第11話 好きな人のことは、(都合のいいことだけ)全部知りたい。
「どうですか?絵になってますか?」
「めちゃくちゃ良い感じですよ!」
広い空間にカシャカシャとシャッターの音が響く中、カメラマンの高崎と監督の辻が、Ebbaの問いに少し高揚したような声で答えていた。
「さすが古参ファンの意見ですね。」
「やめてください…恥ずかしい…。」
古参ファンという言葉が出る度に、紗恵子は顔が熱くなるのを感じながら、その様子を見つめた。
『橋』はたくさんの街並みを映した写真のコラージュをベースに、右上から左下へと、大きく斜めに傾いた極彩色のアーチがかけられていた。そして、その隣の作品は『sky』と名付けられているのに、ただひたすらに真っ黒に塗りつぶされていた。どちらも小学生がすっぽり収まりそうなサイズの大きなキャンバスで、額装せずに展示されていた。
絵の前で並ぶのが、二人だということもあり、対の絵の前に立つ構図はバランスが良かったが、それだけでなく、acheの目を見ている紗恵子は彼と絵が馴染んでいるような感覚を覚えた。
「正面のスチールはオッケーなので、このまま鑑賞風景を動画とスチールでもらって良いですか?」という監督の声に、二人は「はーい。」と軽く答えたあと、振り向いて絵に向かい合った。
すると…
「あれ…?」
すぐに、照明の準備ができた撮影チームから、動画が回った合図が出たのだが、なぜか二人とも何も言わず、acheに至っては石になったかのように微動だにしなかった。
Ebbaの表情を見ると、動画の主役であるacheを立たせるために言葉を待っている様子だったが、そのacheは視線にも気づくことはなく、何も言わずにただじっと絵の前に立ち尽くしていた。丸々三十秒たち、紗恵子や撮影チームには無言の動揺が広がりかけた時、Ebbaが苦笑しながら、口を開いた。
「…これもまた、引き込まれる作品ですね。今のacheみたいに。」
Ebbaの言葉に、撮影をしていたことを思い出したらしいacheは少し照れたように笑って「ちょっと魂吸い込まれてました。」とおどけて見せた。
「わかるよ、素敵な作品だし。acheは何か感じた?」
やっと意識が戻ってきたacheに、プロモーションのためにEbbaがすかさず感想を求めると、acheは「えっと…うまく言えるかな…。」と前置きしながら、静かに語り始めた。
「印象に残ったのは、力強さの対比かな…『橋』は、キャンバスを飛び出すくらいの色が持つエネルギーを感じるんだけど、この『Sky』は一切色がない。でも、凹凸で何かが描かれているんだよね。写真じゃわかんなかったし、今も目を凝らしてもなかなか見えてないけど。」
「確か、光を吸収しちゃう塗料が使われてるんだよね。」
Ebbaの補足説明を兼ねた相槌に、acheはこくりと頷いた。
「表現できない息苦しさの中で、押し潰されずに存在する無言の力強さ。だからこの二つが並んでるのかな…。」
そう言って作品を見上げるacheは、力強くも繊細な絵画に描かれた神様が抜け出したようで、スタッフや宮沢、見慣れているはずの紗恵子や和田でさえ、かれの周囲だけ時が止まったような錯覚を覚えた。今度は周囲の様子の違和感に、自分で気づいたのか、不思議な沈黙を取り繕うように、「…なんて、自分なりの想像するのも楽しいですね。」とカメラに向かっていつもの柔らかい笑みをこぼした。
撮影後、撮影したカットのチェックを本人たちにしてもらうために、控室に向かったが、トイレにでもいってるのか、控室には誰もいなかった。紗恵子は扉の前で、カメラマンに借りたタブレットを確認しながら待機していた。
どのカットも絵にはなっていたが、やはり、『橋』と『Sky』の前の表情は素晴らしかった。真剣に絵を見つめる瞳と横顔は紗恵子がよく知っているもので、つい、懐かしさに見入ってしまっていると、急に耳元で声がした。
