第55話 この界隈の片隅で

 楊蘭華ヨウランカこと悠然ヨウランが勇次から戦輪を奪い取ったときから大門啓介はそれが自分に向けられるであろうことは覚悟していた。案の定、緩い弧の軌跡で向かってくる刃、それを避けんと彼はその場にしゃがみこむ。ついに目標を失った戦輪は大門啓介の頭上を通過してミエルたち三人に向かって来た。


「晶子、危ない!」


 ミエルが制止する間もなく晶子は前に出てその刃を右腕で払う。彼女の腕が斬られた。ミエルはあまりの怒りに我を忘れて悠然ヨウラン目掛けて突進した。しかし一歩届かず、立ちはだかった高峰勇次にあっさりと返り討ちにされてしまった。

 床に転がるミエル、それを余裕の体で見下ろしながら勇次は言った。


「勇敢なバニーちゃん、よく見てみろ。あの忍者ガールをよ」


 尻もちをついたままミエルが振り返るとそこには何事もなかったかのように右腕を振りながら体勢を整える晶子の姿があった。


「晶子、君の腕は……」


 晶子は戦輪を払った右腕を見せながらにやりと笑って見せる。その前腕には薄っすらと紅い筋が浮かんではいるもののほぼ無傷だった。その様子に高英夫こうひでおもまた驚きの声を上げた。


「やっぱり防刃だったのか、その全身網タイツは」

「えっと、なんとか繊維ってママが……」

「ケブラー繊維だ。すごい、すごいよ晶子!」


 晶子の言葉を引き継いでミエルもまた驚嘆の声を上げた。

 一方、彼女が腕で弾き飛ばした戦輪はミエルたちを拘束していた鉄パイプのやぐらに突き立っていた。手錠を外そうとミエルが櫓を揺すったときにできたジョイント部分の隙間、軌道を変えた刃がうまい具合にそこに刺さったのだった。

 突然のドタバタ劇から我に返った勇次が楊蘭華ヨウランカこと悠然ヨウランに詰め寄って叱責する。


「蘭華、お前の名前が何だろうとそんなことはどうだっていい、お前はお前だ。だがな、啓ちゃんを狙ったのは許せねぇ」


 自分よりも長身な勇次を前にした悠然ヨウランは怯むことなく身を翻して彼の背後を取った。彼女がその背から半歩下がった次の瞬間、勇次の身体からだが硬直した。天井を見上げてまるで池の鯉が餌を求めるが如く口をパクパクさせている。続いて手足がピンと張り詰めるとすぐさま完全に脱力し、間もなく突っ伏すように床に崩れ落ちた。そしてそこには勇次に代わって不敵な笑みを浮かべる悠然ヨウランの姿があった。その手には長さ八寸のステンレス鋼の針が握られており、針の先端は赤く染まっている。そう、彼女は隠し持っていた暗殺用の針を使って高峰勇次の呼吸中枢を破壊したのだった。


「勇次、勇次っ――!」


 既に動かなくなった勇次に向かって大門啓介が声を上げる。


 「中国女、貴様だけは許さん、絶対にだ」


 大門啓介は絞り出すようにそう言いながらふらつく身体からだに鞭打ってやぐらまでたどり着くとそこに突き刺さった戦輪に手を伸ばした。一方ミエルは目の前に転がる高峰勇次の遺体に動揺しながらも大門啓介の動きを見逃さなかった。


こーさん、晶子、大門にあれを取らせちゃいけない!」


 ミエルがそう叫ぶやいなや素早い行動を示したのは晶子だった。刺さった戦輪を引き抜こうと大門啓介が腕を伸ばしたそのとき、晶子は電光石火の速さで櫓の前に飛び込んでいた。そして彼が輪に手をかけると同時に晶子はスタンガンをパイプに押し当ててスイッチを押した。

 弾ける火花と乾いた炸裂音、同時に大門啓介の叫び声がルームに響いた。戦輪を掴んだまま上体をのけぞらせて痙攣している。晶子が電極をパイプから離すと同時に大門啓介は床の上に転がった。


