第15話 明日葉晶子のモーニングサービス

 その夜、晶子はベッドに入ると早々に寝付いてしまった。やはりミエルがいることで安心しているのだろうか、しかし深夜にうなされて目覚めるかも知れない、ミエルはそんなことを危惧しながらベッドの傍らで静かに彼女を見守るのだった。

 明日葉晶子あしたばしょうこ、それにしても飾り気がない子だとミエルは考えていた。さっきだってそうだ、風呂上りに彼女が着ていたのは学校指定の体操着だった。


「だって動きやすいし、汗をかいても問題ないし」

「ってことはその体操着ってパジャマなの?」

「パジャマだし、部屋着だし、かな」

「でも、その、学校のってのは……」

「安いから部屋用に二着買ってあるし、って、そんなことあんたに関係ないっしょ」

「確かに合理的ではあるけど、でもなんかもう少し、その……」

「だからなんだし。もういいから今日はさっさと寝るよ、おやすみ!」


 そう言って晶子はテキパキとベッドメイキングをするとすぐに布団にくるまってしまった。


「早く電気消すし」

「はいはい、それじゃ晶子、おやすみ」


 ミエルの声に返事はなく、すぐに晶子は寝息を立て始めていた。カーテンの隙間から漏れる光が暗いモノトーンを描く部屋の中、そんな晶子の様子を見守りながらいつしかミエル自身もすっかり寝入ってしまったのだった。



 香ばしい匂いがミエルの鼻面をくすぐった。脂が焦げるような微かなそれはベーコンだろうか、イスに座ったまま眠ってしまったミエルは背中に軽い痛みを覚えながらその場に立って伸びをするとやけに殺風景な晶子の部屋を後にした。

 リビングに出てみるとキッチンではパジャマ兼部屋着の体操着にエプロン姿の晶子が朝食の準備をしていた。


「お、おはよう」


 ミエルが声をかけるも晶子からの返事はなく代わってフライパンで何かをかき混ぜる音だけが聞こえていた。それはスクランブルエッグだった。すぐ横に置かれた皿には既に焼き上げられたベーコンが載っている。そうか、さっきの匂いはこれだったのか。ミエルがぼんやりと様子を眺めているとすぐさま晶子の叱責が聞こえて来た。


「ちょっと邪魔、邪魔、いいからあっちで待つし」


 晶子はかき混ぜていた手を止めると出来上がった熱々の卵を皿に盛りつけながら顎でダイニングテーブルを指し示す。続いて冷蔵庫からアボカドを取り出して手早くカットするとそれをそれぞれの皿に盛る。するとちょうど良いタイミングでオーブントースターからチャイムの音が、そこでは厚切りのトーストが香ばしく焼き上がっていた。


「す、すごいなぁ、これ晶子が作ったんだよな、全部」

「当然っしょ、他に誰もいないし」

「それにしても、君は毎朝こんなに食べてるのか?」

「まさか、今日は特別」

「特別?」

「モーニングサービスみたいな……その……あんたへのお礼みたいなもんだし」


 晶子はミエルと目を合わせることなくそう言うと、できあがった皿をテキパキとテーブルに並べた。


「とにかくさっさと食べるし。食べ終わったらすぐにあんたは部屋に戻って準備っしょ。まさかそのままで学校はあり得ないし」

「う、うん」

「とにかく、昨日は、その、あ、ありがとう。一応お礼は言っておくし」


 やけに素直な晶子の態度にこそばゆさを感じながら、ミエルは熱々の朝食を急いで頬張るのだった。



 晶子と何事もない一夜を過ごしたミエルは小林大悟こばやしだいごに戻って今日もまた二人そろって登校した。いつものように授業を受けて、いつものようにカラオケの誘いを断っての放課後、そして今日もまた大悟は校門で晶子を待つのだった。

 夜、それは大悟のまた別の顔、今夜のバイトは英国風パブでのメイド役だ。その店ではシャルロットを名乗る彼はツインテールの銀髪ウィッグにママの趣味が思いっきり出たヴィクトリア調のメイド服を身に着けていた。「シャロちゃん」の相性で客受けもよく、「ミエル」とはまたひと味違った人気を得ていた。メイド役とは言えその正体は男の、すべてを理解しているこの店のマスターはそれでも人手が足りなくなれば力仕事をも彼にまかせるのだった。

 その日も客足が一段落した合間を見計らってビールケースを片付けようと店の裏手に出たときのことだった、裏口を出たすぐ目の前で彼を待ち構える人影があった。東新宿署の相庵あいあん警部だ。


「よお、今夜も飽きずに女装でバイトか。それにしても毎日毎日精が出るこった。ここではシャルロットだったっけか……まあいい、どこに行っても俺様から見ればお前さんはミエルだ」

「あ、警部さん、ご苦労様です」


 ビールケースを足元に置いて挨拶するや否や警部は突然ミエルの腕を掴んで自分の下へと引き寄せた。


「まったく懲りないガキだな、お前は。少しは身の安全ってものを考えたらどうなんだ?」

「な、なんですかいきなり」

「なあミエルよ、SMまがいのショーについてはとりあえず不問にしてやってるがな、問題はあの夜のことだよ。コスプレ姿のお前は客たちにしっかり見られてるんだ。最悪、事件に関係するやからたちにもお前さんの面は割れてるかも知れないんだぜ」

「ボ、ボクがですか?」

「ああそうだ。連中をナメるな、どこにヤツらの目があるかわからん」

「ちょっと待ってください、ボクには何がなんだかわからないです」

「とぼけるんじゃない。お前、引地ひきち地区の調査で妙な連中に絡まれただろ。あれは連盟の末席で占有屋まがいのケチな下請けをやってる連中なんだよ。それに今回の一件だ、ここまで言えばもう解るだろう」

「ダイモングループ……ですか」


 相庵あいあん警部はミエルを捕まえていた手を離すと今度は襟首を掴んでその顔を引き寄せた。


「とりあえずしばらくは夜のバイトを控えるんだ。ましてや女装なんぞ言語道断、ほとぼりが冷めるまで小林大悟こばやしだいごで生活するんだ、いいな」

「でも……」

「いいか、これは俺様の温情、特別サービスってヤツだ、本来ならば補導して保護観察ってところなんだ。だがな、あのママとの関係ってのもある、だから目をつぶってやってるってこと忘れるな。いいか、しばらくは自重するんだ」


 警部はミエルを突き放すと夜の街へと消えていった、「今日はおとなしく帰るんだ」の言葉を残して。

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