1-1 目が覚めると辺境伯の令嬢に産まれていました


 おはようございます。


 貴女にこの声が聞こえているかは分かりません、この事を覚えていてくれるかもわかりません。

 けれど、言葉を残していきましょう。


 貴女はこれからきっと「不思議だ」と思う出来事に幾度となく直面する事でしょう。

 それはきっと偶然の連続だとも、夢かもしれないとも思うかもしれない。

 世界には既に理が存在し、貴女はその理の中で生きていく事になります。


 どうか不思議だと思った事をそのまま当たり前なのだと呑み込まないで欲しいのです。

 貴女が直面する偶然は必然で、貴女が既に得ている「情報」には意味があるのです。


 絡み合った糸の様に混ざり結びあって醜く見えるかもしれません。

 けれど、その糸の全てをほどき終えた時、その糸は綺麗な一本の糸として貴女に繋がっている。


 全ての存在にもまた意味があります、当たり前の理にも裏があります。

 矛盾を疑い謎を解き、どうか貴女の力で未来を切り開いてください。


 さあ、心の準備はよろしいですか? 

 この言葉が、これから産まれ来る貴女の記憶の片隅にどうか残っていますように。

  


 ──おかえりなさい。










<Now Roading・・・>












 この物語は勇者達の最後の決戦から始まった──。




 燃えさかる炎に焼かれ崩れ落ちていく街、人々の阿鼻叫喚が轟く地獄絵図のような光景、そして逃げ惑う人々を背に庇いながら勇敢に戦う四人の英雄達。


 彼らが対峙しているのは、この世界を混沌へと誘う──魔王。


 魔王の咆哮は天を裂き、稲妻が大地に弓矢の如く降り注ぐ。口から溢れ出す紫色の毒々しいガスは触れた者の皮膚を焼いた。


 真っ黒な影のような姿、頭には鋭く尖った角が二本あり、身の丈十メートルはあるかという巨大な獣。血のように赤い目を光らせ、その目に捕らえられた者は皆その命を散らした。


 魔王と呼ばれる獣はある日突然世界に現れて、世界を喰い滅ぼしていく存在。圧倒的で残虐な殺戮の前に世界は為す術無く破壊されていく。

 魔王は狂気を振るって大地と命を踏み荒らし、今まさに世界を終焉へと導こうとしていた。


 そんな絶望に染まる混沌の中で、一筋の光が果敢にも魔王に立ち向かっていた。



「今だ! ヴォルフ!! クラリス!!」


 漆黒の竜騎士【ディオネ】が大剣を魔王の尾に突き刺し意識を反らす。


「言われずとも分かっている!!」


 王国一の実力を持つ天才魔法使い【ヴォルフ】が、ひび割れ今にも砕け散りそうになっている魔法の杖を魔王へと翳し呪文を唱えた。


「魔王よ! 今度こそ深淵の底へ眠りなさい!!」


 聖女と崇められる緑の治癒術士【クラリス】も己に残された最後の魔力を振り絞り、封印の呪文を詠唱した。

 魔王の足下に魔方陣が浮かび上がり、その魔方陣は真っ白な光を帯びて一閃を放ち魔王の身体に光の鎖となって絡みついた。


 そして、ヴォルフは大きな声で叫んだ。


「行け!! ファンボス!!」


 その瞬間、彼らの背から一人の男が空高く飛び上がった。


「光の大精霊よ! 今こそ魔王を封印する時! 力を貸してくれ!!」


 光の大精霊に選ばれし勇者のみが握る事を許される聖剣を振りかざし、勇者ファンボスは魔王の額目掛けて聖剣を突き刺した。


『グオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』



 聖剣が突き刺さった魔王の額から光りが弾け飛び、魔王は藻掻き苦しんだ。

 そして、物語は勇者一行が魔王を封印する事に成功し、めでたしめでたしで終わる……筈だった。


『ユル……サ……ナイ………』


 あれ……【私】はこのお話知らないよ? だって『ゲーム』ではここでフェイドアウトして、本編のタイトルコールが始まる筈なのに。


 勇者に封印される直前に、魔王が忌々しげに何か言っているだなんて知らない。


 勇者ファンボスは魔王にトドメを刺そうと飛びかからんとした仲間達を片手をあげて制止させ、訝しげな表情で魔王を見つめた。


「今、なんと言った?」

『ヒカ、リ……メ』


 魔王は聖剣の光に呑まれて、砂のようにボロボロと崩れ落ちていく身体を自らの爪で引き裂き、そこから滴り落ちた黒い血を爪に染み込ませて、勇者の身体を引き裂いた。


「ぐあああああああっ!!」


 勇者の身体に黒い煙が纏わり付く。

 そして、魔王の身体はザラザラと音をたてて光の中へ消えて行き、最期に笑った。




「我ガ………───メ、ヨ」




 瞬間、目の前が真っ白に染まる。


 そして、目を開けると、私は何も無い真っ白な部屋の中で一人ぽつんと立っていた。


 あれ? やっぱりおかしいな、このげーむの最初にこんなシーンあったかな? 確かに私は何度もやりこんだという訳じゃないし、一番好きな攻略ルートも、誰も攻略せずにみんな仲良しの友情ハッピーエンドだったからなぁ、知らないシーンがあっても不思議じゃない?


 あれ? げーむって何?


