1-2 目が覚めると辺境伯の令嬢に産まれていました
時は流れ、私は一人で起き上がり座る事が出来るようになった。物に捕まりながらなら立ち上がる事も五回に一度は出来るのだ!
「まっ」
「ウィズお嬢様すばらしいです、お上手に座れるようになりましたねぇ」
私の乳母である【ソフィア】が、ふかふかの絨毯の上に座った私の頭を撫でながら暖かく微笑んだ。
メイドのみんなが噂話をしているのを聞いた所によると、ソフィアはポジェライト家で昔も乳母をしていたそうで、引退後に私の乳母として呼び戻されたのだそうだ。
ソフィアのしわくちゃの手は暖かくて優しくて大好き。私を見つめる眼差しは日差しのように柔らかで心地良い。
そんな大好きなソフィアに自慢したくて、私は座っては寝転がるを繰り返して見せた。
「ふふふ、流石はポジェライト家のお嬢様ですねぇ、身体能力がとても高くいらっしゃる」
微笑ましい笑顔を浮かべているソフィアからしたら、私はコロコロと起き上がったり寝たりしているように見えるかもしれないけど、実は違う! 私は腹筋をしているのです! 一日も早く力を付けてか弱さを脱却し、パパに認めてもらうという目標があるのだから! そうだ、今度ソフィアにも高速はいはいを見せてあげよう! 他の赤ちゃんも吃驚な程の高速はいはいは赤ちゃんはいはい選手権があれば確実に私が優勝出来る位には早いのだ、多分!
暖かな昼下がり、少しだけ開けられた窓の隙間から入り込んでくるそよ風はレースのカーテンをフワフワと揺らしていて、私がいるこの空間は平和そのものであった。
傍には大好きなソフィアが居て、私は筋トレをしていて、もうすぐお昼ご飯が食べられるのかな? それともオムツチェックをされてしまうのかなと考えて、ふと私が居る別館には居ない実の母親の存在を思いだした。
実は産まれてから一度も私は顔を合わせた事がなかった。でも、何回も私がいる子供部屋の前で女性の怒りくるった金切り声と、それを止める使用人達の声を聞いた事がある。
その声の主が私の母親である事は、その事件が起きた後に部屋に来ては私を抱きしめてくれたソフィアの声を聞いていて気づいていた。ソフィアはいつも震えながらこう言っていた「大丈夫ですよウィズ様、必ず私が守って差し上げますからね。何故こんなにも可愛らしいお子に手を上げようとなさるのか」と。
どうやら私はママに嫌われているらしい、それも手をあげてしまいたくなる程に憎いと思われているようだ。
だから、ソフィアはママから私を遠ざけ、会わせないように頑張ってくれている。
パパは戦争で溢れた魔物の残党を退治する為に遠征中で、任務が終わるまで数年かかるらしい。それに、本拠地を北のポジェライト領に移している為、王都のこの屋敷に戻る事は滅多にない。
パパが名前をつけてくれたあの日以来一度も顔を見れた事が無いのだ。ソフィアの話によると、少しだけ帰って来る日も年に数回あるらしいけど、私は悲しい赤ちゃんの定めのせいで一日の大半を寝ているのでパパに会えた記憶がない。
ママはなんだか怖いけど、パパにはとても好意を寄せていた。いつか、パパの手で頭を良い子良い子って撫でられたいな、同じ色をした青い瞳が私の自慢なんだよって伝えられる日が来たら良いな。
その為にもまずは特訓! 特訓! 腹筋を再開しようとした所で、ソフィアが私の身体を持ち上げてドーナッツ形のクッションの上に私をもふんと下ろした。
「さあ、ウィズ様、おむつを替えるお時間ですよ」
「あうぅ」
あああやっぱりそれか~! 致し方あるまいオムツ替えは赤ちゃんの試練であるが故、受け入れよう。
仰向けになって万歳をして固まっていると、ソフィアからクスクスと笑いが漏れた。
「お利口さんですねぇ、さあさっぱりしましょうね」
と、その時。部屋の外から喚く声が聞こえてきた。その声は遠くから聞こえた筈なのに段々とこちらに近づいてきているようで……その声がママの声だとすぐに分かった。
「ウィズ様、声をあげてはいけませんよ」
ソフィアは私を抱き上げてベビーベッドの上に乗せると状況を確認する為に廊下へと出て行こうとする。
響く、狂った女の叫び声。
『離しなさい!! 私はあの子の母親なのよ?! 何故会えないの!!』
『ウェスト家の当主様に止められております! いけません!!』
『な、何故ナイフを持っているのです?! 危険です!』
『煩い煩い!! 使用人の分際で私に指図しないで!!』
ガシャンと何かが破壊される音と、使用人の悲鳴が聞こえた……その物騒な物音に私もソフィアも身を固くした。
