第24話 やっぱ罰ゲームだし

 白いクルーネックの七分袖のシャツに赤いタータンチェックのベスト、ボトムはモスグリーンのコットンパンツに足元は黒いズック靴、それでも隠し切れない中性的なイメージをカバーするためチョコレート色の薄手のブルゾンに同色のハンチング帽で完全武装した晶子は深夜の歌舞伎町、ダイモンエステートビルの前で待機していた。そしてママに命じられた通りファブレットなる大きめのスマートホンにも似たデバイスを手にしながら片耳にだけワイヤレスイヤフォンを装着してミエルから発信される動画と音声をモニタリングしていた。


「あのビルの周辺は夜中でも人通りが多いし警察のパトロールもあるのよ。だから深夜の歌舞伎町ではあるけれどそれほど心配はしてないの。ただしそれは男の人だった場合の話、だからショーコちゃんには徹底的に男装してもらうわ。この時期でも夜は冷えるから上着とズボンをうまく使って、あとはそうねぇ、帽子を深くかぶってみようか」


 こんなときいつもならば護身用に愛用のスタンガンを忍ばせる晶子だったが今回のミッションでは警察官から職務質問されることも考慮して完全な丸腰だった。それもまた彼女を緊張させる要因のひとつであったが、とにかく任務に専念することで不安な気持ちを紛らわせるのだった。


 最初のショーが始まる午後十一時までにはまだ時間がある。晶子は既に発信され始めているデータが最良の状態で受信できるポイントを探してみた。エントランスの周囲では受信状況はいまひとつ、やはり建物を出てすぐ目の前、車道と歩道とを分かつガードレールのあたりがいい感じだった。受信したデータは晶子のファブレットを中継点にしてママのオフィスに転送されている。さあ、あとはミエルのショーが始まるのを待つばかりだ。



 カジノフロアー全体の照明が落とされてソフトなダウンライトのみになる。やがてゆったりとした環境音楽にも似たBGMがショーの始まりを告げる。しかし以前の店で流れたようなビートの効いた曲もマイクパフォーマンスもここにはなく、テーブルごとのスポットライトの下で続けられているゲームの妨げにならぬようにと選曲されたやたらとソフトな曲調が逆に妖しい雰囲気を醸し出していた。

 それにしてもこんなところでよいのだろうか。演出とは言え声も上げるのだ、まるっきり場違いで客をシラけさせるのではないか。最悪「やめろ」の声がかかってしまうのではないか。今、ミエルの緊張は頂点に達していた。


「心配するな、俺を信じろ。大丈夫だ、しっかりエスコートしてやる。君は打ち合わせ通りにいい声で鳴いてくれればいいんだ」


 高英夫こうひでおはそう耳打ちすると、誰一人注目していないステージで仰々しく頭を垂れた。一方ミエルはチョーカーに仕込んだカメラを気にして小さなうさぎらしく小首を傾げる挨拶に留めていた。

 赤い荒縄を手にした高英夫はそれを二つ折りにして二本一組でミエルを縛り上げていく。こうすることで血管や神経への負荷を分散するのだ。縄が通されるたびにミエルは苦悶の声を上げる。しかしそれはまだ序盤、ここではまだ小さな喘ぎ声で十分だった。

 二重になった縄がミエルの股間、バニーの衣装が形作るVゾーンに食い込む。ミエルは小さな肩をビクンと震わせながら「あうっ!」と今日これまでで一番大きな声を上げた。その声に反応したのだろうテーブルを囲んでいる何人かの客がステージを気にし始めた。

 いいぞ、ここからだ。ミエル君、頼んだぞ。そんな思いを込めながら高英夫こうひでおはミエルの露出した柔らかい肩に鞭を振り下ろす。それはバラ鞭、打ち付ける瞬間に手首を返すことで音だけは派手なもののミエルへのダメージは最小限だ。しかしそれでもミエルは打たれ責められているように声を上げて演じるのだった。


「あ、あう……あ、あ、あ――っ」


 妖艶な声が響くたび、一人また一人とゲームの手を休めた客たちがステージの前にやってきた。賭けに興じる客のために黙々とゲームを続けるディーラーたち、好奇と劣情の目を輝かせて集まる者たち、そんな様子を上階のラウンジでグラスを傾けながら見下ろす客たち、それは不連続の連続、ミエルと高英夫こうひでおを取り巻くこの空間は今、客それぞれがバラバラながらもひとつの感情を共有する不思議な一体感に包まれていた。


「ひぎっ、あっ、ああ――!」


 最後にフックと滑車の力を借りて瞬時に逆さ吊りにされて露わになったミエルの股間に鞭が振り下ろされる。革が叩かれる乾いた音とともにミエルが断末魔の悲鳴を残して気を失ったところでショーはクライマックスを迎えた。そして照明が再び明るく照らされると客たちも正気に戻ってゲームのテーブルに戻っていく。誰も顧みることのないステージでぐったりとしたミエルの小さな身体からだを抱きかかえながら高英夫こうひでおは終幕の一礼をして見せる。こうして初日のステージは成功裏に幕を閉じたのだった。



 時は同じく午後十一時、晶子は少しばかり冷え込んで来た歩道に立ってミエルと高英夫こうひでおの演技の一部始終を見ていた。とは言え、ファブレットに映るのはミエル視点の映像である、衣装や身体からだの一部は垣間見えるもののその全体像が映ることはなかった。

 それにしても誰一人としてショーを見ていないではないか。これは失敗ではないのか?

 晶子がそう考え始めた矢先のことだった、やたらと艶めかしい喘ぎ声がイヤフォンから聞こえてきた。この声は明らかにミエルだ、前の事件であいつが拷問みたいな目にあったときの声と同じ、そうかさっきから聞こえるこの変な音はあの鞭の音だ。あの子、鞭で打たれながらこんな声を出してるんだ。


「やっぱ、変態女装Mおとこ男子だし」


 聞きたくもないのに聞かねばならない、そしてそれはいつ終わるともなく続くのだ。晶子にとってそれは苦行以外の何ものでもなかった。


「もうどんだけ聞かなきゃなのよ、あいつの喘ぎ声を。それにこのあとでもうワンステージあるなんて、こんなのマジ罰ゲームだし」


 画面を見ながら吐き捨てるようにそう言う晶子の耳に通信回線を通してママの声が割り込んで来た。


「さすがにこの時間じゃ客層もまだまだね。歌舞伎町なんて活気が出てくるのはこれからだろうし次のステージに期待かしら。晶子ちゃん、絵も音もしっかり拾えてるわよ。休憩中も油断できないからこのままもうしばらく頑張って頂戴。次の回が今日のラスト、それが終われば二人も引き上げて来るからそれまでの辛抱よ」

「はい、わかりました」


 晶子はやるせない気持ちで力なく返事する。そしてもう一度ため息混じりにつぶやいた。


「これって、やっぱ罰ゲームだし」

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