第26話 オマエはヘンタイか?

「よく撮れてはいるんだけど、どうにも決定打に欠けるのよねぇ……」


 その日オフィスに集まった皆の前でママは開口一番そうつぶやいた。彼女が落胆する理由は明白だった。せっかくの動画ではあるが肝心な大門啓介だいもんけいすけ本人の姿はおろか声すらも録れていないのだ、これでは件のカジノがダイモングループの手によるものである証拠にならない。


「とにかく大門啓介よ、あの男を引っ張り出す何かいい方法はないかしら」

「あのビルには増築したペントハウスがあるんですがヤツはプライベートはおろか会議もイベントも全部そこで済ませちまう。要するにヤツがペントハウスから出て来ることなんて滅多にないんだ。カジノでトラブルが起きたとしても番頭の高峰が処理しちまうしな。だから大門啓介を引っ張り出すってのは相当に厄介だぜ」

「はぁ――、これは持久戦になるのかしら。できればそれは避けたいんだけどなぁ」

「同感です。ミエル君のバニーだっていずれは飽きられるだろうし、とにかく長引くとロクなことにならねぇ」


 オフィスに重たい空気が流れる中、突然思い出したように高英夫こうひでおが口を開いた。


「そう言えば連盟の例会ってのがあったっけ。もし大門啓介が出てくるとしたらそのときだ。ママはご存知ですか、連盟トップのこと。新宿の半グレ集団を束ねてる正体不明の人物で会頭なんて呼ばれてるんです。何やら不気味な能面を着けてて決して素顔を見せない、いい歳して中二病を拗らせたようなヤツなんです。それで三ヶ月ごとに例会と称してその会頭とやらに収支報告するんですよ」

「あら、こう先生はずいぶんとお詳しいのねぇ、連盟の事情に。でも今はそんなことはどうでもいいわ、それでその四半期決算みたいなのが次に開かれるのはいつなのかしら?」

「俺もさすがにそこまでは……」

「そう。いずれにしても大門に直接アプローチのは無理筋ってことね。それにあの連盟とか言う連中には深入りしたくないし」


 そんな二人の様子をぼんやりと眺めていたミエルにママがいきなり水を向ける。


「ところでミエルちゃん。あなた、ステージの合間は何をしてるのかしら?」

「控室で待機してます、秘密兵器がバレちゃうといけないのでおとなしくしてるんです」

こう先生もかしら?」

「俺はラウンジで軽く飲んだり、まあ、そんなところです」

「そう。それならミエルちゃん、あなたもそうしなさい。カジノなんで滅多に見る機会はないでしょうし、ジャマにならないように適当に見学して回るのよ」

「でも、高峰って人にチビッ子はうろうろするなって……」

「ミエルちゃん、あなたのミッションは何だったかしら? とにかくカジノに来ている客たちを片っ端から撮ることのはずよね。ダイモンの番頭に義理立てなんてしなくていいの、わかったわね」

「は、はい」


 あの高峰って人はどうにも苦手だ、そんなことを考えながらミエルはそれでもミッションのために身体からだを張って臨もうと心を決めるのだった。



 そしてまた週末がやって来た。金曜日、最初のステージを喝采の下に終えたミエルはママの言葉にしたがって次のステージまでの間にカジノの様子を探ることにした。それにしても露出度が高いバニーガールスタイルで歩き回るのは少しばかり恥ずかしいが、しかしこれも仕事なのだ、奇異な目で見られるのもショーで慣れっこではないか。ミエルは気持ちを切り替えてゲームが行われているテーブルを覗いて回った。

 両手に女性をはべらせてブラックジャックに興じるホスト風の男、豪快にチップを賭けては負け続けている恰幅のいいおじさん、ひたすらルーレットの赤黒ベットに興じる三人組の若手サラリーマンなどなど、この街にしてはまだまだ早いこの時間では大物と言える客の姿は見当たらなかった。

