第17話 ボク、いけないこと言っちゃいました?

 伊集院会長ら御一行がママのオフィスを後にしたのはかれこれ夜の七時を回らんとする頃だった。ママがブラインドの隙間から眼下の舗道を見下ろすとそこでは夕闇に同化しそうな濃紺の大型セダンが今や発進せんと左ウインカーを点滅させていた。ママは自分のデスクに戻ると肩の荷を下ろしたかように首を鳴らしながらつぶやいた。


「あの連中ったら、ほんと、簡単に言ってくれるわよね。相手はあのダイモングループ、それも闇カジノ、そんなところに潜入なんてそれこそ命がけの仕事よ」

「もしかして、またミエルが行くんですか?」


 空になった湯呑を片付けながら晶子がママに問う。


「今度ばかりはとても無理だわ。カジノでしょ、メイドってわけにはいかないし、そもそもコンパニオンにしても客にしても、あの子では見た目が幼な過ぎるのよ」

「確かに、ですね」

「なにより問題はそのカジノがどこにあるか、よ。これから探さなきゃだし難問山積みだわ。でもね、ボヤいてばかりいても仕方ないし、できるところからやるしかないわね」


 そう言いながらママはスマートフォンを手にすると登録されている番号に電話する。相手はママが事あるごとに利用するダイニングカフェだった。


恭平きょうへいちゃん、ごぶさた……ええ、なんとかやってるわ。それでこれからなんだけど、私とうちの子たち二人……そう、例の席で……それがね、ちょっと困った話なのよ。恭平ちゃんにも相談したいことがあって……うん、OKよ。それじゃあよろしく」


 ママは電話を切ると続いてまたどこかに電話する。どうやら今度の相手はミエルのようだ。


「ミエルちゃん? 緊急招集よ、すぐに恭平ちゃんのとこに行って頂戴……うん、大丈夫、話は通ってるから。こっちもすぐに出るわ。遅れないようにね」


 ママは電話を切るとすぐに出かける準備を始めた。


「さあ、ショーコちゃん、行くわよ」

「えっ、あたしもですか?」

「当然よ、これから大事な作戦会議なんだから」



――*――



 LGBTタウンとしてもその名が知られる新宿二丁目、目抜き通りの交差点にほど近い一角にその店はあった。


「いらっしゃい、お待ちしてました」


 さわやかな笑顔で出迎えたのはこの店の店長、恭平きょうへいだった。クルーネックの白いシャツに黒のベスト、頭に載せた小振りのパナマ帽は彼のトレードマークだ。糸のように細い目をより細くして目いっぱいの笑みを見せながら恭平は観葉植物に隠れた席を指してオネエ言葉で対応する。


「例のテーブルを用意しておいたわ。先にミエルちゃんがお待ちかねよ」


 ママがこの店を利用するとき、それも例のテーブルを指定するときは大抵は混み入った話をするときであることを彼は知っていた。


「さあ奥にどうぞ、人払いはしておくからごゆっくりね」


 そう言ってキッチンに引っ込もうとする恭平をママが引き止める。


「もしかしたらあとで声をかけるかも知れないわ。そのときはよろしく」

「あら、何か面白そうな話かしら。いいわよ、気軽に呼んでちょうだい」


 そんな二人のやりとりに目を丸くしながら晶子が声を潜めてママに問いかけた。


「あの……今の人って」

「恭平ちゃんよ。オーナーからこの店を任されてるの」

「もしかしてオネエとかオカマとか……」

「あのね、ショーコちゃん、この街はなんでもありなの、いろんな人がいるのよ。あなたも早く馴れなさいな」


 ママは奥の席へと歩きながらもその場で立ち止まって晶子に振り返って続けた。


「さっきの恭平ちゃんはね、ミエルちゃんが通ってる道場の師範代もやってるのよ」

「あ、あの人がですか?」

「そう、あの人が。ミエルちゃんは稽古をつけてもらったこともあるし、この街ではちょいとばかし名の知れた子なのよ。ショーコちゃんのこともあとで紹介してあげるわ」

「はい、よろしくお願いします」


 晶子はそこがダイニングカフェであることも忘れて元気よく声を上げて頭を下げた。


 緑の葉が生い茂る観葉植物の鉢に囲まれたテーブルにミエルはいた。相庵あいあん警部からのお小言が効いているのだろう、今夜の彼は小林大悟、男子高校生らしいコーディネートだった。そんな彼を目にしたママは開口一番、不満げな声を上げた。


「あら私はミエルちゃんを呼んだつもりなんだけど、大悟ちゃんに用は無くってよ」

「あの、これは、その……」

「まあいいわ、怖いおじさんに逆らっても良い事は何もないしね。でもそれも今日でおしまい、明日からはまたミエルちゃんになってもらうわよ」

「は、はい」


 ミエルこと大悟は有無を言わせぬママの言葉に思わず姿勢を正した。


 恭平の店で出される料理はどれも素晴らしかった。特に晶子は出されるものすべてに感動して、ついにはシェフからレシピのメモまでもらう始末だった。そんなにぎやかな晩餐を終えた三人を前にして恭平も席に着く。かぶっていたパナマ帽をテーブルに置くと彼は真剣な顔でママに向き合った。


「早速本題に入るわね。実は恭平ちゃんにお願いがあるのよ」


 いつもは居丈高なママのただならぬ雰囲気に恭平も真剣な眼差しで小さく頷いた。


「先日ある筋からこの新宿で闇カジノを開いている連中がいるって話を耳にしたんだけど、それがどこにあるのかを知りたいのよ。噂でも何でもいいわ、それらしい話を聞いたことはないかしら」

「スロットマシンやらを置いてこっそり営業してるってのは耳にしたことあるけど、本格的なのはちょっと……もし仮にあったとしても君子危うきに近寄らず、そういうことには関わらないようにしてるわ」

「そりゃそうよねぇ……それでも何か心当たりはないかしら」


 獲物を狙う蛇のようなママの視線に負けた恭平は渋々と口を開いた。


「そういえば政治家の先生なんかを集めて夜な夜な賭場が開かれてるって話を小耳にはさんだことがあったのを思い出したわ。でも場所まではわからない、ほんとに知らないのよ」

「なるほどね、で、どこの誰がやってるの?」


 恭平はイスから腰を上げると皆に顔を寄せるように言って続けた。


「Dとしか言えないわ。この世界は案外狭いのよ、妙なとばっちりは避けたいってのが本音なの。ママならわかってくれるわよね」


 するとミエルがいきなり声を上げた。


「ダイモングループ……ですか」


 その名を口にした途端、恭平が口元に人差し指を立てながらミエルに厳しい目を向けた。


「あ、あの、ボク、いけないこと言っちゃいました?」

「ミエルちゃん、どうしてアタシがわざわざぼかしたのか理解できないあなたじゃないわよね。壁に耳あり、障子に目あり、天知る、地知る、人が知る。いいこと、ミエルちゃん、楽しい高校生活を続けたかったらもう少し警戒心を持ちなさい」


 これ以上その名を口にするなとめずらしく真剣な顔で言う恭平の言葉にミエルはすっかり肩を落として意気消沈してしまうのだった。

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