第25話 密告と密会

 成文館学園せいぶんかんんがくえん高等部の土曜日は大学受験に備えての補習授業に充てられていた。特に三年生はその日に限って実力別にクラス分けされるのだが、ミエルこと小林大悟こばやしだいごはトップクラスとは言えないまでも上位のクラスに所属していた。

 普段の授業では悪友のヨシオがちょっかいを出してきたり放課後の予定の話を振ってきたりするおかげで適度な緊張感を保てているが、彼がいないこのクラスでは黙々と授業を受けるのみ、前の夜、いや今朝方未明まで裏の仕事をしていた大悟にとってこの時間は眠気との戦いだった。


「ふわぁ――」


 今日何度目のあくびだろうか、それでも大悟はなんとか眠らずに持ちこたえてはいたものの、所々で意識が飛んでしまうこともあってこの日の授業はさっぱり頭に入らなかった。そして放課後、今日もまた悪友からの誘いを断って大悟は晶子を待つために校門へと急いだ。



「ふわぁ――」

「あ――、タバシ、またあくび」

「ほんと、今日はあくびばっかだよね」

「どうしたぁ、タバシぃ」


 授業を終えて校門へを向かうご一行の中で明日葉晶子あしたばしょうこは授業中からずっとあくびの連続だった。それもそのはず、前の晩、いや今朝方未明まで彼女はカジノに潜入しているミエルたちのバックヤードを担って冷え込む夜の歌舞伎町に立っていたのだから。


「う、うん、ちょっと寝付けなくって」

「またまたぁ、寝付けなかったんじゃなくて寝かせてもらえなかったりして」

「え――っ、誰に、誰に?」

「さ――てね、でも、きっと今日も……」

「バ、バカ言うなし」


 取り巻きたちの茶化ちゃかしに辟易しながら言い返す晶子をグループの中心である伊集院祥子いじゅういんしょうこがそれとなくフォローする。


明日葉あしたばさんのお仕事はお客様という相手がいることです。どうしても予定通りにいかないこともあるでしょう、ご苦労お察ししますわ」

「あ、ありがとう……ふ、ふわぁ――」


 そんな彼女の言葉に助けられながらも、またもやあくびをする晶子だった。

 やがて彼女たちが校門に近づいたとき、その門柱に隠れるようにして立つ大悟だいごの姿が見えた。手を口にあてているところを見ると、おそらく彼もあくびをしているのだろう、それを見た取り巻きのひとりがさっそく晶子を囃し立てた。


「ほらやっぱり。絶対怪しいって、タバシと大悟先輩って」


 伊集院祥子を囲むにぎやかな集団に別れの挨拶を告げると晶子は大悟を振り返ることなく早足で帰路に就く。そんな彼女の後を追うように大悟も慌てて歩を早めるが、つい校門を振り返って二人を見送るご一行に軽く頭を下げた。


「余計なことするなし、ますますメンドいし」

「ご、ごめん……」

「とにかくさっさと帰ってひと眠りっしょ。今夜もあの変態ショーがあるし」

「変態って……あれは仕事なんだから」

「ハイハイわかりました、とにかく急ぐし」


 せっかくの気遣いが裏目になってしまった大悟を従えるように先を急ぐ晶子、どう考えてもお似合いの二人にしか見えない彼らを校門の前に立つ伊集院祥子は温かい目で見送るのだった。



――*――



 かつてはバブルの塔と揶揄されたタワーマンション、その最上階に高英夫こうひでおはいた。手のひらが汗で濡れてしまうほどの緊張感を少しでも和らげようと彼は邂逅する。


こう先生、クラウドってご存知かしら? これがそのクラウドサーバーにアクセスするためのIDとパスワードよ。ショーコちゃんが送ってくれた動画と音声のデータはこのサーバーに置いておくから好きに使っていいわ」

「でもそれはママが仕入れたネタだろう。それを俺に提供してくれるってのか?」

「もちろんよ。そもそもカジノに潜り込む算段をつけたのは他ならぬ先生よ、だからこれはその見返り分と考えてもらって結構だわ。もちろん間違いが起きないように先生はリードオンリー、読み込み専用になってるけどね」

