第47話 忍者ガールな女王様

「晶子さんのお仕事は私たちが引き継ぎますのでまずはママからのお話をお聞きになってくださいな」


 暗幕で目隠しされた後部座席で晶子は月夜野つきよのにそう促されて紙袋とともに用意されたタブレットを手にした。画面をタッチするとママの顔が映し出される。おそらくあらかじめ用意された動画なのだろう、晶子が再び画面にタッチするとママが晶子に向けて語り始めた。


「ルナティックの二人には晶子ちゃんもいろいろ思うところもあると思うけど、それはさておいて早速本題に入るわよ」


 いろいろどころではない。主犯は別にいたとは言えこの二人は兄を死に追いやった一派だったのだ、そう簡単に心を許せる相手ではない。しかしママにとっては自分もミエルも、それにかつては敵だったこの二人までもが今では手駒のひとつに過ぎないのだろう。そんなことを思いつつ晶子はタブレットの画面に目を落とすのだった。


「まずは袋の中身を見て頂戴。ショーコちゃんの勝負服と道具の他に新しい秘密兵器も用意したのよ」


 晶子が袋を漁ると革のベストとショートパンツ、それに同じく革製のグローブとショートブーツ、そしてこれが最も肝心なもの、愛用のスタンガン二丁が入っていた。しかしそれ以外にも決して手触りが良いとは言い難い網のようなものがあった。


「気付いたかしら? そこに入ってるのはアンダー代わりのトップスとロングタイツよ。ケブラー繊維のメッシュで今回のために特注しておいたの」

「ケ、ケブラー……って、それって何ですか?」


 晶子が画面のママに問いかけるも録画された動画から答えが返ってくることはなかった。代わってママからの説明が続く。


「向こうには刃物使いがいるのよ。ショーコちゃんも知ってるでしょ、番頭格の高峰勇次よ。万が一だけどあいつの得物とやり合うことになってもそれを着ておけば最小限のダメージで済むわ」

「ちょっと待つし、やっぱダメージあるのかよ」


 ママに聞こえないことをいいことに晶子は普段通りのタメ口でつぶやいた。


「突かれたり刺されたりには弱いかもだけど何も無いよりはマシでしょ。なによりその防具のお世話になることがないよう安全第一で逃げること、だけどミッションは確実にお願いね」


 ああ、やはりこの人は自分たちを道具にしか思ってないんだ。でも高校生にしては破格のギャラをくれるし、おかげで生活も楽なのだ、ここは割り切って考えよう、それが大人になるための第一歩なのだ。晶子は大きなため息とともに自分自身にそう言い聞かせると既に動画も終了して暗転したタブレットを後部座席に放り投げて袋の中身を座席の上にぶちまけた。

 男装から勝負服へ、晶子は下着だけの姿になるとまずはママが言う通りにケブラー繊維のメッシュに身を包む。細かい網目のロングタイツに続いてトップスの長袖は激しい動きに適応できるようその先端を中指に引っかける。そして黒革のショートパンツにベスト、そのポケットには一対のスタンガンと予備のバッテリーを収めた。


「お、マジでかっこいいジャン。ボクもママにお願いして作ってもらおうかな」

「ふん、あんたと仕事なんてまっぴらゴメンだし」

「なあショーコ、そろそろ水に流してくれよ。ボクも蓮花れんか姉ぇも反省して心を入れ替えたんだからさ」


 以前にこの二人が巻き起こした事件では何人も死んでいるし、その中には晶子の兄も含まれているのだ。いくら傀儡かいらいだったとは言えそれを水に流せなどとはよくも言えたものだ。晶子は自分の思いを口に出すことはなかったが、しかし冷めた目で美月を睨み返した。


「それじゃ行ってくるし」


 晶子は誰に言うともなくそうつぶやくと薄べったいドアを開けて舗道に降り立つ。すかさずキャンパストップから半身を乗り出してかぶせていた暗幕を取り払う美月、彼女は晶子を見下ろしながら能天気な声を上げた。


「やっぱいいなぁ、まるで忍者、みたいだぜ」

「う、うるさいし!」


 吐き捨てるようにそう言って背を向ける晶子に月夜野つきよのが慌てて声をかける。


「晶子さん、お待ちください。こちらをお持ちになって」


 下半分しか開かない運転席の窓を開けて彼女が差し出したのは小さな黒い革製の物体だった。それはSMショーの女王様が着けるような目元のみを隠すマスク、ベネチアンマスクと呼ばれるそれを持っていけと言う。


「これもママからの預かりものです。伊集院さんに身バレしたら困りますでしょ」

「身バレって、こんなもんで……てか、思いっきり恥ずかしいし」

「とにかくお持ちください。それではご武運を」

「ふん、勝手に言ってるし」


 運転席で一礼する月夜野のこともルーフから身を出して手を振る美月のことも顧みることなく晶子はダイモンエステートビルの非常階段へと急いだ。



 夕刻にミエルが撮った映像から建物の構造についてはおおよその見当はついているものの肝心な伊集院祥子の居場所はわからなかった。延々と続く階段に息切れしながらも少しばかり焦り過ぎたかと自責の念を抱き始めたときだった、晶子のスマートフォンが着信のバイブレーションに震えた。


「はい、晶子です」


 通話の相手は月夜野だった。


「たった今、ママから伝言がございました。ヘルプの方が九階でお待ちになっておられるとのことです」

「九階ね、わかったし」


 晶子は電話を切ると自分が今いる階数を確認する。六階、晶子は残る三フロア分を一気に駆け上がった。もしかするとそこに伊集院祥子がいるのかも知れない、期待と不安を抱きつつ晶子は九階の鉄扉の前に立った。顔バレすることを考慮して躊躇しながらも意を決してあの恥ずかしいマスクを着ける。


「向こう側が見えないドアは要注意だよ。こちら側に引いて開けるならまだしも向こう側に押して開けるときは敵が隠れてるかも知れないし、反撃されてドアに挟まれることもある。だからまずは少しだけ開けて隙間から様子を見るんだ」


 晶子の頭の中に以前ミエルが言っていた言葉が浮かんだ。このドアはどうだろう。ここは非常階段、ならばこちら側に開くことはないはずだ。晶子はミエルの言葉の通りまずはドアノブをゆっくり回してみた。案の定ドアは向こう側に押すようだった。まずは様子見だ、晶子はなるべく音をたてないよう少しだけドアを押してみた。

 すると向こう側から勢いよくドアが引かれる。思わず腕を持っていかれそうになった晶子は瞬時に手を離して後方に退いた。


辛苦了お疲れさん、やっと来たか。待ちくたびれたよ」


 ドアを開けて待っていたのはバーテンダー姿の悠然ヨウランだった。なんと隣にはダイモングループの番頭格、高峰勇次もいるではないか。まさか先回りされたのか、そして助っ人もこの二人にられてしまったのか。

 晶子の全身に冷や汗が滲む。すると悠然はどうぞこちらへと言わんばかりに腕を広げて晶子をエスコートするではないか。


不要担心心配要らない、ママから話は聞いてるね、ウチと勇次がお前を助けるよ」

「おいおい蘭華ランカ、こいつか? 子どもじゃないか」

是啊そうね、今夜はこの子がウチらの雇い主ね」


 両腕を組んで余裕綽々でそう言う悠然ヨウラン、勇次にとっては楊蘭華ヨウランカであるが、の言葉に呆れながらも高峰勇次は目の前に立つ小柄な晶子のスタイルに笑いをこらえるようにして言った。


「それにしても君のそれはいったいなんだ。忍者ガールか、それとも女王様か?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る