「そんなに見つめられると照れるよ。」
「ひぃいい!」
衝撃に思わず小さな悲鳴をあげて振り向くと、声の主は、やはりacheだった。
「その悲鳴は傷つくなぁ。」
「急に現れる方が悪いです。」
すかさず紗恵子も言い返してみたが、acheはしれっと、扉の隣に貼ってある、手書きでEbbaと書き足された紙を指差した。
「いや、だってここ俺の控室だし。」
「あ…。」
さらに、acheから口の形で『ばーか』と返ってきたので、紗恵子は誰もいないのを確認して、いーっと威嚇した顔をしてから、もう一人の楽屋の主人の所在を聞いた。
「Ebbaさんは?」
「ああ、さっさと着替えて和田ちゃんとタバコ休憩に行ったよ、まだ完全撤収まで時間あるよね?」
「ええ、完全撤収は一時間後くらいなので、それまでに出てもらったら大丈夫です。」
紗恵子はタブレットを見せて、本題を切り出した。
「で、もし良かったらなんですけど…後日にしようと思ってた、写真のチェックってお願いできますか?写真が早くもらえたんで、帰りの準備もあると思うんですけど…。」
「全然良いよ。じゃあ見せて。」
acheは控室の扉を開けて、紗恵子に向けてどうぞと手で促した。
中に入るなり、acheはソファにどかっと座ったので、紗恵子がその右側の床に膝をついて、タブレットを見せようとすると、止められた。
「二人がけのソファなんだから、隣座りなよ。」
「いや、近すぎじゃないですか。」
「別に良いよ。そこだと見にくいし、首疲れるから。」
「じゃあ、向かい…」
「この机だと、遠すぎ。はい、ここ座って。」
そう告げたacheは、わざわざ左側に詰めて、空いた右側を強調するように叩き、紗恵子をじっと見る。無言の圧に負けた紗恵子は、渋々、隣に座りながら、タブレットを操作しはじめた。
「これは、表情が暗すぎる。これは半目だからダメ。」
意外にもacheはふざけることなく、テンポ良く写真を選定してくれた。なので、紗恵子は、離そうとしてもくっついてくる膝のことはできるだけ何も考えないように、NGとなった写真をタブレットと手元のメモで淡々と記録していった。
ただソファが狭いだけ、そしてあいつのマナーが昔より悪くなってるだけ…それだけだから、早く終われ早く終われ…!
そんな紗恵子の願いとは裏腹に、後半になる程、一枚の確認時間が長くなっていき、ついに、後十枚と言うところでacheの手が止まった。
「ちょ、あの…どうしたんですか?」
膝から伝わる体温と耳元で聞こえる声に、居た堪れなさの限界を迎えつつあった紗恵子は『涼しい顔して、こっちの反応見て揶揄ってるのか?』そんな風に思いながら訝しげに様子を伺ったが、acheはタブレットを見たまま、『涼しい顔』でポツリとつぶやいた。
「これが、俺の一番好きな絵だったんだよね。」
「あっ…。」
acheは谷口たちに伝えた似合う絵、ではなく好きな絵と表現した。
撮影現場では、メインビジュアルである『L』を立たせたEbbaの解答があったため、あくまで『似合う絵』と表現していたが、本人には伝わっていたらしい。
「…私はそう思ったけど、違いましたか?」
「ううん、多分大正解。」
「多分がつくんだ。」
「最近ちょっと分かる時が出てきたんだけどね、今日のは言われるまで全然分かんなかった。」
「どれも気に入ってましたもんね。」
紗恵子がポツリとこぼすと、acheは元々丸くて大きい目をさらに丸くした。
「そんなことまでわかるの?」
「ちょっと近いです。」
「ねえ、前から思ってたけど、なんで俺の好きなもの、俺より分かるの?」
詰め寄るacheに、焦った紗恵子は語気を荒げて抵抗した。
