第15話 湖の屋敷に閉じ込められた僕は、悪徳令嬢に貞操を奪われそうです。

 虚無の世界に僕は居た。

「お~っほっほっほ!

 わたくし様の美にひれ伏しなさ~い!」

 頬に手の甲を添え、ブランシュ様は高らかに笑う。

 金糸の刺繍が成されたワインレッドのドレスに身を包み、見て讃えろというようになだらかなラインを描く胸を張っている。


 自信満々な態度に裏付けされるように、無駄のない整った身体に寄り添う赤いドレス姿は美しい。

 ……のだが、金を台座にした大きなルベライトが輝く髪飾りに、ドレスのあちこちに散りばめられた宝石類が僕の目を潰さんとばかりにキラキラ光る様は、品のなさを感じさせた。


「わたくし様のあまりの美しさを前に、声も出ないと言ったところですわね。

 それも仕方なきこと。地上に生まれし美神とは、わたくし様のことなのですから~!」

 ――ブランシュ・シンビジウムのファンションショー。

 現在の状況を表すならば、この言葉が的確だろう。

 自身の魅力によって、ヴィオラ様から僕を奪い鼻を明かす。

 湖の屋敷に閉じ込め、そう宣言したブランシュ様が始めたのは、多種多様なドレスに着替えて僕に見せつけることだった。

 ちなみに、かれこれ2時間。既に衣装は十を超えている。


 なにやってるんだろう、僕は。

 最初は逃げ場のない屋敷に閉じ込められ、どんな手を使ってくるのか警戒していた。

 けれど、蓋を開けてみればドレスを見せられるだけで手荒な真似はされない。そのことに安堵したのだが、終わりのないプリマの一人舞台に精根尽き果てかけていた。


 というか、これで僕を魅了って……。

 綺麗は綺麗だ。氷のような美貌を誇るヴィオラ様とはまた違う、華やかな美しさがある。

 けれど、やっていることは完全なる自己満足で、僕を落とそうという意図は感じられない。なにより、宝飾品をジャラジャラさせるドレスの数々には、綺麗というよりも一着いくらかかってるんだ、という疑問が先立つ。


 ただ、その成金センスはちょっと気になっていた。

「ブランシュ様……ドレスに宝飾品をバカみたい――んんっ! 沢山飾るのは、常なのですか?」

「……今なにか不敬な言葉が耳を掠めた気がしますが。

 えぇ! その通り!

 わたくし様の完璧なる美貌を更に引き立たせるには、煌めく宝石のようなゴージャスさがなくてはなりませんことよ!」

 再び高笑いを上げるブランシュ様。僕は気付かれないよう、こっそり嘆息する。

 ヴィオラ様が僕に贈ろうとした趣味の悪い成金服はブランシュ様の影響かもしれない。

 互いに毛嫌いしている癖に、どうしていらない影響を与えあっているのか。

 困った関係である。


「――カトル!」

「うぉっ!? は、はいっ!?」

 考え事をしていたら、突然ブランシュ様の顔が視界一杯に広がり驚いた。

 慌てて身を引くと、なにやらムッとなって怒っている。

「わたくし様を前に余所見とは、いい度胸ですわね」

「い、いや……別にそういうつもりは」

 視線を泳がせながら、冷や汗を流す。

 正直、過去のトラウマそのものであるブランシュ様の機嫌を損ねる度胸はない。

 ……ないのだが、2時間も椅子から動けず、延々とブランシュ様のドレス姿を見せつけられていれば、集中力も途切れるというもの。今、とても糖分が欲しい。


「わたくし様の美に跪かないなんて、どうかしていますわ!」

 僕がおかしいというような態度。

 至って正常だと声高に叫びたいが、余計な反感を買ってこれ以上面倒な事態に陥りたくないので、沈黙を守る。

 けれども、そんな態度がいけなかったのか。

 明らかに興味なさそうな僕に、眉を吊り上げたブランシュ様は「ムキー!」と金切り声を上げる。いや、ムキーって。


「あのヴァイオレット様の夫なだけあって、本当にムカつきますわね!」

「あー、その……申し訳ありません?」

「ですわ!」

 どういう意味だろうか。鳴き声と言われたらしっくりくる。


 不愉快そうに、ブランシュ様は金髪ロールを払う。

「下級貴族に媚びを売るだなんて、わたくし様のプライドに傷が付きますが……仕方ありませんわね」

 するり、と絡めるように手を取られて、身体が震える。

 反射的に手を払い、目を剥くとニタリとブランシュ様の頬が歪む。

「あら? いかがいたしましたの?

