第2話

「ジョセフー、ジョセフー?」


 息子【ジョセフ】の名前を呼ぶ女性は母親の【メーテル•グレイシャル】。まったくクセのないストレートの黒髪に茶色い瞳、実年齢よりも若く見えるのはその血筋ゆえか、それとも魔法の類か。

 そんな彼女がジョセフを呼ぶのは昼食を一緒に摂るためである。


「ままー?」


 まだまだ舌足らずな口調で自身を呼ぶ声が聞こえる。親バカなのであろう。名前を呼ばれる。たったそれだけで胸いっぱいに広がる愛おしさに笑みが溢れ出す。

 さあ、振り返ろう。愛息子をこの目でおさめ、この腕で抱きしめ、この口でキスの雨を降らすのだ。


「ジョセ───」


 絶句。

 

「───へ?」


 困惑。


「キャアァァァァァァッッッ──!!!」


 絶叫。


 見事な三段階を踏んだメーテル。

 それもそのはず、実の愛息子が燃えていたのだ。それはもう見事にボウボウ、ボウボウと音を立てて火ダルマになっているジョセフ。

 しかし、さすがは母親と言うべきか。目の前の情報を処理しきれていないものの、身体はいち早く息子を助けるために行動を開始していた。


「ドッッッセイ──!!」

「ぶふぅっ?!」


 すぐそばに設置された井戸、その底にある桶に繋がれた縄を力いっぱい引き、汲み上げた水でもって消火したのである。母の愛か火事場の馬鹿力か、あるいはその両方で息子を救うことに成功した。


「ジョセフ! 大丈夫、ジョセフッ‼︎」

「うん、だいじょぶ」

「ああ……良かった、本当に良かった」

「んぅ〜〜くるしぃ」


 服が濡れるのも構わずジョセフを力強く抱きしめる。そして頭からペタペタと全身を観察して、ようやく息子の無事をかくにんできた。


「ねえジョセフ? どうして火なんかで遊んでたの? ママはね、ジョセフが死んでいなくなってしまうんじゃないかって、すっごく、すっ…………ごく心配になったのよ?」


 両親の特徴を受け継いだのか、自由奔放で興味があるものには「ステテテテ──!」と走って行っては「ドンガラガッシャーン!」と派手に転び、泣いて戻ってくるような性格のジョセフ。

 そんな息子だが、ダメだと言われたことは素直に守ることができるため、メーテルは叱ることよりも「何故やったのか」という疑問を投げかけた。


「んーん、あそんでない」

「遊んでない……じゃあ、怖い人がいた?」

「わかんない。なんかぼーぼーすごかった」


 いまいち要領を得ない説明に首を傾げてしまう。火元には近づけないようになっており、不審者が侵入するにもわざわざ武に秀でた《グレイシャル家》を狙うのは命知らずと言うほかない。

 疑問は尽きず、うんうん唸っていると後ろから声がかかる。


「メーテルにジョセフ、そんなビショ濡れで一体どうしたんだ?」


 少し驚いた様子でそう話すのは、180cm後半の長身に灰色の髪、筋肉質な体格をしたグレイシャル家当主【ニール•グレイシャル】であった。


「お帰りなさい、アナタ。いえ、ちょっとジョセフが燃え上がってしまって」

「なんだ、少しジョセフが燃え上がっ……て…? すまない、もう一度言ってほしい」


 メーテルがサラリと言ってしまったため、思わずそのまま流しそうになるものの、すぐさま愛息子ジョセフの全身を観察し、その無事を確認した。

 二人からことの経緯を説明してもらうと、先ほどのメール同様、原因が何であるかが分からないようだ。


「ふむ、しばらくは周辺に不審なモノや人がいないか警戒するよう家の者たちに知らせよう」

「ええ、お願いします」


 取り敢えずの対策としてはそれが限界であった。しかし、愛息子を火ダルマにした犯人がいるのだとしたら………、黒い感情が湧き上がりそうであったが。


「ぱぱ、ごはんたべよ」


 その一言で気持ちを切り替える。なに、いざとなれば首を刎ねればいいだけの事、そう思いながら二人に着替えをすすめた。


 20分後。珍しく三人での昼食である。長方形のテーブルの上座にニール、ニールから見て右にメーテルと左にジョセフといった並びかた。

 本来ならば仕事の時間であるはずのニールだが、この日は二人に報告をするため、早々に戻ってきたのだ。


「それで報告とはなんです? 良いもの……ですよね?」

「そう不安がらなくてもいいよメーテル。なに、明日はジョセフの3歳の誕生日だろ? にご挨拶をするだけだよ」


 ニールの仕事とは旦那様の補佐、具体的にはに仕える執事である。その昔、まだ家名をもたず貧しかったが、文武に秀でた才を持つグレイシャル家の初代当主をブランディア家が取り込んだ。それ以来、3歳になるとブランディア家当主(旦那様)と将来仕えるべき方に挨拶をすることが恒例となった。


