第36話 高峰勇次の矜持

 新宿は歌舞伎町にそびえる大門啓介の牙城であるダイモンエステートビル、そこで夜な夜な繰り広げられるカジノの賑わいを遠くに聞きながら彼は上階うえのペントハウスにあるホールに立っていた。

 ルーフバルコニーから射し込む街灯りが間接照明の代わりとなって部屋全体をほんのりと照らしている。会議に供する大型スクリーンの前には小さなドローンと地上げを成し遂げた暁に建設が予定されているダイモンタワーの完成模型が並んでいた。静まり返ったホールでずっとこちらに背を向けたまま押し黙っている大門啓介を前にしながら高峰勇次もまた緊張に満ちた面持ちでダークスーツをまとった男の言葉を待っていた。


「高峰君」


 大門啓介はこちらに背を向けたまま勇次の名を呼んだ。すぐさま姿勢を正す勇次に振り向くことなく彼は言葉を続ける。


「我々は本日限りで引地ひきち地区再開発プロジェクトから外れることになりました。これは決定事項だそうです」


 突然のことに高峰勇次は返す言葉が出なかった。そんな彼のことなどお構いなしに一方的な大門啓介の話が続く。


「あの地は地形を活かした公園にするそうです。耕作すらままならない谷戸の集落で地を這うように生きてきた先人たちの苦労も、その地に生まれたというだけで差別を受けてきた者たちの苦悩も、報われることなく埋め立てられて造成されてしまうのです」

「啓ちゃん、そんな話って……マジかよ」


 突然の話に勇次はつい普段の口調で聞き返した。しかし大門啓介は態度を変えることなくこちらに背を向けたまま答えた。


「伊集院はこちらの計画のおおよそを掴んでいました。私たちを外したのもそれが理由でしょう」

「計画って……タワー建設のことか、それともカジノの方か?」


 驚きのあまり少しばかり取り乱しての口調で話す勇次に対して大門啓介は相変わらずの口調で続けた。


「それだけではありません、山鯨やまくじらもです。あの男の首根っこを押さえられるほどの者があの政党にいるとは思えません。むしろ何か弱みでも握られたと考えるのが妥当でしょう。しかしそんなことはもうどうでもいい、問題はどこの誰がどれだけの情報を彼らに提供したのかということです」


 高峰勇次の中で答えはもう判り切っていた。カジノ入店時の身体検査は厳しい。身元も背景も徹底的に調べているし少しでも怪しい素振りを見せたならばそのときは自分の手で確実に始末してきた。しかしその網から逃れている者がいる、そう、あの縛り屋だ。なにしろ奴は芥野あくたの亜梨砂ありさと関係を持っていたのだ。それにあのバニーガールもひとクセありそうだ。

 高峰勇次は即座に理解した。縛り屋とバニーガール、そして本来は味方であるはずの連盟までもが大門啓介に敵対しているのだ。そして今、自分と楊蘭華ヨウランカもまた彼からの離反を計画している。それだけシビアな戦いが水面下で繰り広げられているのだ。負けてなるものか、勇次は今あらためて決意とともに生唾を飲み込んだ。


「高峰君、続けてよろしいですか?」


 言葉を失っているように思ったのだろう、大門啓介がようやくこちらに顔を向けて言った。


「君は何も考える必要はありません。私の指示に従ってさえいれば私も最後まで君を護り通します。さて、そこでです」


 大門啓介はひと呼吸置くと不敵な笑みを浮かべながら続けた。


「計画は変更しません。私は私のやり方で進めることにします」

「しかし、プロジェクトからは……」

「今言った通りです、計画に変更はありません。いや、ひとつだけありました。芥野あくたのの土地、あれは早々に更地にしてしまいます」

「ちょっと待ってください、権利書がまだ……」

「構いません、後のことはお抱えの地面師連中に一肌脱いでもらいます。高峰君はすぐに手配をしてください」

「わかりました、すぐに」

「それと……」


 大門啓介は再び勇次に背を向ける。おそらく良からぬことを考えているのだろう、勇次はすぐに察した。


「伊集院には確かひとり娘がいたはずです。彼女をここにお招きして歓待してさしあげましょう」


 何を言ってるんだ、そりゃ誘拐じゃないか!

 勇次は仕事を忘れてまたもやの口調で大門啓介に意見した。


「啓ちゃん、それだけはやっちゃいけねぇ。俺もいろいろやってきたさ、タタキだって殺しだって。でもそれは啓ちゃんの力になりたかったからだし、そのつもりでやってきた。だけどこんな俺にも矜持ってのはあるんだ。放火と誘拐、これだけは絶対にダメだって」


 大門啓介は肩を震わせることすらなく背を向けたままで言った。


「ですから君には頼みません。伊集院には草の者を送り込んでますから、彼らにやってもらいます」

「草って……啓ちゃん、吾郎にやらせるのか」


 吾郎、それは大門啓介が伊集院グループに送り込んだ青年だった。白井しらい吾郎ごろう、彼もまた引地ひきち地区で生まれ育った、彼らにとっては弟分にも等しい存在だった。


「ええ、そのための草です。彼はうまくやっています。今ではお抱え運転手として伊集院の娘の送り迎えをしているとか。まさにうってつけです」


 これ以上はもう話にならない。自分がいくら呼びかけても仕事モードのままでいる大門啓介には何を言っても無駄なことは誰よりも勇次自信が理解していた。


「啓ちゃん、ごめん。俺はもうあんたについて行けねぇ」


 高峰勇次は声に出すことなく心の中でそう言うと二人きりのその場を後にした。



 ペントハウスから自分以外の気配が消えたのを見計らって大門啓介はスマートフォンに登録された番号にタッチする。


「もしもし、私だ。白井君、いよいよ君に働いてもらうときがきたようだ」


 小さなスピーカーを通して少しばかり巻舌の声が聞こえてくる。


「了解だよ、啓ちゃん。お嬢さんを本社に送り届ければいいんだね。それでやるのはいつだい?」


 大門啓介が相変わらず淡々とした口調で命じると、やけに明るい声が返ってくる。


「今度の金曜日の夜だね。うん、わかった、何人かに声を掛けて手伝わせるよ。大丈夫、俺ら引地ひきちの連中はみんな仲間さ、何があっても裏切ることはないって」

「そうですか、それではよろしく頼みましたよ」


 伊集院の娘と縛り屋一派、この際まとめて片付けてくれよう。大門啓介はそんな思いを内に秘めながらひとり不敵な笑みを浮かべるのだった。

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