「一日に二度もショーコちゃんの電撃を喰らったんだ。もう十分懲りただろう。とは言え俺はもっと喰らったけどな、この野郎に」


 高英夫こうひでおはここぞとばかりに大門啓介に近づいては白目を剥いて失神したその身体からだを足蹴にした。


「ところで少年少女、さっきから気になってるんだけど君らはあの中国人と顔見知りなのか?」


 高英夫こうひでおの問いにミエルが答えた、悠然ヨウランが打って来るであろう次の一手を見逃さないよう注意を払いながら。


「ええ、ボクだけでなく晶子も彼女のことを知っています。今はママが所有者になっているカフェがあるんですが、ボクも晶子も、そして彼女もかつてそこで働いていたんです」

「それであいつはドラッグパーティーの元締めだったし」


 すると高英夫こうひでおは思い出したように声を上げた。


「ちょっと待ってくれ、それって紅茶だハーブだって偽ってドラッグを提供してたって事件だよな。首謀者は若松わかまつ海斗かいと、当時は連盟の稼ぎ頭って言われてた男だ。でもヤツはその事件の最中に何者かにられたって聞いたぜ」

こーさん、なぜそこまで詳しいんですか?」

「ああ、それはな、若松の野郎が店を立ち上げるときにショーのオファーがあったんだよ。それで現調したらばとんでもなく場違いじゃねぇか。メイドの衣装を着た店長が優雅にチェンバロだか何だかを鳴らしてんだぜ、あそこで緊縛ショーはねぇだろ、ってことで丁重にお断りしたわけさ」


 ミエルは薄ら笑いを浮かべたままこちらの様子をうかがっている悠然ヨウランに気を許すことなく話を続けた。


「そうだったんですか。もしこーさんがその仕事を請けていたならもっと早くお知り合いになれてたなんて、新宿って広いようで狭いんですね」

「まあな。この界隈の片隅でシノギを削ってる俺らアングラな連中なんてみんなどこかで顔見知りってことだ。とは言え中国人やら外国人の連中はまた別だけどな」

「ちなみにその若松に違法なハーブを卸していたのがあの人だったんです」

「それで殺したのもだし」

「おいおい、穏やかじゃねぇなぁ……って、ちょっと待て、もしかして次は俺らの番ってことか、既に高峰はられちまったしよ」

「ええ、かも知れません。だから今はちょっとピンチです」


 ミエルは丸腰ではあるが悠然ヨウランの攻撃に備えて身構えた。すると悠然は手にしてた針を投げ捨てて両手を挙げながらこちらに近づいてきた。


哈哈ハハハ小兔女郎小さなバニーちゃん、もう武器は持ってないよ、不要担心心配要らないね」

「ミエル少年、アイツはヤバいぞ、気を抜いちゃいけねぇ」

「縛り屋は男のクセに胆小的人小心者ね。そもそもウチもお前たちも目的は同じだったよ、敵対する理由がないね。さっきもウチは伊集院の小姐むすめを助けるのを手伝ったよ」

「でも一緒にいた高峰さんをこんな姿に……」

「ウチが欲しいのはカジノのデータだけ、この男はいらない、だから始末したよ」


 それだけ言うと悠然ヨウランは未だ警戒しているミエルたちを横目に倒れている大門啓介の傍らに立った。それを見たミエルが声を上げる。


悠然ヨウランさん、あなたは大門会長も……」

「お前は考えすぎだよ。このままだとまた面倒なことになるからそのへんに縛っておくだけ。縛り屋、そこの手錠を借りるね」


 悠然ヨウランはミエルと高英夫こうひでおの拘束に使われた手錠、これも緊縛ショーの小道具ではあるが、を手に取ると未だ意識がない大門啓介の足を掴んでルーフバルコニーへと引きずっていく。そして道中半ばでミエルたち三人を振り返って忠告にも似た言葉をかけた。


「お前たちもここから逃げることを考えるべきよ、警察が来る前にね」

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