 お顔が真っ赤ですわよ?」

「い、いかがって……!

 なにをするつもりですか!?」

 予想外……というより、ブランシュ様の性格的にないだろうと踏んでいた行動をされてビビる。

 僕の反応が彼女の機嫌を良くしたのか、「ふふ」と婉然な笑みを浮かべる。


「なにをって……決まっておりますわ」

 ゆ、う、わ、く。

 鮮やかな紅の濡れられた唇が動き、声がなくとも伝えてくる。

 茶番染みた空気が一転。淫猥な空気が漂い出す。

 掛けていた椅子から転げ落ちそうになりながら、精一杯身体を仰け反らせる。

「どんな手を使っても、ヴァイオレット様からあなたを奪ってみせますわ」

「いやいやいや!?

 流石にやり過ぎだと思いますけど!?」

「あなたがわたくし様の美に跪いていれば、このような手を使わずともよかったのですよ?」

 僕の耳元に唇を寄せ、温かな吐息と共に囁く。

 耳をくすぐる甘い声に、ぞくりと身体が震えた。


 肘置きに置いた汗ばむ僕の手を、もう一度ブランシュ様の手が覆う。

 ねっとりと這うような指が、僕の首筋を通り、胸まで落ちる。

 まるで娼婦の真似事だ。

 己の美しさに絶対的な自信を持ち、温泉で裸を見られようとも動じないブランシュ様。

 けれど、同時に使用人と呼ばれることを許せない貴族らしい矜持も持ち合わせている。


「どど、どうしてここまでするんですか!?」

「どうして?」

 艶のある笑みを浮かべていたブランシュ様から表情が抜け落ちる。

 そして、表に現れたのは明確な怒りだった。


「目障りだからですわ、あの女が」

 刺すような敵意。

 瞳に怒りの炎を揺らめかせ、苛立ちを隠しもせず声に乗せる。

「学生時代からヴァイオレット様は、常にわたくし様の上をいっておりましたわ。

 爵位も、勉学も、人気も。

 わたくし様の美しさがあの女に劣っている――などと、口が裂けても申しませんが、周囲の評価は常にヴァイオレット様がお持ちだった。

 それがもうなんというか憎たらしいは腹立たしいは……!」

「……つまり、嫉妬ですか?」

「黙りなさい!」

「はい黙ります」

 一喝される。怖いですブランシュ様。


 ブランシュ様は僕から離れると、不機嫌そうに近くの椅子に勢い良く腰掛ける。

 はぁぁっ。肌の接触がなくなり、僕の口から溜まった熱が零れた。

 丸テーブルからワインの入ったグラスを取り上げると、「ふん」と鼻を鳴らしてわずらわしさと共に飲み干す。

「わたくし様より上だというのは構いませんわ。

 いずれ抜かせばいいだけですもの。

 むしろ、超えるべき壁と考えればやる気も出ますわ」

 ですが、と空になったグラスをダンッと机に叩きつけるように置く。

 あまりに大きな音に、僕の小さな心臓が一層すくみ上がった。

「あの女はです!

