第50話 お嬢さま攻防戦
ドアノブに手をかけたまま扉の向こう側の様子をうかがおうと晶子は耳を澄ます。微かではあるが男の声が聞こえた。一人、二人……三人まではその声で判別できたが果たしてそれだけだろうか。ダイモンにとっては切り札の人質が逃げてしまったのだ、もしかしたら総動員で待ち伏せしているかも知れない。
「晶子さん、他にどこか逃げ道はないのですか?」
晶子の狼狽ぶりを見て取った伊集院祥子が声を潜めて問いかけた。
「この下に地階があるけど行ったことないし」
「ならばそれに望みを託しましょう、一縷の望みを」
確かに彼女の言う通りだ、ここで手をこまねいていても何も解決しない。もう前に進むしかないのだ。二人は足音を立てないように、そして待ち伏せされているかも知れないことも想定しながらゆっくりと地階への階段を下りて行った。
そこにはビルの集中管理室があった。ガラス窓の向こうには白髪に作業服姿の熟年男性が一人いるだけだった。廊下にはいくつかの鉄扉が並んでいるが静まり返ったそこに人の気配は感じられなかった。とにかく扉を一つ一つ確認しなくてはならないのだが、まずは管理室の作業員をなんとかせねばならない。
「悪いけどあのおじさんには少しだけ寝ててもらうしかないし。祥子、これはあたしの仕事だからね」
晶子がその場で待てと祥子の前に手を差し出すと彼女もそれに呼応して頷いた。こんなときはかえって普通にふるまう方がよいのだ。それは以前にミエルから教えられた話、それを肝に銘じながら晶子は何食わぬ顔で管理室のドアを開けた。
スマートフォンの画面を見つめていた男性が顔を上げる。そこには全身網タイツにレザージャケットの見知らぬ姿。彼はそれが男か女かの判断をする間もなく胸元に衝撃を受けた。そして声を上げることもなくその場に脱力する。後には彼が手にしていたスマートフォンが床に落ちる乾いた音だけが残った。
OKサインをしながら管理室から出て来た晶子と伊集院祥子は手分けして並ぶ鉄扉を開けようと試みる。しかし全ては施錠されていた。廊下の果ては行き止まり、やはり逃げ道などここには存在しなかった。
「しょうがない、やっぱ行くしかないし」
「ですわね、ワタクシも覚悟を決めましたわ」
「じゃあ、行こう!」
二人は今来た階段を今度は一気に駆け上がった。
再び外への出口である鉄扉の前に戻った二人はそこで最低限の申し合わせをする。晶子はスタンガンを片手に話を続けた。
「まずはあたしが出て行く。とにかく目の前のヤツにこれをお見舞いするし。あたしは二丁持ってるから頑張れば三人はやれると思う」
「もちろんワタクシも晶子さんの援護をしますわ。これで相手を怯ませてあとは晶子さんのその武器で、そうですねぇ、ワタクシの目標も三人にしようかしら」
「うん、いいね……てか、ちょっと待つし。トドメはあたしが刺さなきゃなんだから都合六人ってこと? マジで?」
「大丈夫、晶子さんならできます。さあ、参りましょう」
妙にやる気満々の祥子に背中を押されるようにして晶子は思い切ってドアを開けて外に飛び出した。
はたして目の前では三人の黒服が待ち構えていた。
「おい、出て来たぞ……ぐわっ!」
まずは一人目、エントランス周辺の守備を固める仲間に晶子たち二人の登場を知らせようと声を上げた喉元にスタンガンの一撃がさく裂した。大柄な男が小柄な晶子の目の前で崩れ落ちる。黒服たちは揃ってスーツ姿だ、ジャケットの上からでは効果を見込めない、とにかくワイシャツか地肌を晒す首から上を狙わなくてはなのだ。小柄な晶子はうまい具合に二人目の懐に入り込んでジャケットの隙間からワイシャツ目掛けて電極を押しあてた。
一人、二人、そして三人までは首尾よく倒すことができた。残るは五人、しかし敵も馬鹿ではない、不意を突かれたとは言え三人の仲間が倒されたのだ、彼らは晶子たちから距離をとって身構えた。
髭面の男がジリジリと間合いを詰めながら身構える。男は着ているジャケットを脱ぐと闘牛士がそうするように自分の
するとついに髭面が晶子目掛けて飛び込んで来た。思わず身を護ろうと腕を前に出す晶子だったがその視界が闇に包まれる。男は晶子にジャケットを被せることで彼女の攻撃を封じたのだった。
「ヤバッ、やられる」
「ぐおっ!」
晶子が男からの次の一手をかわそうと身をすくめたそのときだった、男のくぐもったうめき声が聞こえた。
「晶子さん、今です!」
晶子の隣でモップを構えた伊集院祥子が声を上げる。彼女は晶子を守るため髭面の顎を目掛けて渾身の突きを打ち込んだのだった。視界を遮るジャケットを放り投げると晶子は腰をついて戸惑う髭面の胸元にスタンガンを押し当てた。
これで四人、ちょうど半分、残るはあと四人だ。とにかく速攻、時間をかけてはいけない、晶子は前方回転とスライディングを駆使してもう一人を仕留めた。
三人の中の一人がジャケットの内ポケットに手を入れてスマートフォンを取り出した。おそらく救援を呼ぶつもりだろう、しかしその様子を伊集院祥子は見逃さなかった。
「エイ――ッ!」
気合いの声とともに青年の手元を打ち払うと続いて咽頭に突き、眉間への攻撃、そして最後の仕上げは渾身の横振りでこめかみを打ち払った。青年が倒れたその場には持ち主がいなくなったスマートフォンだけが転がっていた。
「このやろう、伊集院の娘だろうが容赦しねぇぞ。会長からは殺すなと言われてるが構ってられるか」
屈強そうな男が祥子のモップを無理やり取り上げるとそれをあさっての方向に投げ捨てる。丸腰になってしまった祥子、男がその肩に掴みかかろうとしたときだった、晶子の目の前で屈強な男の
「ハイ――ッ!」
再び祥子の気合一発、男は受け身を取る間もなくアスファルトの上に背中から落下した。その高さたかだか数十センチメートルだったとは言え、無防備な彼へのダメージは十分だった。やはり伊集院祥子は薙刀も合気道もどちらも有段者並みの腕前だったのだ。
「晶子さん、お願いします」
「はいよっ」
我を忘れてその技に見とれていた晶子は伊集院祥子の言葉で我に返ると、立ち上がろうとしている男の首筋にスタンガンの一撃をお見舞いした。
「うぉらぁ、てめえら、調子こいてんじゃねぇぞ」
残るは一人、その一人が刃渡り一〇センチほどのナイフを手にしてそれを振り回す。
「晶子さん、危ない!」
男の刃が晶子の上腕部をかすめる。しかし皮膚にうっすらと赤い線が浮かびはしたもののダメージらしいダメージはなかった。
「そういえばママが言ってたっけ、この網タイツみたいなのはなんとか繊維だって」
晶子はスタンガンを前に出して攻撃をかわしながら男に迫る。しかし敵も負けてはいない、振り回される刃のおかげで晶子は男の間合いに飛び込むのに苦労していた。
とにかくこれ以上長引かせるのはマズい、早く決めなくては。焦り始めた晶子だったがその決着はあっさりとついてしまうのだった。
声も上げずにその場に崩れた刃物男、その後ろに立っていたのはフレンチメイドスタイルですりこぎ棒を手にした森下美月だった。
「へへへ、ルナティック・レスキュー、再び見参、ってね」
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