第12話 なんの根拠もない酔い覚まし

 東京と言っても、いろいろな場所がある。煌びやかな雰囲気に飲み込まれてしまいそうな街、最先端の流行が集まる街、立ち込める古書の匂いを思いっきり吸い込みたくなる街…そのなかでも、今日仕事をしていた場所は芸術と文化と俗っぽさがないまぜになった変わった街だと秋は思う。


 芸術大学に、美術館、博物館、科学館まで立ち並び、文化的な側面を担いながらも、叩き売りの声も聞こえてくる…下町ならではの伝統を残し、魅力的な人間臭さを持った人々が日々生きている。それがすごく面白かった。


 だから、自分も人間臭くなれるかと思って、その空気に浸りたくなってしまうんだ。


「栄太、ソロさ、わがまま言ってごめんな。」

「あ?」

 三杯目のホッピーの勢いに頼って目の前の友人に謝ると、普段Ebbaと名乗る男、栄太は怪訝な顔をした。

「自分の知名度も理解せずに、個室の無い飲み屋に行きたがられるより厄介なわがままなんてねぇよ。」

「それは…、まあ、帽子かぶってメガネだしバレないって。」

 秋はにへらっと笑ったが、栄太は呆れたような顔をした。

「お前はボーカルだろうがよ…」


 そうした時にちょうど、隣の席からとひそひそ声が聞こえた。

「ねえ、あの二人って…」

「嘘待って…!声やばい!ほんとだ…」

 耳の良い秋は少し振り返って二人に向かって口に『しいー』っと人差し指を添えてウインクをした。すると、二人は目があったことに腰を抜かしながらもこくこくと頷いていた。


 その様子を見て『ほらな』と言う顔をしながら栄太は笑った。

「でも、ちょっと前の自分じゃ、こんな人目を気にして飲み屋に行く日が来るなんて、想像できなかった。」

「…俺も。」と秋が言うと、栄太は「お前は今も想像できてないだろ。」とまた少し笑った。


「秋の歌と歌詞と音楽が好きでさ。お前の歌で音楽してる時は、どんな小さなステージでも最高にワクワクしたんだ。それで、楽しくって、ただ夢中になってたら、どんどん見たことない景色が見れたんだ。」

 それもこちらのセリフだと思った。4th AVEの音楽はけしてacheだけで作ったものではないから。


「見せてもらった景色にも、今の生活にも感謝してる。だけど、原点はそこなんだ。」

 そこ、とは、あの小さな丸いステージのことだろうか。

「ソロも楽しみにしてる。俺も俺で活動するつもりだからさ、お互い大きくなってもっとすごいもん作ろう。」

「俺、お前とバンドできてよかった…。」

「やめろ近づくな、変な気持ちになる!」

「ずっと一緒だからな。」

「だから本当に惑わされるし、さっきの子たち見てるから!」

 慌てている栄太の反応が面白くて、止められない。

「じゃあ、人気のないところに行こう。」

「その言い方も良くないって…。」


 ヘラヘラ笑ってはいたが、流石にこのままだと人も増えてくるかもしれないと言うことで、店は出ることにした。

「俺、ちょっとタバコ買ってくる。」

 一軒目は秋、二軒目は栄太といういつもの流れの通り、秋が会計をしてると、栄太はそう言い残して、店から出ると向かいのコンビニに向かった。


 大将から「応援してるよ!」と気のいい激励をもらって、秋も店を後にすると、コンビニの入り口で待とうと手近な柵に近づいた。しかし、その柵には先客がいた。だがその姿は…