 わたくし様の上に立ちながら、そこに熱量はありませんわ。

 試験で1位を取ろうとも、

 周囲の人気を独占しようとも、

 そこに喜悦はなく、変わらぬ冷たい表情を浮かべているだけ」

 許せるものか。許してなるものか。

「心を持たない人形が、わたくし様より上だなどと断じて認められませんわ……!」


 血が滲みそうなほど、ブランシュ様は歯噛みする。

 そんな彼女の態度が、感情が、なによりも理由が、僕にとっては意外だった。

 ヴィオラ様になにかと突っ掛かるのは、自分より上の立場の人間が気に入らないという嫉妬心。ただ、それだけだと思っていたから。


 そして、ヴィオラ様も。

 心を持たない人形。そう形容されるほど、周囲に感情を見せなかったというのは思いもしなかった。

 僕が見てきたヴィオラ様は、表情こそ乏しいが、どちらかといえば過剰なまでに感情を剥き出しにする人だったからだ。

『……私の夫に、なにをしているのですか?』

『……二度と、その呼び方を口にしないでください』

『貴女たち……覚悟はよろしいですか?』

 ……どういうわけか、思い出すのは冷たい殺意に満ちたものばかりだけど。まぁ、感情と言えば感情だし。ね?


「だから決めましたわ」

 ブランシュ様が言う。

「絶対にヴァイオレット様に勝ってみせると」

 それは、決意に似たなにか。

 下唇を噛み、手の血管が浮き出るほど手すりを握り込む。


 勝つ……勝つね。

 なんとはなしに、ブランシュ様の言いたいこと、というか、感情は察せられた。

 端的に言えば怒り。ただそれは『こいつには絶対に負けたくない』という負けん気、向上心が向けるべき相手を見失ってしまった結果、変質したのだろう。

 どうあれ、ヴィオラ様には理不尽極まりない話なのだが。感情ってままならないよね。


 というか、だ。

「……そんなことに巻き込まないで欲しいんですけど」

 酷いとばっちりだ。

「お~っほっほっほ!

 なにを仰るのかと思えば。

 あの心のなかったヴァイオレット様が執着する男。

 そんなあなたを奪えば名実ともにわたくし様の魅力が上ということが実証されますわ!

 つまり、わたくし様の勝利ということ!

 恨むのであれば、ヴァイオレット様を恨めばいいのですわ~!」

 声高に笑うブランシュ様。

 さっきまでの色っぽい姿はどこへ消えたのか。いや、また迫られても困るからいいんだけど。


「そもそも」

 機嫌を取り戻したはずのブランシュ様が、じとっと僕を睨んでくる。

 感情の揺り幅が激しいな、この人は。

「わたくし様の美に触れ、迫られておきながら屈しないなんてどうかしておりますわ。

 普通の男なら『あぁ、美しき女神ブランシュ様! どうか私を豚と罵ってください!』と跪くはずですのに」

「それは惚れてるんですか?」

 不健全な性癖が目覚めているだけなのではと思ったが、キッと睨まれたのでその言葉は飲み込んだ。波風は立てたくない。


「まぁ……綺麗だとは思いますけど」

「ですわよね!」

 途端に機嫌が良くなる。チョロいなぁ。

「だからといって好きになるかは別なので」

「天上天下わたくし様に惚れない男はいないというのに?」

 どこからその自信が溢れてくるのだろう。

「そもそも、温泉ではヴァイオレット様に惚れてないと仰っていたではありませんの。

 なのに、わたくし様に惚れないなんて天地が逆転するようなものですわ」

「天変地異クラスの天災なんですか……」

 その論法でいくと、現状ブランシュ様より上であると言っていたヴィオラ様に惚れないことこそ、世界崩壊クラスの異常事態なのだが……言うと面倒そうだから止めておこう。


 まぁ、ただ。

 惚れない理由は、あるといえばある。

 あまりペラペラと語りたいものではないのだが、どういうことだと睨んでくるブランシュ様を説き伏せるには必要か。

「まぁ、その……」

 椅子の手すりに肘を置き、両手の指を絡ませる。

 いざ口にしようとすると、なんとも羞恥心が募る。本人がいないとはいえ、己の気持ちや決意といった、心の奥底を曝け出すように語るのはなかなかに辛い。逃げ場がないのが残念でならない。


