4 私の弟を助けなくちゃ
今私のお家はとても騒がしくなっている、その理由はママが赤ちゃんを産んだから。
お家の中を使用人のみんなが忙しなく走り回って、みんな忙しそう。私の部屋の中にまでドタドタバタバタという走り回る音が聞こえてくる。
真っ白な子供用のソファーに座りながら、トカゲのぬいぐるみを抱きしめて騒がしい音が聞こえてくる扉をじぃっと見つめていた。
部屋を見渡せば、見慣れないメイドさんが一人澄ました顔をして扉の横に立っている。
ソフィアはポジェライト家の新生児誕生の祝いの品を実家のソロル子爵家に取りに帰っている為3日間留守にすると言っていた。
だから見慣れないメイドさんが私の面倒を見る事になった様だけど……あまり私に興味はないみたい。私が話しかけても視線を寄こすだけで喋ってくれないし、あれしてほしいとか言っても聞こえていないのか動こうとしない。
確か前に、ママの後ろを歩いていた姿を見た事があるから、本来はママ付のメイドさんなのかもしれない。
これはもしかして私のお世話をしているんじゃなくて、監視しているんだろうか? 私と産まれた赤ちゃんが会わないように?
「うん~っ」
ころころとソファーの上で転がる。
正直っ、赤ちゃんに会いたくてうずうずしているのだ! だってママの赤ちゃんという事は私の弟でもあるんだよね? 会いたいなぁ、私がお姉ちゃんだよって挨拶してナデナデしてあげたいな。
抱きしめていたトカゲのぬいぐるみの頭を代わりにナデナデしてみたけど、特に反応は返ってこない。
ちょっとだけ……ちょっとだけだから、会いにいっちゃ駄目かな?
ぴょんとソファーから飛び降りて、メイドさんの前までとことこと歩み寄った。
「ばぶちゃん! なでなで!」
「…………」
一度ちらっとコチラを見たけど、ツンと顔を背けられてしまった。
もしかして、私が抱っこしているトカゲのぬいぐるみが怖いのだろうか? ものすごく格好いいのに……! ソフィアにうさちゃんのぬいぐるみと、トカゲのぬいぐるみのどちらがいいですか? と聞かれた時に即答でトカゲを選んだのだ! だってトカゲってドラゴンにちょっと似ててかっこいいもんね! 私のお気に入りだけど人の趣味はそれぞれだから仕方ない、メイドさんがこのぬいぐるみを怖いというのなら仕方ないね。
と、その時。コンコンと乾いたノックの音が飛び込んできた。
「開けるわよ、いる?」
「なに? どうしたの? こっちはしたくもない子守で気分もうんざりしているのに」
突如開いた扉から顔を見せた茶髪のメイドさんと会話をする部屋にいたメイドさん。私の事など視界にも入らないのか二人だけで会話を進めていく。
「お生まれになった嫡男……なんだか危ないみたいなのよ、生まれつき身体が弱いみたいで、今呼吸困難になっててお医者様でも原因が分からないって」
「ええ? 御当主様は?」
「ヴォルフ様は遠征先にいるから連絡すらとれやしないわよ。
兎に角アンタもレベッカ様を落ち着かせるの手伝ってよ、暴れてるから手に負えやしない」
「わかったわよ、手伝えばいいんでしょ」
それだけ話すとメイドさん二人はそそくさと部屋から出て行ってしまった。
一人ぽつんと残された私はようやく状況を把握して、段々と青ざめていった。
「ばぶちゃん……」
もしかして、命が危ないの? 持病って何? このまま会えなかったらどうしよう?!
せめて様子だけでも見に行きたいと、幸いにも半開きになっていた扉に身体をねじ込ませて無理矢理廊下に出た。
相変わらず使用人の皆は忙しそうに走り回っていて、膝よりも下でちっちゃい私の姿は見えていないみたい。
赤ちゃんどこだろう? ママの部屋かな?
