第46話 ルナティック・レスキュー

 中国人で拳法使いの女性と言ったらアイツだ、アイツしかいない。前の事件で暗躍した真の黒幕、中国人の黒社会だかのエージェント、悠然ヨウランだ。

 晶子はミエルから送られる映像でカジノでバーテンダーを演じる彼女の姿を目にしているし、もちろんそのときに傍受した会話で「目的は同じ」と言っていたのも聞いている。そんな彼女をどこまで信用できるのか。晶子は電話の向こうにママがいることなどすっかり忘れて押し黙ってしまった。


「ちょっとショーコちゃん、聞いてるの?」

「あ、すみません、今ちょっと考え事を……」

「しっかりして頂戴、これからあなたに大役をお願いするんだから。ショーコちゃんと中国人連中との間に少なからぬ因縁があることは私も知ってるわ。だけど今は私情を捨てて臨みなさい」

「はい、ママ」

「それともうひとつ、使いの者に道具一式を持っていくよう手配しておいたわ。さすがに丸腰ってわけにはいかないでしょ」

「ありがとうございます」

「とにかくこれは伊集院に恩を売る絶好の機会なの。うまくいけば今後の駆け引きを有利に運べるのよ。だからショーコちゃん、あなたの活躍に期待してるわよ」


 それだけ言うとママはさっさと通話を切ってしまった。ママの頭にあるのは金儲けだけなのだろう。しかし今の晶子は違う。クラスメイトである伊集院いじゅういん祥子しょうこを救いたい、それが彼女にとっての最優先事項だった。

 なにはともあれママが言う「使いの者」が来るまでは引き続きミエルから届く映像のモニタリングだ。それにしても画面に動きもなければ会話らしい会話も聞こえてこない。おそらく拘束されたまま放置されているのだろう。この状態を監視し続けることに意味を見出せずに気ばかり焦る晶子だったが、たった今、彼女の視界の端にブラックスーツの男が颯爽と歩いていく姿が映った。


「あの人は……確かダイモングループの幹部、名前は……高峰、高峰勇次、武闘派とか汚れ仕事専門って言ってたっけ。まさか、ミエルとこう先生を……だとしたらマジでヤバいし」


 男の視界には男装で立つ晶子のことなどまったく入っていないのだろう、脇目も振らずに速足でビルの裏手にある非常口のランプが点く鉄扉の前に立つとドアを開けて中へと消えていった。使いの者も来なければママが依頼した助っ人も未だ現れない、その上想定外の展開だ。晶子はますます焦りと不安を募らせるのだった。

 とにかく早く道具が欲しい、あれがなければ何も始まらないのだ。それにしてもママが言ってた使いの人とはやはりママの執事みたいなあの人、久米川くめがわさんだろうか、やたらと目立つリムジンを運転する。晶子はひとりそんなことを考えながら通りの向こうから大きな白いメルセデス・ベンツが姿を現すのを今や遅しと待っていた。



 高峰勇次がビルの中へと消えてから程なくしてのことだった、久米川が駆るママ愛用のリムジンとは別の意味で目を見張る一台がこちらに向かってくるのが見えた。白いボディーにイエローバルブのヘッドライト、天井はまるでこうもり傘のような黒いキャンパストップのその車は車道を横切る酔客相手にクラクションを鳴らしながら登場した。


「まさか、あの車……いやいや、さすがにあれはないし」


 しかし晶子の杞憂は見事的中、その車こそがママが言う「使いの者」だった。まるで急ブレーキを踏むような勢いでダイモンエステートビルに横付けすると黒いキャンパストップが開いてそこから夜の歌舞伎町には不釣り合いなフレンチスタイルのメイドが顔を出した。


「ショーコ、ボクたちが応援に来たからにはもう安心だよ!」


 助手席の上に立って屋根から上半身を出して元気な声を上げるのはママが実質的な経営者になっている紅茶専門店ルナティック・インのメイドだった。ミエルと晶子にとっては中国人エージェントの悠然ヨウランよりもはるかに因縁深い彼女らがママに命じられて晶子に道具一式を届けに来たのだ。


「望月……じゃなかった、美月みつき、なんであんたたちが来るし」

「そりゃママに頼まれたらお店どころじゃないだろ」

「今夜はたまたまお客さまもいらっしゃらなかったので早仕舞いにしましたの」

「うちに客がいないのはいつもなんだけどさ。ね、蓮花姉れんかねぇ」

「ふふふ、美月ちゃん、それはちょっと言い過ぎじゃないかしら」


 おっとりした口調の蓮花姉ぇこと月夜野つきよの蓮花れんかとやたらと元気なボクっ娘キャラ、かつては望月の二つ名を名乗っていた森下美月みつき、そんな二人の登場で晶子の焦りも緊張感もすっかり出鼻をくじかれてしまった。

 呆然とする晶子をよそに月夜野は左ハンドルの運転席から舗道に降りると後部ドアを開けて晶子を招かんとエスコートする。キャンパストップの屋根から身を乗り出している美月とは真逆に月夜野のメイド服はビクトリア朝のそれだった。夜の歌舞伎町でこれはさすがに目立ちすぎるが、彼女らはそれを楽しんでやっているに違いなかった。


「さあ、こちらにお乗りになってくださいな」


 それにしてもなんという車だろう。鉄板を張っただけのようなボディーに窓はなぜか下半分しか開かない。勧められた後部座席も鉄パイプに布を張っただけのようなチープさだった。

 シトロエン2CV、それがその車の名だった。水平対向空冷二気筒の小さなエンジンが乾いたエギゾースト音を響かせている。それはまるで今風ではない奇怪とも思える姿だった。


「ママからのお届け物はそちらにございます」


 後部座席には大きな紙袋とタブレットが用意されていた。


「さあ、乗って、乗って」


 屋根から顔を出して美月が楽しそうに晶子を促す。


「ちょっと待つし。あたしはこれから着替えなきゃなんだよ。なのにこの車、中が丸見えじゃん」

「大丈夫、大丈夫、こんなこともあろうかと、ってね」


 美月は大きな暗幕を抱えながら笑った。


「こいつで目隠しすれば大丈夫。ほら早く、早く」


 晶子は一抹の不安を感じながらも後部座席に身を預ける。思ったよりも座り心地がいい。美月は「それじゃ行くよ」と言いながら後部座席全体を覆うように屋根の上から暗幕をかぶせた。


「さ、これで安心だろ、チャッチャと着替えちゃってくれよな」

「タブレットにママからの伝言も預かってますのでご覧になってくださいな」

「これからはボクたちがショーコとミエルを助けるからさ、そうだなぁ、ルナティック・レスキューって呼んでくれよな」


 何がレスキューだ。そもそも美月はルナティックの意味を解っているのだろうか。かつてはドラッグを扱っていた彼女らの店ルナティック・インは言いえて妙なネーミングであったが、その名をそのまま使うとは。しかし美月の能天気な態度はまさに名が体を表しているのかも知れない。

 晶子はそんなことを考えながらルームランプの薄明りの下で勝負服と道具が詰まった袋をがさごそと漁るのだった。

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