「ちゃんと、ヴィオラ様のことを好きになりたいので」

「はぁ?」

 かぁっ、と頬が熱くなる。

 対して、意味がわからないとブランシュ様の口から馬鹿にしたような声が吐き出された。

「好きに、なりたい?」

「そう、ですね」

「今、好きなわけではなく?」

「はい」

「これから、好きになると?」

「そういうわけで……」

 問いかけに答えれば答えるほど、声が小さくなっていく。

 間違っているつもりはないが、世間的に変なのは自覚しているので、なんとも居心地が悪い。


「おバカさんなのですわ!」

 言われてもしょうがないけど、貴族の娘が人を指差さないでほしい。行儀が悪い。

「人を好きになる、というのはそういうモノではありませんわ。

 恋というのは、もっとこう悪い令嬢にいじめられていたわたくし様を、イケメン王子が『大丈夫ですか?』と手を差し出して助けてくれるような……なんかそういうお話のことを言うのですわ!」

「意外と夢見がちなんですね」

 女性向けの娯楽小説のようだ。

 後、その流れを現実に当てはめると、悪い令嬢役がブランシュ様になるがいいのだろうか?

 あ。でもそうなると、ヒロイン枠が僕で、イケメン王子枠がヴィオラ様……考えるの止めようか。


「好いてくれるからといって、好きになる必要はありませんわ。

 義務感で好きになるだなんて……そこに価値はありませんわよ」

 まるで諭すような言い方だ。

 今まさに僕を幽閉している相手とは思えない。


 それにしても、義務感、ね。

 僕は苦笑して言う。

「ヴィオラ様が喜んでくれるのなら、価値はあります」

 政略結婚だろうが、義務的な好意だろうが。

 ヴィオラ様が笑ってくれるなら、僕はそれでいい。

 彼女の好意に返したいと、決めたのだから。


 そんな僕を、心の底から呆れ返ったかのように、ブランシュ様は大きなため息を零す。

「本当に、大馬鹿者ですわね、あなたは」

「いや、まぁ……本当に義務だけで好きになろうってわけではありませんし。

 いずれ好きになれればいいなぁ、と思っているだけで」

 自分の心とはいえ、思うだけで感情を変えられるなんて単純ではない。

 あくまで未来への展望で、希望。無理矢理どうこうなんて、土台無理な話だ。


「バカ、バカ、バカ。おバカさんですわ」

 でも、と。

「わたくし様の誘惑に、言葉に負けず。

 ブレない点だけは評価しますわ」

「それは……ありがとうございます」

 ふっ、と力を抜いたような微笑み。

 別に褒めてもらうようなものではないのだが、なんだか面映ゆい。


 ひとさし指で頬をかき、視線を床に落とす。

 ――この行動が、今日一番の僕の失策。

「ごめんあそばせ」

「はいっ!?」

 ドンッ、と勢い良く突き飛ばされ、そのまま椅子ごと倒れてしまう。

 座面から転げ落ち、床に放り出される。

「いつっ、急になに……!?」

 打ち付けた頭を抑えて、起き上がろうとした瞬間、息が詰まった。

「――油断大敵、ですわ」

 気付けば、ブランシュ様が覆い被さるように倒れ込んできていた。

 僕の顔の両脇に手を付き、蠱惑的に赤い唇を舐める。

 いや、いや、いや。

「さっきの話で納得したのでは!?」

「えぇ。ヴァイオレット様を好きになりたい。

 その気持ちに嘘はないのでしょう」

 ですが、と。

 ブランシュ様は言葉を繋げ、悪辣な笑みを浮かべた。

「そういう純粋な思いごと奪うことこそ、貴族の本懐なのですわ!」

「悪徳が過ぎる!」

 最低な貴族像だ。


「よいではありませんのよいではありませんの」

「よくありませんのよくありませんの!?」

 喜々としてまさぐってくる悪徳令嬢。

 僕は助けのこない屋敷中に、泣くような悲鳴を響き渡せるのであった。

 ……詳細は省くが、貞操は守り抜きました。しくしく。

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