「これはありがたい、実は秘密兵器を見せられたときからどうやったらデータをいただけるかってのをずっと考えてたんだ。これで大門にひと泡吹かせてやれます、マジで恩に着ます」

「詳しい使い方はショーコちゃん、あなたが教えてあげなさい」


 そして今、高英男こうひでおは連盟のトップに立つ会頭なる人物が待つ会議室に通されているのだった。すだれに透けて見える真紅の不気味な能面に緊張感はいや増す。


「サンプルを拝見、拝聴しましたが、思った以上によく撮れていて少々驚きました。きっとあなたにはかなり有能な協力者がいるのでしょう。しかしそんなことはどうでもよいことです、もしそれが我々に害を為す者とあらばただ潰すのみ、我々にはそれだけの力があるのです」


 ボイスチェンジャーを通しているとは言え物静かなその語り口にかえって凄みを感じながら高英夫こうひでおは思わず生唾を飲み込んだ。そして会頭の言葉はまだ続く。


「あなたもその世界ではそれなりに知られた存在、だからこそ今この場に立つことができている。ここに至るまでの経緯、経路については不問にしておきましょう、あなたの野心、いや、執念に免じて」

「ありがとうございます」


 郷に入っては郷に従え、連盟なんぞに頭は下げたくなかった高英夫こうひでおであるがここは敵の本拠地なのだ、彼は彼なりに大人の対応をして見せた。


 部屋を出るときにスピーカーを介して会頭の言葉が聞こえた。これから毎週末にデータを持って来ること、媒体は今回同様マイクロSDカードとすること、そして次からはそれをロビーの郵便受けに投函しておくこと。


「今日の謁見は特例である旨、肝に銘じておくのです、よろしいですね」


 すなわち高英夫こうひでおがこの不気味な巨漢と顔を合わせるのは今回が最初で最後ということだ。不気味なほど静かな部屋にオーロックが解除される音が無機質な音を響かせる。


「最後まで小者扱いかよ」


 高英夫こうひでおは独り部屋を出るとつまらなそうに靴音を響かせながら今は仮の宿としているビジネスホテルに帰るのだった。



「さて、いかがでしたかな、お二人さん」


 会頭の呼びかけとともに別室から出てきた二人、ひとりは何時いつ如何いかなるときも迅速に行動できるようにとスラックスにブルゾンの軽装で立つ長身の男性、それにもうひとり、バーテンダーの衣装の上から男性と揃いのブルゾンを羽織っているのはダイモングループの闇カジノでバーテンを務める女性だった。二人はともに中国人、女性は男性を小王シャオワンと呼んでいた。会頭の問いに女性が応える。


「驚いたね、まさかショーを演じる縛り屋がスパイの真似事をしているなんて、さすがのウチもまんまとやられたよ」

「ほほほ、凄腕の悠然ヨウランさんからそんな言葉が出るとは恐れ入りました」


 悠然ヨウラン、会頭の口から出たそれが彼女の真名まなだった。カジノのラウンジでは楊蘭華ヨウランカ、しかしてその実体は中国人組織の命を受けて仕事をこなすエージェントだった。


大姐ねえさん、私もサンプル動画を拝見しましたがとても素人の仕事とは思えません。ましてやあの縛り屋風情にできることとは……」

「ウチにはもうがついてるよ。一緒にいるバニー役の小娘、本当のスパイはあいつね」

「小娘って、まさか……」

对对そうそう、あの男女おとこおんなね。一度ならず二度までもと言いたいところだけど一定きっと目的は同じ、今回は見逃してやるね。ウチらのためにせいぜい働くがよい、加油がんばれ加油がんばれ好好干しっかりやれね」


 中国語が混じった二人の会話を聞いていた会頭がすだれの向こうからくぐもった声で伝える。


「兎だか鼠だかの扱いはあなた方におまかせします、大門啓介だいもんけいすけの処遇とともに。とにかくよい結果を期待していますよ」


 二人の中国人はすだれに向かって頭を下げると、バブルの塔と呼ばれる豪奢なマンションを後にした。

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