 この世界にげーむなんて無いし、それにさっきのオープニングムービーにいた勇者様達だって実際にこの世界にいるし。


 あれ、待って、おかしい、頭の中の情報がごちゃごちゃだ。


 ふわふわとした浮遊感に包まれながら段々と意識が鮮明になってくる。

 そうだ……私は眠っていたんだ、起きなくちゃ。

 じゃあさっきのは夢で…目が覚めたら現実なんだ、目が覚めたら学校に行かなくちゃ。


 あれ? 学校ってどこだっけ? 



 わたしの名前……なんだっけ?













【01.目が覚めると辺境伯の令嬢に産まれていました】












「あぶ……」


 目を開けた瞬間目映い光が飛び込んで来た。


 ここはどこ? 私は誰?


 お決まりの台詞を思い浮かべながらどういう状況なのか整理しようと思考を巡らせる。けれど、不思議な事に考えれば考える程頭の中から記憶が抜け落ちていくような感覚に襲われる。


 あれ……私さっきまで何か夢を見ていたような? でもどんな夢だったかな、もう分からないや。


 段々と光に目が慣れてくると、二人分の人の顔が興味深そうに私を見下ろしている事に気がついた。

 一人は老齢のお爺ちゃん、黒の燕尾服を着ており、恭しげに隣の人物に頭を下げていた。


 そして、その隣に立つもう一人は、私を見下ろしながらニコリともせずに、ただ黙って凝視していた。

 サファイアのように煌めく青い瞳と、光に透けて光る銀の髪。


 直感で分かった、この人は私のパパなのだと。


 私は今、ふかふかの布団の上に寝かされ、周囲を幾重にも連なる木の棒に囲まれている状況だった……うん、普通に考えてもこれはベビーベッドという物なんだろう。

 どうして私がここに寝かされているのか知りたくて、目の前にいる二人に手を伸ばして話しかけてみる事にした。


「あぶ~ばぶばぶ」


 呂律が上手く回らない、言葉は【知っている】のにそれを形に出来ない歯痒さ。


(あの、私なんでベビーベッドで寝かされているんですか? 此処は何処ですか?)


「あぶあぶ~ばぶぶぶぶっ」


 やはり言葉が口から発言されない、出てくるのは舌っ足らずな赤ちゃんのような声で……ん? 赤ちゃん?

 天に伸ばされた自分の手を凝視する………小さい、とてつもなくミニマム、触れれば折れてしまいそうな程細く小さな指、生まれたてのようなつるつるなお肌……もしかしたら、生まれたての【ような】ではないのかもしれない。


 その時、銀髪の男の人…私のパパであろう人がずいっと私に顔を近づけてきた。

 その青い瞳に自分の顔が鏡のように映り込んで見えた。


 ぽしゃぽしゃな産毛の水色の髪、ぷっくりと膨らんだまんまるなほっぺ。二頭身しか無い小さな身体。大きなまんまるな瞳は青く、何度も瞬きして驚いていた。


「ばぶーーーーーっっ!!」


(あああああ赤ちゃんだーーーっ?! 私赤ちゃんになってる?! なんでどうしてどうして?!)


「ご息女様は元気なお子でなによりでございますね、ヴォルフ様」

「…………」


 パパの名前はどうやらヴォルフと言うらしい。

 私がじっとパパを見つめていると、パパは視線を逸らす事もせずに私を凝視している。


「泣かないな」

「そうでございますね、赤子というのは寝る事と泣く事が仕事と言いますが、お嬢様は生まれた時こそ泣きましたが、今は落ち着いて泣きませんな、ふふ……まるでヴォルフ坊ちゃまの産まれた時のようでございます、爺は忘れもしませんぞ」

「もう坊ちゃま呼びは止めろ」

「ホホ、失礼しました。今ではポジェライト辺境伯当主様でございましたね」

「これの名は」

「奥様がいくつか考えていたようですが、ガーネット、スピネル、スフェーンなどでしたが」


 それを聞いてパパは難しい顔をした。


「何故宝石の名前ばかりなんだ」

「レベッカ様がお気に召している宝石なのでは?」


 パパは今一度私を見つめ、ゆるりと私の頭に手を伸ばした……けれど触れる前にピタリと止まり、その手を引いた。


「撫でて差し上げないので?」

「……脆すぎる」


 パパは黒のローブを靡かせ、私に背を向けて部屋の外へと歩き出した。


「名前は【ウィズ】だ」

「おや、奥様が決めた名前はお気に召さないのですか?」

「……前からそう決めていたのだとレベッカに伝えておけ」

「かしこまりました」

「乳母はソフィアに任せる、レベッカには出来るだけ休息を」

「はい、執事長に伝えておきましょう」


 扉が閉まる直前、聞こえてきたのは無情な言葉。


「女として産まれたのならこのポジェライト領で生きるのは辛いだろう、必要とあれば養子に出しても構わない」


 パタン…と乾いた音をたてて閉まる扉の音。


(パパ……一度も撫でてくれなかった)


 女だとこの場所では生きられないと言っていた、脆すぎるとも言っていた。


「ばぶぶ?」


(強くなれば……パパに撫でてもらえるし、ここにずっと居ても良いって事かな?)


「ばぶ!」


 俄然やる気が湧いてきた! 小さな手でぐっとガッツポーズを取り、短い足をばたつかせた。


「ばぶばぶぶ~!」


 パパと仲良くなれるように頑張ろう~! お~!

 小さな拳を掲げ、私はやる気に満ちたばぶ声をあげた。


 だから誰も気づかない、何故産まれたばかりの赤子が言葉を理解しているのかという不思議に。


 理解している事といえばウィズと名付けられた名前がなんだかとてもしっくりとしているという事と、パパにはじめてもらったプレゼントが嬉しくて嬉しくて顔のにやけがおさまらないという事であった。

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