 そろそろ小腹が空いて来る頃だ、ミエルは軽い食事でも摂ろうとカジノを見下ろせる上階のラウンジを目指して赤い絨毯張りの階段を上がっていった。



 ラウンジの人影はまばらだった。ここに集まる客たちの目的はカジノ、悠長に酒を飲む者などいないのだろう。ミエルは吹き抜けを見下ろせる席に着くとすぐさまラウンジの全体を見渡してみた。カウンターの中にはバーテンダーが一人、そしてその片隅、端の止まり木ではブラックスーツの男がグラスを傾けていた。

 あれは高峰勇次だ。彼は不測の事態に備えてここに待機しているのだろうか、時折バーテンダーと言葉を交わしている。そしてバーテンダー、キリっとした細身の姿はどこか女性的な雰囲気を漂わせている。もしかしてあの人は……ミエルは少し離れたその席からもっとハッキリ見ようと目を細めた。

 その瞬間、今の今まで高峰とフランクに接していたバーテンダーがこちらの様子に気付いた。柔和だったその顔が豹変する。それはまさに獲物を狙う目、その睨みに捕えられたかのようにミエルもまた視線を逸らすことができなかった。

 バーテンダーは手にしていたグラスを置くとカウンターを出てこちらにやって来た。思わず身構えるミエルだったが、彼はにこやかな顔で尋ねる。


「ショーに出演されているバニーさんですね。お疲れでしょう、お飲みものはいかがですか? 軽いものですがお食事もご用意できます」


 声でわかった、やはりこの人は女の人だ。それにこの切れ長の目とツインのお団子ヘアは見覚えがある……そうだ、前のミッションのときのアイツだ、確か中国人の。でもどうして彼女がここに?


需要点菜时请叫我ご注文が決まったらお呼びください


 相手もすでに気付いていた、ミエルの正体に。かつてミエルと晶子にしてやられた屈辱、実害こそなかったものの忸怩たる思いは残っているのだ。だからこそ二度と勝手なことはさせるものか、そう考えた彼女はあえてこれ見よがしに中国語を使って見せたのだった。


「中国語、やはりそうだ。アイツの名前、なんだっけ……あ、思い出したぞ」


 ミエルは焦りながらもそれを気取けどられないように平静を装いつつ答えた。


「紅茶を、ストレートティーでお願いします。お茶は得意ですよね、眉月まゆづきさん」

「フフフ、それは昔の名前ね、そんなやつ、もういないよ」

「やっぱり……でもどうして、あなたがここにいるんですか」

「それはこっちが聞きたいね。ここは子どもがいるところじゃない。それにあの下品な見世物は何ね、你变态吗オマエはヘンタイか?」


 中国語混じりだからよくわからない部分はあったが、そのおかげでミエルは思い出した。


「確か悠然ヨウランだったっけ。この人は平気な顔して人殺しができるんだ、それに中国拳法も。ヤバい、マジでヤバい。これって、ピンチじゃないか?」


 気がつくと緊張のあまりミエルの肩と首筋には玉のような汗が浮かんでいた。それだけではない、衣装が覆う小さな面積のその中もまたびっしょりと濡れていた。

 すると程なくしてバーテンダーこと悠然ヨウランがティーセットを運んで来た。


「ここでは楊蘭華ヨウランカ、ウチとお前たちの目的は大概おそらく同じ。但是ただし、ウチのジャマをしないならば見逃しておいてやるね」



 同じ頃、ビルの外では晶子がファブレット片手にミエルから送られてくる動画と音声をモニタリングしていた。そして彼女もまたそのと声に愕然としてその場に固まってしまった。


「コイツ、この女、あたし覚えてる。前にミエルを拷問したヤツだ。中国人で名前は確か……悠然ヨウランだ。こんなヤツが出て来るなんて、これってマジでヤバいし」


 目的は同じと言っていたけれど、でも今の時点ではその真意はわからない、敵なのか味方なのかすらも。とにかく晶子は急いでこの状況をママに報告すべくポケットからスマートフォンを取り出すのだった。

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