第5話(江戸町奉行所にて1)

 鳥の鳴き声が聞こえて、燈夜は重い瞼を開け目の動きだけで周りの様子を窺った。まだ薄暗い。


いや、よく見ると部屋の中全体は暗いのだが、上方にある小窓からは強めの光が斜めに差していて、夜がとっくに明けたことを悟る。


(寝て起きたのに磯崎さんちじゃないってことは、やっぱり夢じゃないのかな)


 昨晩、夜盗に襲われたところを助かったと思ったのも束の間、罪人のように両手を縛られこの牢屋に連れてこられた。被害者のはずがなぜこんな目に会っているのか……。


(そういえばコロナ禍の外出禁止令を出した国で、守らなかった人を逮捕したってニュースあったよな……)


 昨夜の夜盗が「夜は出歩くなという御触れ」が出ていると言っていたことを思い出し、知らなかったとはいえ自分が禁を破ってしまったことが原因なのではという推測に行き着いたが確信はない。


 横を見れば、駿平が後ろ手に縛られたまま寝息を立てている。会ったばかりなのに、すっかり迷惑を掛けてしまった。


 気さくな性格を養護施設で育ったから、と本人は言っていたが、施設の年下の子たちにとって、きっと面倒見のよいお兄ちゃんだったんだろう。


 まだ起ききっていない頭でそんなことを考えていると、


「起きろ! お前らの番だ」


 袴姿の役人らしき人物が現れて、牢屋の鍵を解錠した。


 その声に駿平も目が覚めたらしいが、呑気に大欠伸をしている。


「出ろ!」


 威勢よく命令され、とりあえず従うしかないと燈夜は背中で縛られている腕のせいでバランスを崩しそうになりながら立ち上がった。 



◆◆◆◆



(男性? ちょん髷じゃないし女性? もしかして、これが昨日話してた超子……)


 役人の後を付いていきながら一目で性別を判断できない容姿に燈夜は戸惑っていたが、駿平は見慣れているのか眠いだけなのか、あまり気にも留めていないように見える。


 廊下を少し歩くと広く開けた敷地に白い小砂利が敷き詰められた場所が見えた。まるで時代劇に出てくるお白洲にそっくりだ。


(奉行所で聞いてもらえ、って言ってたし、これから裁きにかけられるのか……)


 燈夜は事の重大さに気付いて顔から血の気が引いていくのを感じた。現代ならいざしらず全く勝手の分からない世界で咎めを受ける。江戸時代がベースの世界、法律だというならなおさら公正な裁きを受けられる保証などない。


 怖気づいて立ち止まると、気付いた役人に怒鳴られる。


「何をしている! 早く来い!」


 そう言ってお白洲の脇を通り過ぎ、廊下の奥の間の戸を開けると、役人は燈夜と駿平に中へ入るよう促した。




 

 中はこれまた大河ドラマによく出てくる広い和室になっており、奥には一段高くなった雛壇のような畳敷があって、その後ろには美術館でしか見られないような六曲一双の屏風が立てられている。


 屏風には紅葉した木々やススキなど秋の風景が金箔の地に絶妙な余白を取って描かれていた。


「いつまでこうしてればいいんだよ。早く縄ほどけよ」


「黙れ! 誰が口をきいてよいと言った!」


 不平を言う駿平を役人は持っていた長い棒のような物で小突いた。


 中に入ってから確かにだいぶ時間が経った気がする。駿平が痺れを切らすのも当然だった。

 ちょうどその時、衣擦れの音と共に奥から人が近付く気配がした。


「待たせてすまなかったな」


 声の主が姿を見せた途端、燈夜は息を呑んだ。「この人は超子だ」と何故かはっきり分かった。


 豪華絢爛な着物の上からでも分かる均整のとれた体躯、どの角度から見ても美しい顔の造形、放たれる圧倒的なオーラ。


 壮絶な色香とでも表現したらよいのか誰をも惹きつけてやまない何かを発し、同じ人間ながら自分を卑下したい気持ちにさせられるほど他に優越する存在感。


 目の前の奇跡のような人間に燈夜はただ見とれていたが、駿平はまた違った角度から見ていたようだ。


「――あーっ、お前! あ、あの時のっ!」


「また会えたな。坊主」


 目の前の超子様は、悠然と屏風の前に腰を下ろすと燈夜たちを連れてきた役人に縄を解いて席を外すように命じ、駿平を見てその凛々しい表情を崩し微笑んだ。


 駿平は顔を真っ赤にして抗議する。


「あんた、ストーカーかよ! また拉致りやがって! 何なんだよ! ふ、ふざけんな!」


 もしかしなくても、駿平が事に及んだ超子様というのが、この人だったんだなと分かる態度だ。


 すかさず、超子様の脇に立っている侍従と思われる人物が前に出た。


「無礼者! 口のきき方に気をつけよ! こちらに仰せられる方は」


藤紫ふじむらさき、まあよい。こっちの坊主とは顔見知りでな」


「しかし、幻翠げんすい様……」


 藤紫と呼ばれたその人は少し不満げな様子だったが、返事をして一歩下がった。この人も超子なのだろう。整った容姿だがやはり中性的で幻翠ほどではないが、他に優越する何かを感じる。


「ここ町奉行所なんだよな? じゃあ……あんた、遠山の金さんだったのかよ?」


「遠山? 誰だそれは?」


 実在の人物である遠山景元を本気で知らない様子の幻翠を見て燈夜は考えた。


(お小夜さんは男性の寿命が短くなり始めたのは徳川吉宗の時代と言ってた。


 そこから50年足らずで20歳位までしか生きられなくなったと。


 確か吉宗は1700年の早い時期に将軍になったはずだから1700年後半生まれの男性の寿命は既に……。


 遠山の金さんが江戸時代後期に活躍したという史実から、こちらの世界の金さんは世に名を残すことなく亡くなったということなのか)


 考え込んでいると、幻翠が膝を打って話題を変えた。


「さて、本題だ。お前の種を小石川の薬事寮で調べてもらったんだが、こちらの男らとなんら変わったところが見当たらぬそうだ。おかしいと思わんか?」


「種ってなんだよ? 何の話だよ?」


「人間の種といったら、子種に決まっておるだろうが」


 みるみるうちに再び耳まで真っ赤にした駿平が大きな声を出す。


「何、人に断りもなく勝手なことしてくれてんだよ!」


「それにしても、今日は随分と威勢がいいなぁ。寝間ではあんなに初々しくて可愛らしかったのに」


 幻翠はからかうような口調で雛壇から駿平の方へ軽やかに跳んだ。そして顔を近付けた時には先ほどまでの笑みは消え、獲物を射るような目で問う。


「蘭学的見地では変わらぬか……。でもお前らは、この世の者ではないのだろう?」


 射るような目が自分の方を向き、燈夜は背中にゾクゾクと悪寒が走るのを感じた。


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