第54話 樹大招風

「大門、てめえ、そんなもんどこから手に入れやがったんだ」

「ふふふ、警察内部にも少なからず私への協力者がおりましてね、これはそんな連中が提供してくれたものです」

「それにしても回転式のニューナンブならまだしも自動拳銃なんて……」

「この期に及んでおしゃべりで引き延ばしですか。しかし縛り屋、君に次の一手はあるのかね?」


 大門啓介がいよいよ引き金を引かんとしたそのときだった。目の前を素早い影が横切った。


「うぉっ……がっ、ぐわっ」


 驚嘆に続く苦悶の顔、手にした拳銃は床に転がり、反射的に思わず押さえた大門啓介の右手首からは鮮血が滴り落ちる。今、ミエルたち三人の足元に転がっているのは鈍い輝きを放つ血塗れたドーナツ状の円盤だった。


「あっ、あれは……」


 晶子は知っていた、その得物の持ち主を。彼女がミエルにそれを伝えようとしたとき、それよりも先に大門啓介がルームの入口に立つ陰に向かって声を上げた。


「勇次かっ。お前、裏切ったのか、俺を裏切ったのか!」


 こちらに向かって歩いて来るのは高峰勇次だった。大門啓介から距離を保った位置に立つ彼の背後では楊蘭華ヨウランカも腕組みして控えている。勇次はいつでも二枚目の戦輪を放てるよう腰のホルスターに手を置いたまま大門啓介を諫めた。


「啓ちゃん、子ども相手にお遊びが過ぎるぜ。それに拳銃なんて柄じゃないだろ」


 大門啓介は足元に落とした拳銃を拾わんと隙をうかがっていた。しかし勇次もそんなことはお見通し、残るもう一枚の戦輪に手をかけていた。ところが事態は思わぬ急展開、ここぞとばかりに踏み出して床に落ちた拳銃を蹴飛ばしたのはミエルだった。

 銃は衝撃で暴発、晶子と高英夫こうひでおのみならず大門啓介までもが弾を避けようとその場で飛び上がる。完全に持ち主を失った拳銃はねずみ花火のように回転しながらさっきまでミエルを苦しめていた忌まわしいツイスターゲームのシートの向こうまで転がっていった。


「バ、バカモノ、銃に衝撃を与えるヤツがあるか!」


 思わずミエルを𠮟りつけたのは大門啓介だった。


「ほんと、あんたってロクなことしないし。てかあいつは敵っしょ、そんなヤツに怒られるなんてマジでバカだし」

「ご、ごめん……」

「でもよ、これで大門は正真正銘の丸裸、拳銃どころか腹心の部下までいなくなっちまったんだからな。ざまあみろだぜ」


 そんな軽口を叩く高英夫こうひでおを大門啓介は苦虫を嚙み潰したような顔で睨み返しながら言い放った。


「いいか貴様ら、俺はまだ負けたわけじゃないぞ、いや勝負にもなってないさ」


 大門啓介は我が身の安全確保のために勇次と高英夫こうひでおの双方に気を向けながら続けた。


「これまでに地上げした土地はダイモングループの手にある。お前たちがどんなにあがこうともそれは変わらん。芥野あくたのの権利書? そんなものは必要ないさ。火でも放って更地にしてしまえばいい。後は地面師の連中がうまくやるだろう。俺のため、そして俺たちのために建てる牙城だ、合法的に進めたかったが今や手段など選んでいられるものか」


 大門啓介が言葉を荒げるとともに興奮も高まっているのだろう、高峰勇次が放った戦輪で負った傷からの出血がいや増す。それを止めるために彼はハンカチーフを手にすると左手と口を使って器用に右手首を縛り上げた。


「なあ勇次、思い出さないか、俺たちがまだ駆け出しだった頃を。斬った張ったでこんなケガはしょっちゅうだった。そのほとんどは武闘派の勇次、お前でさ、俺が手当したもんだよな」


