら色んな事を覚えて喋りたくて仕方が無い時期なんだろう。
客間で迎えたウィズの第一声が「エランド」であった事で、その場に居た全員が目を剥いた。
「う、ウィズ様! 失礼ですよ! エランド殿下とお呼びくださいませ!」
「ん~~?」
気絶しそうな程青ざめたソフィア夫人に肩を掴んで叱られ、ウィズは不満げに眉を寄せた。どうやら殿下呼びは好きではないらしい。
「構わないよ、まだ言葉も覚えたてなのだから、好きに呼ばせてやろう」
「で、ですが!」
俺が手招きすると、ウィズはパッと笑顔を輝かせ、小さな足をちまちまと動かしながら走ってきた。
「えらんどぉ!」
「なんだ?」
両手を広げて俺の胸に飛びついてきて、楽しそうに楽しそうに満面の笑みを見せた。
「しゅきー!」
「そうか、俺もこんなに良い子なウィズに好いて貰えて嬉しい、今日も良く登城できたな、偉いぞ」
胸にぐりぐりと頭を押しつけてきて抱きついて甘えるウィズの頭を撫でる。ウィズが俺の方を見上げる、くりんとまん丸な空色の瞳が閃いたとばかりに輝いた。
「えらんどーにいさま!」
「え……」
「にーさま! しゅき!」
ぎゅうっと抱きつかれ、目一杯の好意と共に甘えられる。
その姿はいつの日かの懐かしい姿と重なって、もう呼ばれなくなってしまった、最愛の弟から呼ばれていた呼び名と同じで……胸が苦しくて、いっぱいになってしまった。
「うーん? にーさま、ぽろぽろ?」
ウィズが心配そうに俺の目元に手を伸ばしてきた。視界がぼんやりと歪んでいる、駄目だ泣きそうだ、でもこれは悲しくて泣きそうなんじゃなくて……懐かしくて、嬉しくて、胸がいっぱいなんだ。
「泣かないよ、まだ……泣かない」
「じゃあ、うぃじゅがぎゅーーしてあげう! いっしょよ!」
「うん……ありがとうな」
俺の事を兄様と呼んだウィズを抱きしめて、諦め掛けていた心に小さな光が灯る。
罪は償うから、今度こそ守れるようなお兄ちゃんになるから、またいつの日か、兄様と呼んで貰えますように……立ち止まって歩けずにいた俺に進む勇気の一歩を、小さな女の子から貰ったんだ。
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