「だから、近いってば!」
「教えてくんないと、これからどこへ行くのも連れてくよ。」
「…自分からどっかに行ったくせに。」
紗恵子が冷たい目でつぶやくと、うっと詰まったacheは「そうだけど…」と困り果てた顔をして項垂れた。
少し意地悪な言い方をしたかも知れないと思った紗恵子は、ため息をついてから、前置きをした。
「別に隠すつもりはないですけど、多分、自分じゃわからないですよ。」
「それでもいいよ。」
acheの返事はすぐに帰ってきた。
「acheさん、目が、大きいじゃないですか。」
「えっと、ありがとう?」
acheは自分の目を指差して首を傾げた。
「その目がキラキラするんです。あ、いや、元々好奇心旺盛だから、いつもキラキラしてるけど、その中でも特別な時はもっと目は輝くんですよ。」
だからあの夜、初めて会った日の歌う姿が眩しくて、目が離せなかったのだ。
「へえ…。」
「だから、周りの人ならよく見てたら結構気づくんじゃないですか。」
と、顔を上げたら、目の前には真っ赤なacheがいた。紗恵子が驚くと同時に、さっきまで詰めていた距離を空けようとぐいと肩を押された。
「ちょっと今顔見ないで。恥ずかしいから。」
「は?」
「なんか、隠せないなって思うとちょっと恥ずかしくて。」
「なんで恥ずかしいの。」
「好きなもの全部ばれる。」
赤い顔をして、そう言うacheの姿に、紗恵子の胸は少し鈍い痛みを覚えた。
好きなもの全部、なんて知りたくない。
それは、紗恵子が何百回も思っていたことだった。
紗恵子は喉の奥が少し酸っぱくなった気がしながら、フォローの言葉を探した。
「あ、えーっと。ばれたくなかったらサングラスでもかけといたら?それに、私からは他の人に言わないし、私もあんまり見ないようにするから。」
特に可愛い子がいるときなんかは、と、紗恵子はタブレットの方を見ながら、引き攣った笑顔で茶化すと、急に隣から伸びてきた骨張った手が、彼女の頬を挟んでacheの方に向かされた。
「それはだめ。恥ずかしいけど、ちゃんと見てて。」
さっき近い!と抵抗した時よりも、さらに近いその顔には、いつも通りの瞳が真っ直ぐに紗恵子を映していて。その姿に、紗恵子がもう一度胸の痛みを覚えた時、パタパタといくつかの足音が聞こえてきた。
「…どこでも、は無理ですけど、仕事中なら。」
仕事中を強調してにっこり返事をした紗恵子が頬に添えられた手を離そうとすると、足音が近くなったからか、手はするりと解けた。そしてもう一度距離を取った膝も、今度は向こうが詰めてくることはなかった。
「ただいまぁー!お!山下さんじゃん!」
「お疲れ様です。さっきの写真のチェックをお願いしてました。」
「俺の方で結構絞ったんだけどさ、一応Ebbaも見てよ。」
Ebbaが戻ってくると、acheの後ろから覗くようにして、一緒にチェックに参加してくれた。Ebbaの分の再チェックも行ったが、先ほどのチェックでだいぶ絞られていたため、残りはスムーズだった。メモを再開させながら、さっきまでの空気や胸の痛みがどこかに行ってくれて紗恵子はほっとした。
「…これで、写真は以上です。確認ありがとうございました!」
「SNSにも上げたいから、写真送ってね。」
「あ、俺も!」
「分かりました。では、失礼します。」
ひらひらと手を振る二人に一礼をして控室を出た紗恵子は、撤収中の会場へ向かう道の途中、タブレットに映った最後のOK写真を拡大してつぶやいた。
「…この目が好きだったんだよな。」
あの目はキラキラとして本当に好きだったから。
だから、紗恵子を映すところを見れなくても、そらすことが出来なかったんだ。
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