「だから何も心配することはないさ、はっはっは」

「はぁ……安心しました」


 メーテルも決して最初から忘れていたわけではないが、息子炎上事件(物理)があまりにも衝撃的であったため、頭から吹き飛んでいたのだ。


「ジョセフも3歳ですか、ふふ」


 視線を移せば、それに気づいたのか「むふ〜」と、なにか得意げなドヤ顔を見せてくる。この前まではハイハイをしていたのに、いまでは体力の限り走りまわる。子どもの成長をひしひしと感じたメーテルであった。


「ジョセフ、明日は朝早くご挨拶に行くから、しっかり寝るんだぞ?」

わかったほはっは

「口のものを呑んでから返事しような?」


 優しく聡いこの子ならば、きっと未来の主人とも良好な関係を築けるだろうと、確信にも似たなにかがニールにはあった。


 明日の準備を早々に終わらせ、三人はいつもより早く寝床につく。


「ねえ、アナタ。ジョセフは大丈夫かしら?」

「大丈夫だ」


 そう言い切ってくれたニールに、抱いていた不安の一切がなくなったメーテル。「ふふふ、そうね」と笑えば、すうすう寝息を立て始め、その様子を見たニールもまた、明日に備えてまぶたを閉じるのだった。



 朝日が登る。今日はジョセフの誕生日。


 立派な門をくぐり抜け、大きな庭に到着したグレイシャル家一行。

 待ち構えているのは当然、ブランディア家当主【ガイウス•ブランディア】、そしてその妻【カーシェ】と娘【ネロ】である。


「おはよう御座います旦那様、奥様、お嬢様」

「おはようニール、それにメーテルも元気そうで何よりだ」

「お久しぶりで御座います旦那様」

「よし、早速ではあるがお互いに挨拶しようか」


 そう仕切ったガイウスは娘のネロを、ニールは息子のジョセフをそれぞれの横に並び立たせた。


「さあジョセフ、挨拶を」


 コクリと頷き、一呼吸。


「おはつにおめにかかりゃます。ニール•グレイシャルのむすこ、ジョセフ•グレイシャルともうしゃます。ガイウスさま、カーシェさま、ネロさま、どうぞよろしくおねがいします!」

「ガッハッハ、素晴らしい挨拶だぞジョセフ! さて、ではこちらも挨拶を返さねばな」


 ところどころ噛んでいたが、それでも堂々としたさまを見て、ガイウスは思わず笑ってしまったのだ。そして、娘に挨拶を返すよう促す。しかし、なにを思ったのか、ネロは1歩2歩3歩と後退し始める。みなが疑問を浮かべた次の瞬間───、


「ドッセエエェェェイッッッ!!!」

「へぶッ!??」


 全力ダッシュからの見事なドロップキックがジョセフの顔面へクリーンヒット!


「あたしより弱いやつはイヤッ!」


 気がつけば逃亡しているネロ。小さな身体を活かし、使用人たちの間をするする抜けて行く。ガイウスは当然の如く怒り、じゃじゃうまの捕獲に動き出した。


 カーシェは大きなため息を吐き、三人に謝る。しかし、ニールはもちろんのこと、メーテルもジョセフもネロの性格を事前に知っていたため、大きく驚きはしなかった。いや、嘘である。聞かされてはいたが、それでも初手ドロップキックは驚くなという方が無理である。


「元気なのは良いことです」

「いえメーテル、あれは元気ではなくて凶暴と世間で言うのよ」

「ははは、今日もネロお嬢様は平常運転ですな」


 三人がそんな会話をしている横で、他の使用人に治療されているジョセフは思った。


ネロあれはアカ毛のやべぇアクマだ)


 ある意味で忘れることができない、二人の初対面であった。




▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

「ちょっ、え? 初対面でドロップキックをかましたの!?」


 夕陽が差し込む汽車の中、つばの広い帽子を被った彼女は焦った様子で訊いてきます。


「ほっほっほ、驚かれるでしょうがその通りです」

「……そうですか。確かに、それはヤバいやつ認定されても仕方ないですね……はぁ」


 自分でも似たエピソードがあるのか、少し気落ちしている彼女。このままではいけない、紳士的フォローをせねば。


「大丈夫でございます。当時は衝撃的でしたが、今ではこうして笑って話せる思い出となっているのですから」

「……そう?」

「そうですとも」

「……ふふ。ええ、そうなのね」


 ふむ、よかった。なんとか気分を取り戻していただけたみたいです。


 目的地まではまだまだ遠い。襟を正して、私は再び語り始めるのでした。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ここまで見ていただき、ありがとうございます。

初手ドロップキックをかます主人にジョセフはついていけるのか、作者ながら不安でごさいます。


話は変わりますが、メインヒロインよりもサブヒロインを好きになる現象に名前ってあるんでしょうか? 気になって夜しか眠れません!


それでは、また次の話でお会いしましょう。


                    研究所

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