第37話 コノリーレザーの牢獄

「ねえ、タバシぃ、今度の試験が終わったらさ、タバシがバイトしてるお店で打ち上げとかしない?」

「いいね、それ」

「私も同意。ねえ、伊集院さんもいっしょにどう?」


 金曜日の放課後、連れ立って下校する伊集院いじゅういん祥子しょうこを囲む取り巻き連中が来たるべく試験の勉強どころかその後の話で盛り上がっていた。晶子が生活のためにアルバイトをしていることは学校も承認しており、その内容は飲食店、それも英国風アフタヌーンティーが売りの紅茶専門店ということになっているが、彼女らの誰一人として晶子が働く姿を見たものはいないのだった。


「タバシ、いいよね。一度あんたが働いてるところを見てみたいし」

「そ、そんな大したものじゃないし、ただのカフェ……ううん、むしろ喫茶店だし」

「でもさ、英国風なんだよね?」

「ってことはタバシもメイド服とか着てたりして」


 着てたりも何も、実際に着ていたことがあるのは確かだった。しかし自分のメイド姿なんて人に見せるようなものでもないし、そもそも飲食店で働いているというのはカムフラージュで、今はメイドの真似事などやってないのだ。

 晶子の本当の仕事は事件屋の後方支援担当、しかしそんなことは決して口外してはならない。そして彼女が働いていることになっている紅茶専門店とは、前の事件でママがせしめた、いや、買い取った「ルナティック・イン」なる店だ。もし晶子が演技とは言えあの店に出るとなったらメイド服は必須だし店の連中にもしっかりと言い含めておかねばならない。しかしなにより面倒なのはミエルの存在である。そうなれば彼は絶対にしゃしゃり出て来るだろう。そしてその姿をこの連中に知られたらどうなることか。晶子は脳内で勝手に話を発展させてはひとり身震いするのだった。

 するとその様子を見るに見かねたのか伊集院祥子がやんわりと周囲を制した。


「みなさん、明日葉あしたばさんが困っているようですよ。お話はそのくらいにして、その前に試験のお勉強をしっかりやっておきましょう」


 そう言って伊集院祥子は晶子に目配せをして小さく頷くのだった。


 そんな他愛もない会話に興じながらも校門は近づいてくる。すると今度は取り巻き連中の視線が一点に向かう。そう、門柱の向こうで今日もまた晶子を待つ小林こばやし大悟だいごの姿があるのではないか、と。

 しかしそこに彼の姿はなかった。明らかに落胆する彼女たち。その中のひとりが晶子にすり寄ってなぐさめるように彼女の頭をなでた。


「よしよし、さびしいねぇ。おねえさんがなぐさめてあげよう」


 すると他のみんなも口々にという名のからかいとともに晶子の頭をなで回した。


「さびしくない、さびしくない」

「元気だせ、タバシぃ」


 ついに我慢の限界に達した晶子はみんなの手を振り払って声を上げた。


「あいつは今日はバイトだし。それにあんなヤツ、彼氏でもないんだから毎日待ち合わせなんかしないし」

「あ――っ、タバシったら大悟先輩のスケジュール、ちゃっかり押さえてるじゃん」

「ほら、やっぱつき合ってるんじゃん」


 しまった、つい口を滑らせてしまった。そう、彼の週末はダイモンのカジノへの潜入任務、しかし今日はめずらしくいつもより早く入店してくれとのメッセージが高英夫こうひでおから届いていた。だから今日はいつもの待ち伏せがないことを晶子は知っていたのだった。


「あの大門会長が直々に電話してきてな、何か裏があるのは見え見えなんだかここまで来たら乗ってやろうかって思ってるんだ」


 今日の午後一番にそんなメールが晶子やママにまで一斉送信されていたのだ、当然ながら晶子もまた彼らに合わせて早めに張り付いていなければならない。さあ、自分も急がなくては。


「今日はあたしも早出のシフトなのでここで失礼します。それではごきげんよう」


 晶子はそう言ってみんなを煙に巻くかのようにそそくさと校門を後にした。


 彼女が通学路に出るとすぐにクラシカルなクロームメッキのグリルを輝かせながらブリティッシュグリーンの高級車が学園の正門を目指して走ってくるのが見えた。歩行者がいようとも速度を下げないその車を避けんと晶子は思わず塀際に一歩引く。


「あれって伊集院さんのとこの車だよね。あれこそマジでメイドが乗ってそうだし」


 晶子は校門の前で停車したそれを一瞥すると振り返ることなくママのオフィスへと歩を速めた。



「それではみなさんごきげんよう」


 伊集院祥子が少し腰を落としてそう挨拶するとすぐさま左ハンドルの運転席から降りたソフトなリーゼントヘアの青年が後部座席のドアを開けて待つ。


「いつもありがとう」


 祥子は青年にそう言葉をかけるとコノリーレザーのシートに身を委ねる。窓の外には級友たち、車が静かにゆっくりと発進すると彼女は最後にもう一度窓の外に向かって会釈した。リアウインドウの先ではさっきまでいっしょだった取り巻き連中が彼女を見送っていた。


「白井さん、いつもありがとうございます」


 ハンドルを握っているのは白井しらい吾郎ごろう、祥子は彼に労いの言葉をかけると、今日これからのスケジュールを確認するためにカバンの中からスマートフォンを取り出した。

 一人娘ではあるが将来は伊集院グループを担うであろう立場の彼女には幼い頃から徹底した教育が施されていた。それは学業のみならずお稽古ごとやら何やら、中学生になってからはディベートの講習までこなしていた。今日の予定はまずは大学受験対策のセミナー、そして週末金曜日である今夜は食事を兼ねたマナー講座が控えていた。

 車は渋滞に巻き込まれることなく予定通りにセミナーに到着する。およそ二時間の講座を終えた次はレストランだ。場所は新宿西口の高級ホテル、食事を終えて講師に見送られた祥子が車に乗り込んだのはそろそろ夜の九時にならんとする頃だった。


「お疲れ様でした、お嬢様」

「白井さんこそ、金曜日なのにこんな遅い時間までご苦労様です。今日はお稽古ごとの薙刀も合気道もないのであとは帰るだけですね」


 後部座席でくつろぐ祥子の様子を確認した白井吾郎は伊集院家に向かって車を走らせる。しかし西新宿の手前で車はコースを変えてしまう。そして到着した先は裏歌舞伎町と呼ばれるエリアだった。華美な看板や下卑た電飾で彩られた店がならぶ一角に黒いミニバンが停まっているのが見えた。

 祥子を乗せた高級車がそのミニバンの後で停車するとすぐさまギャングの風体をした若者たちが降りてくる。祥子は危険を察して身構えるも運転席の吾郎は平然としていた。それどころか彼は集中ドアロックを解除してしまうのだった。同時に後部座席の左右から、そして助手席にも彼らは乗り込んできた。


「お嬢様、おとなしくしていれば危害は加えません」


 吾郎はルームミラー越しに祥子の様子を確認しながら抑揚のない声でそう言うと、先導するように動き出したミニバンの後について車を発進させた。

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