第6話 紅い能面の男

 ビルの九階と一〇階はその大半が吹き抜けとなっていた。一〇階は下階したを見下ろすようにぐるりと囲むギャラリーとなっており、ゲームに興じる客やメインステージで催されるショーを眺めながらドリンクと軽食を楽しめるラウンジが併設されている。そして九階、ここにはルーレットを中心としてカードゲームのみならずダイスを使ったクラップスと呼ばれるゲームまで用意されていた。そう、この場所こそがダイモングループのもうひとつの顔、裏の顔を象徴する闇カジノだった。

 その夜は大門啓介だいもんけいすけのプレゼンに集まった客たちのためだけに開帳されていた。彼らの多くはルーレットの前に集まっていたが、もの珍しいクラップスに挑む者やカードゲームを楽しむ者もいた。

 今宵は腕のよいディーラーが彼らを適度に遊ばせてくれるだろう。大門啓介はゲームに興じる客たちを冷めた目で眺めながら腹心の部下、高峰勇次たかみねゆうじに耳打ちした。


「私はこれから例会に出向かねばなりません。高峰君、ここはあなたにお任せしましたよ」

「承知しました」


 大門啓介と同じくダークスーツと黒ネクタイを着こなした勇次は静かに頭を下げて応えた。続いて勇次はインカムですぐに車を用意するよう命じる。そして直通エレベーターまで先導すると再び深く頭を下げて大門啓介を見送るのだった。



――*――



 新宿の喧騒から離れた地に立つタワーマンション、かつてバブルの塔と揶揄された地上三〇階建の最上階にその部屋はあった。ワンフロアを丸々占有するのは「連盟」と称する組織だった。

 新宿を根城とする半グレ集団がより上位に君臨する反社組織から我が身を守らんと結束を固めていった結果、いつしか彼らは緩やかな組織体となり、やがて「連盟」と名乗るようになった。

 組織を束ねる長はかしらと呼ばれていた。その役は暗黙の了解による持ち回り、彼らなりに平和的な運営だったが数年前から身の丈二メートルはあろう巨漢の彼が就任すると一気に様相が変わる。組織はより強固なものに、グループ間の相互監視による統制強化、いつしか連盟は地域の反社会的組織を凌ぐ勢いの集団へと変貌していった。

 以来、連盟の長に君臨し続けている彼は単なるかしらから会頭へと名乗りを変える。トレードマークは真紅の能面、獅子がその牙でかぶりつく様を表わすそれは獅噛ししかみが転じてしかみと呼ばれる。誰もが圧倒されるその面相に黒いスタンドカラーのジャケット、薄暗い部屋の中に浮かぶ不気味なその姿は相手に恐怖心を植え付けるための周到な演出でもあった。

 五〇帖を優に超える広大なリビングルームを改造した会議室には巨大な円卓が用意されており、上座にはすだれで目隠しされた会頭の席が用意されていた。彼は招集した幹部たちを前にしてもその素顔を決して見せることはないのだった。


 この日の招集は深夜零時、夜の住人である半グレ集団のトップたちを相手にする例会は三ヶ月に一度決まって真夜中に開催されるのだ。そこでシノギの収支と上納金の額を報告するのだった。

 大門啓介が最上階を専有する部屋の前に立って呼び鈴のボタンを押すと扉が静かに開く。すべてはオートマチックなのだろう、彼は少しばかり緊張して襟を正すとすぐに毅然とした態度で議場に向かった。

 部屋では十数名の半グレたちが既に席に着いていた。大門啓介はこの日最後の到着だった。彼はすだれの向こうに座る会頭に一礼すると円卓の左右それぞれ並ぶ面々にも小さく会釈して指示を待つ。


「大門君で最後だね。さあ座りなさい」


 ボイスチェンジャーを介しているのだろう、すだれ越しに聞こえるくぐもった声に従って大門啓介は革張りのチェアーに腰を下ろした。


 会頭に指名された半グレたちが次々と定例の報告をしていくが、三人目のデリバリーヘルスを仕切る男の内容に会頭は疑問を呈した。前回に比べて明らかに上がりが落ちているのだ。すると男はえらく緊張した面持ちで釈明を始めた。


「それが、ここのところモグリでをしてる小娘どもが居りまして、そのうちの一人をとっ捕まえて締め上げてやったんですが、どうやらバックに他所よそからの新参者が絡んでるようでして……」

「それが言い訳になるとでも? 武闘派のどなたかに共闘を仰ぐ手もあるでしょう、なによりそのための連盟です。それともあなたでは役不足だったという判断でよろしいですか?」

「い、いえ、それが、バックについてるのが関西系の組織でして迂闊に手が出せないんです」

「なるほど、そういうことですか。仕方ありませんね、その件はこちらで善処しましょう。ただし少なくない人数を動かすことになります、次回はそれ相応の額を収めていただきますが、それでよろしいですね」

「は、はい、ありがとうございます」


 会議は淡々と進む。やがて大門啓介の順番が回って来た。


「大門です。今回の収支は……」

「そう言えば、例の件は順調ですか?」


 大門啓介が報告をしようとしたそのとき、すだれの向こうから彼の言葉を遮る声が上がった。今日これまでの報告の中で会頭が自ら問いかけてきたのはこれが初めてだった。


「はい、滞りなく」

「そうですか。野心家だった若松君現在いま、大きなシノギを担っているのは大門君、あなただけです。期待していますよ」

「ありがとうございます」

「ところで大門君、資金繰りの方はいかがですか?」


 なぜ会頭はそんなことまで聞いて来るのだろう。この会議では上納金の額とその裏付けとしての収支報告だけでよいはずだ。ましてやこちらの台所事情にまで口を挟んでくることなどあり得ない。いったいどうして……大門啓介の胸に一抹の不安がぎった。


「ご心配には及びません。資金は潤沢、当社の事業の妨げになる障害はありません。それに余興の方も好評です」

「余興……ああ、カジノですか」

「はい。もちろんこちらもいざというときの切り札になり得ます」

「そう言えばその余興とやらに政権与党の代議士が通い詰めているという噂を耳にしましたが」


 なるほど、会頭が探りを入れてくるのはこれが理由か。確かに引地ひきち地区の事業では利益誘導の代償に多額の政治資金提供をしているのは確かだ。そうか、会頭はダイモングループが連盟を出し抜いて政界、財界に進出するのではないかと勘ぐっているのだ、そうに違いない。

 そして大門啓介の杞憂は的中した。案の定、会頭は彼に警告ともとれる言葉を投げかけた。


「大門君、身の丈を超える相手に臨むときには十分な注意が必要です。流れが君に向いているときならばなおのこと。好事魔多し、せいぜい足元に気を付けることです。これは私からの忠告と考えてください」


 その言葉を最後に深夜の例会は幕を閉じた。

 やはりそうだ、会頭は何か嗅ぎつけているのだ。なにが噂話だ、もしかすると自分に向けて連盟から草が放たれているかも知れない。厄介な問題に加えて獅子身中の虫までも、大門啓介はひとりため息を吐きながら今一度襟を正して既に主の去ったすだれに向かって頭を下げるのだった。

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