赤ちゃんを探そう、会いたい。
そう思ってぐっと目を凝らすと不思議な事に私の目の前に黒い糸が音も無く現れた。
なに……これ?
その黒い糸はひゅるひゅると伸びていき、廊下の先の曲がり角を曲がってまだまだ先に伸びている。
途中、その糸を使用人の人が横切り、絡まるかと思ったらスルリとすり抜けてしまった。
それどころが、その糸の存在を気にする人は誰も居ない。
もしかして、みんなには見えてないのかな? 何かは分からないけど、でも、ついて来いって言われている気がする。
その糸を辿りながらよちよちと歩きだす。
ゆっくりだけど、少しずつ。曲がり角を曲がって、赤い絨毯が引かれた大きな階段を全身をつかって一段ずつよじ登り、使用人達に見つかりそうになったら柱の陰に隠れて、その黒い糸を辿ってひたすら歩いた。
そして、黒い糸は二階廊下の奥まった部屋へと続いていた。
私の背よりも大きなツボの置物の後ろに隠れながらその部屋の様子を一先ず伺っていると、扉がバンッと激しい音を立てて開き、丸い眼鏡を掛けたお爺ちゃん先生と、治癒師の人が二人慌てて飛び出してきた。
「王宮専属の治癒術士様が来たらしいぞ! 早く迎えにいくぞ!」
「このままでは坊ちゃまが危ない!」
三人揃って我先にと部屋を飛び出して、玄関ロビーへと走り去って行った……。
身体を丸くして隠れていた時にすれ違いざまに小さな独り言も聞こえてしまった。
「もし呼びに行っている間に死んだとしても俺の治療のせいじゃない、責められる事も無い」と、そう言っていた。
「…………」
よたよたと歩いて、部屋に入る。
部屋には赤ちゃん以外誰も居なかった、産まれたばかりで死にかけている赤ちゃん一人残して、その命が消えてしまったら自分のせいになる事を恐れた大人達がまた別の誰かに罪をなすりつける為に、この子を置き去りにして行ってしまったんだ。
つまり、この赤ちゃんは誰が見ても助かる見込みが少ないという事だ。
「ばぶちゃ……」
大人の背丈でようやくのぞき込めるベビーベッドを下から見上げ、その先で苦しそうに浅い呼吸を繰り返す小さな命の声が聞こえる。
手を伸ばしても、背伸びをしても赤ちゃんには届かない。
何かしてあげたくてもしてあげられない。
私はお姉ちゃんなのに、ようやく会えた弟の為に何もしてあげられる事が無い。
「ばぶちゃ、ねーねよ!」
せめて声だけでもと必死に呼びかけた。
赤ちゃん、お姉ちゃんだよ! ここに居るよ一人じゃないからね! そう伝えたかった。
「いっしょ!」
両手を限界まで伸ばして、届くはずが無い弟の元へと願いを送る。
「いたいの、いたーの、とんでけ!」
痛いの痛いの飛んでいけ。
これは誰が教えてくれた言葉だっただろうか……ふと脳裏に過ぎった懐かしい言葉を紡いで、ぐっと握っていた手を思い切り開いた。
瞬間、開かれた両手からぶわりと黒い煙が吹き出した。
「ふえ…」
これは、なんだろう? 自分の身体から出たものなのに分からない。
けどそれは意思を持っているかのようにベビーベッドで苦しげに横たわっている赤ちゃんの元へと吸い込まれていって消えてしまった。
「ばぶちゃん?」
耳を澄ませて赤ちゃんの様子を確認する。
すると、先程まで苦しそうに咳混じりの呼吸をしていたというのに、それが聞こえなくなっていた。
代わりに聞こえてくるのは、スゥスゥという安定した呼吸音。
それがどういう事なのか、何が起きたのか分からず……私は自分の手のひらをじっと見つめていた。
「嫌あああああああああっっ!!」
ビリビリと部屋の中が叫び声で振動する。
目をぱちくりさせて振り返ると、乱れた黒髪をぐしゃぐしゃと掻きむしっているママが立っていた。