「紗恵子…?」

 俯いて顔は見えないが、見知った、と言うか、さっきまで、隣に座っていた彼女と全く同じ背格好をしていた。その女性が、柵に寄りかかりながら、ふらふらとしていた。

 一応顔が見えないが、おそらく本人だと思うし、この様子で放っておくこともできないと秋は、恐る恐る声をかけた。

「あの、大丈夫ですか?」

「…ナンパですか?」

 怪訝な顔でこちらを見遣った顔は間違いなく紗恵子だった。

 だが、紗恵子は、目の前の男が秋と認識しているのかいないのか、直ぐに、顔を顰めて「気持ち悪いから無理…。」と、再び俯いてしまった。

「気持ち悪い…。」


 普段言われ慣れていない言葉に秋が衝撃を受けていると、後ろから、また聞いたことがある声がやってきた。

「山下大丈夫?」

「あー、やっぱり、酔い回っちゃったみたいっすね。」

「あ、acheもいるじゃん。」

 振り返ると、栄太と、店の中であったのだろう、谷口と、宮沢と紗恵子に呼ばれていた同僚の女性がレジ袋を下げていた。


「うわぁ、acheさんすみません。」

 谷口が直ぐに紗恵子の隣にいる秋に挨拶をよこす。秋も、会釈で返してから、振り子人形のようになっている紗恵子を指差した。

「やましー、どうしたの?」

「いや、さっきまでまだ大丈夫だったんですけど、俺らがコンビニに行ってる間に、酔いがきたんだと思いす。いつもよりペースが早かったんで…。」

「こりゃもうお開きだね。」

 首をすくめる宮沢に、谷口は呆れたような目を向けた。

「月曜の十二時っすからね。俺は丸一日仕事して、二軒目に行こうとしてる二人に引いてました。」

「だってあたしは家近いもん。」


 こっちも二軒目に行こうとしていたとはいえず、秋は苦笑いをしながら、紗恵子を指差した。

「二人は、明日も早いっしょ。栄太、俺やましー送ってから合流するわ。」

 栄太には先に店に行っといてもらおう、どうせ長いんだから、酔い覚ましにちょうどいいかも、なんて思っていたら。谷口にあっさりと断られた。

「いえ、大丈夫です。俺おんなじ方向なんで。」

「いやでも…。」

「acheさんに、迷惑かけらんないっすよ。それにこの人、もう直ぐ復活するんで。」

「は?」

「山下さん、これ飲んでください。」

 谷口が、レジ袋から取り出したのはラムネとオレンジジュースだった。

「ん…。」

 項垂れたまま、手を差し出した紗恵子は、そのままその手に出されたラムネ3粒を口に運び、オレンジジュースで流し込んだ。


 そして黙ること十秒。

「あーーーーーー、すっきりした。」

 顔を上げた、紗恵子は完全に意識が戻っていた。


「すご、手品みたい。」

 栄太が関心したような声をあげる。

「うわ、二人いつの間に…。お見苦しいところを見せました…。」

「山下さん、酔っ払ったら大体これで復活するんですよ。俺は真似しても無理でしたけど。」

 淡々と解説する谷口は、テキパキとタクシーが拾えそうな道路を目で探して、「山下さん、帰るっすよ。」と声をかけていた。

「分かった。」と頷いた紗恵子は、秋に目を合わせることもなく、恐縮したように三人に礼をしてから、谷口が指差していたタクシー乗り場の方にそそくさと向かって行った。


「じゃあ、俺もお先に失礼します。」

 そう言って歩こうとする、谷口を秋は少し引き留めた。

「ねえ、こないだの合コンってどうだったの?」

 その言葉に少し考えたような顔をした後、谷口は少し微笑みながらも、まっすぐに秋を見つめて返した。

「ああ、みんな可愛かったんですけど、好みの子がいなかったんですよね。」

「そっか…。」

 谷口は、じゃあ、また再来週、と言って今度こそ紗恵子が捕まえたタクシーの方へ向かって行った。

 その後、宮沢も二人へお騒がせの非礼を詫びたあと、本当に近いのか、家に向かって歩いて帰って行った。 


「嵐みたいだったな。」

「うん。」

 栄太の感想に、秋は反射で返したが、お酒のせいか、頭はあまり回っていなかった。

「じゃあ、二軒目どこ行く?」

 女の子いるところか、呼ぶ?それともゆっくり飲むなら、この近くで…と提案してくれる栄太にごめんと断った。

「俺帰るわ。」

「は?」


「なんか、すごく曲が作りたい。」

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次の案件は、クライアントが元カレでした。 矢凪來果 @kikka8791

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