第2話 ミッションは社会科見学

 そこは新宿一丁目、新宿御苑にほど近いこのあたりは事務所向けの小ぶりな雑居ビルとマンションが立ち並ぶ、中心街の喧騒からは少し離れた静けさが漂う街だった。そんな中に残る古ぼけた小さなビル、五階建ての最上階に看板すら出さずに構えるオフィスでミエルこと小林大悟こばやしだいご明日葉晶子あしたばしょうこはママと名乗る妙齢の女性から今日これから行なうべきミッションの説明を受けていた。


「この辺りを二人でぶらぶらして適当に写真を撮って来て頂戴」


 ママはブラウザに表示されたマップを印刷した紙をデスクに置くと蛍光色のマーカーペンで蛇行する一本道をなぞるように塗りつぶす。続いてその道沿いの一軒の建物に丸印をつけた。


「特にここ。この物件は全景だけでなく周囲の様子も撮って欲しいの」

「ここに何かあるんですか?」


 大悟の問いにママは厳しい視線を返す。


「今回のミッションは今言った通り、そのエリアに行って写真を撮って来ること、それ以上でも以下でもないの」


 ママの厳しい口調にこれ以上の詮索をすべきでないと察した大悟と晶子はすぐさま現地に向かう準備を始める。するとママがまたもや厳しい口調で大悟を呼び止めた。


「ちょっとミエルちゃん、あなた大悟ちゃんのままで行くつもり?」

「えっ?」

「これは仕事よ」

「わ、わかりました。すぐに着替えて……」

「わかれば結構。そうそう、どうせ着替えるのなら学校の制服にしなさいな。それならば二人揃って高校生の社会科見学に見えるでしょ。とにかく自然に振る舞って、なおかつさっさと済ませて欲しいのよ」


 これは何かある、ママは絶対に何かを企んでいる。そう察したのは大悟だけでなく晶子も同じだった。しかしミッションの遂行に余計な先入観など持つべきではない。もし万一の事態に陥ったならば、そのときは何も知らない方がよいのだ。まさに知らぬが花、この仕事に関わるようになってから二人はそれが我が身を守る術でもあると実感していたのだった。



「お待たせ」

「ほんと、待ったし。てか写真撮って来るだけなんだからメイクまでしなくてもいいし」

「でも、それは女の子のたしなみとして……イテッ」

「てか、あんた、男だし!」


 部屋のクローゼットに仕事用と称して隠してある成文館高校の女子用制服に着替えて大悟からミエルに変身した彼の髪は栗色のツインテール、ウィッグに加えてごくごく薄いすっぴんメイクまで施していた。一方で本当の女子である晶子はノーメイク、彼女は釈然としない気分でミエルの腰にローキックをお見舞いした。



――*――



 武蔵野台地の東の果て、東京の下町が広がる低地へつながる入り組んだ地形はそのあちらこちらに谷戸やとと呼ばれる谷を形成している。今、ミエルと晶子が立つそこもまたそんな谷間に広がる町のひとつだった。

 幹線道路から続く下り坂の一本道を二人は並んで歩く。直線の緩い下り坂の先は右へ左へと蛇行しながら進み、気がつけば道の両側には古ぼけた木造モルタルアパートやらお寺や墓地などが連なる、お世辞にも明るいとは言えない独特の雰囲気に包まれていた。


「ねぇミエル、ほんとにここでいいんだよね?」

「う、うん、ママがくれた地図は確かにここだよ」

「それにしてもなんとなく雰囲気暗いし……てか、ほらあの土塀を見るし。あの向こうってお墓じゃん」

「ほんとだ。なるほど崖の上にお寺があって裏手のこっち側が墓地になってるんだね」

「あたしはこういうの苦手。住宅街の真ん中にお墓なんてありえないし」


 文句ばかりの晶子を横目にミエルは道中の要所要所でスマートフォンのレンズを向ける。それにしてもこの道を歩いて数分が経っているが未だに人も車も見ていない。今ここを歩いているのはミエルと晶子の二人だけだった。

 やがて道の両側に狭小な看板建築の建物が現れ始める。数軒連なるそれらはみな飲食店、それも焼肉や焼き鳥の店ばかりだった。既に営業しているのだろう、香ばしい匂いに包まれながら二人はなおも一本道を進んで行った。


 いくつかのS字カーブを過ぎて、ちょうどこの谷の底のあたりに着いたとき、そこには古ぼけたトタンの平看板が目立つひときわ間口の広い建物があった。それこそがママがマップに印をつけた場所だった。「芥野あくたの紙業しぎょう有限会社」、白塗りの看板には黒い文字でそう書かれていた。

 建物の向かって左半分は事務所、そして右半分は倉庫だろうか、ロープで括られて積み上げられた古紙と小さなフォークリフトが一台置かれていた。

 ミエルは道を挟んで建物の正面に立ってその全景を撮影する。あとは事務所のあたりと倉庫らしき古紙置き場を撮っておこうか。

 ミエルがシャッターボタンを押そうとしたそのときだった、晶子が彼の手からスマートフォンを取り上げて制服のポケットに隠す。


「なんだよ、いきなり」


 不満げな顔を向けるミエルに晶子が顎で合図する。彼女が指したその先は事務所の玄関口、そこではいかつい風体の若者が顔を出してこちらの様子をうかがっていた。


「おいてめえら、写真撮っただろう」


 ミエルは慌てて両手を上げて何も手にしていないことを示しながら男の問いを否定するように首を振った。


「ここは女子供がうろちょろするようなところじゃねぇんだ。さっさと消えろ、っちまうぞ!」


 ミエルは晶子に袖を引かれながら、ひとまずその建物を後にした。


「うわ――、なんだったんだあれ、ちょっとピンチだったよ」

「でもいい感じに撮れたかも」


 晶子はそう言ってミエルのスマートフォンに今さっき撮った写真を表示してみせた。


「えっ、なんで? どうやって撮ったんだよ」

「隠すときにボタン押してみたし。撮れたらラッキーくらいの気持ちだったけど、撮れちゃったみたいだし」

「晶子、これはグッジョブだよ」

「ほら、まだ仕事終わってないし、とっとと行くし」


 今度は晶子が先頭に立って街並みを撮影していく。やがて一本道は鉄道線路のガードを以って終点を迎える。その左手には小さな児童遊園があり、そこにはここが歴史的建造物である旨の表示板があった。


引地川ひきちがわ親水公園、通称『小津おづ山』、えっと、なになに、ふ――ん、元々ここにも湧き水があったけど、それが枯れたので土を盛って小津山になったんだって。それに、晶子、ちょっと見てよ。今ボクたちが歩いてきた道は引地道ひきちみちって言うんだって」


 興味深げに書かれた内容を読んではそれをいちいち説明するミエルを押しのけて、晶子はそれらもすべて撮影するとスマートフォンをミエルに返しながら言った。


「はい、これでミッション完了、さあ帰るし。こんな場所とはおさらば、おさらば」


 晶子はさっさと先頭を歩くも、引地道ひきちみちと呼ばれる一本道を前にしてミエルを振り返った。


「でもあたし、なんとなくこの道は戻りたくないし」

「それはボクも同感、もう怖い人に絡まれたくないし。ガードの向こうに国道が走ってるみたいだからそこまで歩いてタクシーを拾おう」

「あんたが持つなら全然いいし」


 そんな会話を交わしながら二人は夕焼けに染まる町を後にした。

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