恐怖に目を見開いて、がくがくと震えながら私の事を化け物でも見るような目で見ていた。
「わ、私の赤ちゃんに何をしようとしていたの!!」
「奥様! 安静にしていないと! 私達がウェスト家当主様に叱られるんですよ!」
遅れてメイド達がぞろぞろと現れ、震えるママの身体を支えながら落ち着くように促しているけど、ママは恐怖から憎悪に眼差しを変え、私に向かって指を指して吠えた。
「あの子が!! 私の赤ちゃんを殺そうとしていたのよ!! 黒いものを出して私の赤ちゃんを呪い殺そうとしていた!!」
「ま、まま……?」
「ママなんて呼ばないで気持ち悪い!!」
ビクンと身体が硬直して、動けなくなる。
「この子が産まれたら自分の居場所が無くなると思ったんでしょう?! だから殺してしまおうとしたんでしょう?! 何をしようとしたのよ化け物め!!」
ママは怒り任せに私の腕を掴みあげると、そのまま私の身体を引き摺って歩き出した。
途中、王宮専属の治癒術士の人とすれ違って、その人がやめなさいと止めようとしていたけど、ママはそれに足を止める事はなかった。
「いたいっ、ままっ、やぁっ」
「おまえなんていらないっ」
ドクンと心臓が鈍い音をたてて跳ねた。
掴まれた腕が痛いとか、足がもつれて脱げた靴の行く先とか、そんな事どうでもよくて……ママに要らないと言われた言葉の方が、痛かった。
玄関ロビーまで引き摺られて、ママが玄関の扉を開けて私の腕を更に強く引いた。
「やっぱり駄目なんだ女の子じゃ駄目なんだ、だめだめ全然駄目だ私もこの子も駄目だ駄目だから出来損ないで駄目だから私の赤ちゃんを殺そうとした!! ああそうだわ貴女なんて産まなきゃ良かった!!」
ひゅっと息が詰まる、呼吸の仕方を忘れる。
思考が止まって、何も出来なくて…ただ呆然と荒波のように怒りくるうママを見上げる事しか出来なかった。
「捨ててやる!! お前なんて!!」
私の身体を外へ放り投げようと、私の腕を掴んだまま持ち上げたママに、後ろで使用人達が驚いた顔で釘付けになっていたけど、見て見ぬ振りとばかりになにもしない。
このまま、投げ捨てられるんだと思った。
痛いだろうか、怪我をするだろうか、でもきっとどんな痛みよりも……今感じているこの感情の方がずっと、痛い。
「やめるんだ」
凜とした少年の声が響き渡った。
子どもの声だと分かるのに、この場にいる誰もがその声に従わなくてはいけないと思うような、身体を突く声。
外から赤い髪の男の子が、護衛の騎士を二人従えて歩いて近づいてくる。
白と金の刺繍が施された赤い上物のコートを羽織り、こちらに視線を逸らす事無く真っ直ぐに歩いてきて、私とママの目の前まで来た所で足を止めた。
「あ、貴方様……はっ」
「国王陛下の命にて、王宮より治癒術士を連れて参りました。ですが、このような場所で貴女は何をしているのですか?」
赤い瞳を細めて震えるママを見やり、少年は低い声で問う。
「先に俺から名乗らせるつもりか、ポジェライト夫人」
「し、失礼いたしました……レベッカ・ポジェライトが拝謁いたします……王子殿下」
ママの手から力が抜けて、私の身体はぺたんと地面に座り込んでしまった。
呆然と目の前に現れた真っ赤な太陽を見上げていた。
赤い髪の少年はママを一瞥してから、私の目の前まで歩み寄り私に手を差し伸べて微笑んだ。
「お前の事は父上からよく聞いている、ウィズ嬢」
差し伸べられた手を取ると、やんわりと手を引いて立ち上がらせてくれた。
「俺は、エランド・エミリオ・ヴァンブル、この国の第一王子だ」
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