「………」
そしてソフィアは、ドアノブを握り締めて部屋の外へ出て行く。
まってソフィア……! 出て行っちゃだめ、しんじゃうっ。
「あうっ」
グワンと、頭を殴られたかのような衝撃が脳に加えられる。
ものすごい吐き気と同時に、脳内に走馬燈のような映像が浮かび上がった。
砂嵐の【テレビ】を見ているかのような映像、私の意思とは関係なくそれは再生された。
──ソフィアが扉を開けた先では、使用人達がママにナイフで腕や肩を斬りつけられて倒れている。そして、ママは私の部屋の前に立ちはだかるソフィアにどけと叫ぶのだ、ソフィアはお願いですから落ち着いてくださいとママを宥めようとしたけどママの怒りは収まらず、手に握りしめていたナイフをソフィアの胸に突き立てて……殺す。
ピクリとも動かなくなった血まみれのソフィアを踏みつけて、ママは私の部屋に入ってくる、そして私を見つけて笑うのだ。
『わたしの赤ちゃん……みぃつけた』
そして、赤く塗られた爪を私の首に突き立て、首を絞めあげ、ケタケタと笑うのだ。
『なんてそっくりなの……なんで私にこんなに似ているの、なんで、なんで、私は私で終わりにするの、虐げられてきた惨めな人生も今日で終わり、私はっ』
欲望に塗れ、口が開けられる限界まで開かれて笑う口と、にたりと歪む目。
その姿はまるで、絵本で見た魔女のようだった──。
「ふあっ…!」
どっと汗が体中から噴き出し、肩で呼吸を繰り返した。
今見たものは何…? まるで、未来を予知しているかのような映像。でも予知なんかじゃなくて、私はあの未来を【知っていた】ようだった。
そうこうしている間にソフィアは扉から廊下に出てしまっていた、そしてその先に広がっていた戦慄の光景に恐怖で青ざめて立ち尽くしている。
駄目! このままじゃソフィアが殺されてしまう!
なんとかしなくては、でも赤ちゃんの身体でどうしたら?!
ふと、ベビーベッドの上からドーナッツ形のクッションが見えた。
「あ、あうあ!」
考えるよりも行動! 善は急げ! 何もやらずに後悔するよりもまず行動から!!
私はベビーベッドの上でよたよたと立ち上がり、自分の身の丈はあるかという木の柵を掴んでよじ登り、遙か下にあるドーナッツ形のクッションの上に飛び降りた。
「あう!」
なんとかクッションの上に上手く着地して、生えたての歯でそのクッションを噛んでソフィアの方へと振り向いた。
「お、奥様落ち着いてください! お嬢様は今眠られたところでして…」
「嘘おっしゃい!! どいつもコイツも私に刃向かって!! 知ってるわよ味方なんて居ないって事は!!」
「駄目です! 部屋に入られては!」
「邪魔をしないで!!」
私を背に庇うようにして両手を広げ、部屋の中へと通さないと抵抗するソフィアへ、ママがナイフを振りかぶった。
「ぁっ…!!」
もう二度とっ、死なせたりしない!!
「そふぁ!!」
「え…」
始めて私の口から飛び出した言葉らしい言葉にソフィアは驚いて振り返る。本当は「ソフィア」と呼びたかったのだけど1歳そこらの私には「そふぁ」が限界だった。
今こそ! 見よ! 赤ちゃんである私が会得した高速はいはいを!!
「あぶあぶあぶあぶあぶあぶあぶ!!」
クッションを噛みしめたまま全力前進大疾走ではいはいをしてソフィアの足に突進した。
「きゃあっ?!」
ソフィアの身体が傾き、後ろ向きに倒れてくる。そして、振りかざしたママのナイフはソフィアに当たる事はなく宙を振りかぶった。
更に、すかさず咥えていたクッションを身体をねじった反動で投げ捨てると、転んだソフィアの頭はクッションに支えられ、大怪我は免れた。
何が起きたのか分からず呆然とするソフィアとママ。
ふぅ! かなり疲れたけどなんとかなった! やっぱり身体を鍛えて居て良かった! 筋肉万歳!
「……私のアカチャン」
突如胸ぐらを掴まれて宙に持ち上げられた。
「ウィズお嬢様!」
ソフィアが悲鳴をあげるが、どうやら転んだ時に腰を強く打ってしまったようで、起き上がる事が出来ずに藻掻いていた。
そして…私を掴みあげて笑っているのは……私のママだった。
長く美しい黒い髪、グレーの瞳の奥は血のように赤く光り、真っ赤に塗られた口紅はとても妖艶だった。豊満な胸を惜しむ事なく見せた身体のラインがよく分かる黒いドレス。
目元に隈を貼り付けて、ママは美しい顔でにたりと笑った。
「みぃつけた…」
魔女の姿にゾッと鳥肌がたった。
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