花火と亡霊

祇条錯(Shijo_Saku)

花火と亡霊

火を見に行った。夜7時30分。港に近い駅の前。隣はからっぽ。


そこは時代の発展が捨てた駅だから目の前にあるのはシャッター街と視界全体を光で埋めるのに最低限の街灯、そして疎雨の雨粒みたいにまばらな車。それでも空はかーんと冴え返っていていて、薄雲は花火を隠すまいと代わりに三日月の視界を遮っている。そばでは駅員さんが外に出て、和気あいあいと談笑している。


花火は始まっているらしい。夜に投げられた破裂音。呼応して心拍数が10上がる。早くしないと花火が終わってしまう。


それでも、走るのは野暮な気がする。歩こう。ルンルンはその足音の間隔でなく、歩調の軽やかさに変換される。1分も歩けば駅員さんの声は粒になっていた。


風が涼しい。8月の熱波は順調に北上する台風を目の前に恐れをなしたのか、その日の風は空の光を鮮明にするように澄み切っていた。そんな風と戯れれながら歩いた先、高架橋を超えた先。ようやく見えた。空に咲くそれはちょっと怖い。どうしてだろう。その花火はいつものより少し威張っているというか、私はどうも今日のそいつに苦手意識を持っていた。


それでもここまで来て帰る選択肢はない。そもそもこの街は花火大会の日になると、その花火を中心として通常では観測できないような人数の人で溢れかえる。私はその人たちの顔を一人も覚えていないから、きっと彼らはうら寂しいシャッター街の陰からひょいと湧き出てきた一瞬の亡霊か何かなのだろう。


だから街も一瞬に増大するその亡霊の数に耐えきれず、哀れにも交通網は限界を迎える。今さら帰れない。そして同時にこんなに威張った花火をわざわざ見に来た私を哀れに思う。


そんな諧謔心とは裏腹に歩調は乱れることなく足音を刻み、私の身体は花火の出発点へと向かう。花火は私を歓迎してか、批難してか次第にその破裂音をクレッシェンドで増大させていく。前者であろうが後者であろうが、私は歩く。しょうがないじゃん。幸いにも風は少し火照った身体の表面から熱をすくい取って私を励ましてくれた。そして皮肉な徒歩は港への到着をもって終了した。


目の前に広がるのは黒い空、そしてもっと黒い海。海に撒かれた街灯の中、一点から空に向けて光が伸びる。最高潮のクレッシェンド。空を破る音。しだれ花火。私の心はふいに和らいだ。


花火ではない、私の隣にいた小学生の男の子。花火と花火の隙間からしっかりと聞こえた。「とっても綺麗」。月並みな言葉なのに。「綺麗だね」を海に投げかける私に打ち上げ花火はどうも眩しい。だからその少年の線香花火のような言葉はたまらなく美しかった。


その少年の顔は今でもよく覚えている。彼はおそらく亡霊ではない。

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花火と亡霊 祇条錯(Shijo_Saku) @shijosaku

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