 大門啓介が始めた突然の昔話、それは同情と油断を誘うためなのか、それとも本心からなのか、高峰勇次は決して気を抜くことなく彼の言動に耳を傾けていた。


「覚えてるか、勇次。俺はいつも言ってたよな、お前と吾郎それに亜梨砂、お前たちを俺が必ず引っ張り上げてやるってよ。住んでる場所がちょっと違うだけなのに散々俺たちをバカにしてたヤツらをさ、高みから見下ろしてやろうじゃないかってな。その夢が叶うんだ、あの引地ひきち地区に俺のビルが、ダイモンタワーが建つ。俺はこの夢のためならなんだってしてきた、これまでも、そしてこれからもだ」


 自分語りで感極まったのだろう、大門啓介は天井を見上げて息をついた。すると今度は高峰勇次が語り始めた。


「違う、違うぜ、啓ちゃん。あんた変わっちまったよ。少なくとも以前はそんなじゃなかった。ワルでもワルなりの矜持ってもんがあったろ。侠気ってもんもあった。だけど今の啓ちゃんは昔の啓ちゃんじゃない、ワルじゃなくてあくになっちまった。少なくとも火付けだとか拉致なんてことは言わなかったじゃないか」

「勇次、俺はもっと高みを目指すんだ。代議士の山鯨やまくじらを抱き込んだのだってそのためさ。そしていずれはこの東京を意のままにする、もう誰にも蔑まれることがないようにな。勇次、悪いようにはしない、だからもう一度俺について来るんだ」

「それでこれからも裏の仕事をさせようってのか。もうたくさんなんだよ」


 高峰勇次はそこまで言うと隣に控える楊蘭華ヨウランカに顎で合図する。すると蘭華は足早に大門啓介のプライベートルームである十二階へと向かった。


「勇次、お前はあの女に篭絡されたな」

「なんだって?」

「女が欲しいのはお前じゃない、カジノの利権だ。だがな、顧客データを手に入れたからってそうそうシノギにできる代物じゃあないんだ。ダイモングループが築いてきた顧客との信頼関係は強固だ、昨日今日始めたヤツなんか相手にされるものか。そんなことは勇次、お前だって百も承知してるだろう」

「だから俺も蘭華とともに行くんだ。実質的にカジノを仕切って来たのはこの俺だ。俺の信用と中国人の組織力、この二つが揃えばどうにでもなる。それにな啓ちゃん、俺だって高みに昇りたいんだよ、啓ちゃんとは別の高みにさ」


 二人がそんな会話をしているうちに蘭華が小脇にノートパソコンを抱えて戻って来た。


「バーテンダーのお嬢さん、そんなもの持ち出してどうなるって言うんだ。そもそも大事なデータをパスワードも暗号化もなしで保持しておくほど我々は愚かではないのだよ」


 大門啓介がそう忠告するも、しかし楊蘭華ヨウランカは余裕の笑みとともに平然と答えた。


「ウチの組織には専門家がいるね。それもひとりふたりじゃないよ。その気になればこの国の国家機密にもアクセスできるだけの技能があるね。それに……」


 楊蘭華ヨウランカは抱えたノートパソコンを持ち替えると、空いた利き手で勇次の背中のホルスターからもう一枚の戦輪を抜き取った。


「蘭華、何してんだ。おもちゃじゃねぇんだぞ」


 勇次の言葉などどこ吹く風と言わんばかりに蘭華は手にした戦輪を構えた。


「昔話はもうたくさんね。連盟にも伊集院にも、もちろんウチらにも関係のないことだよ」


 つまらなそうな顔で蘭華が放った言葉に大門啓介が声を荒げた。


「連盟、伊集院、それに勇次まで……中国女、貴様は何者だ!」

「ウチの本当の名前は悠然ヨウラン楊蘭華ヤンランホワなんて仕事するだけの名前ね。そして大門ダーメン大人ダーレンshùzhāofēng、この国の言葉で言うなら、そう、『出る杭は打たれる』ね」


 ついに真名まなを明かした悠然ヨウランは眉ひとつ動かすことなく大門啓介に向けて戦輪を放った。

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