黄昏汽車

研究所

第1話

「さて、ここにしましょうか」


 テーブルを挟んで向かい合うように並んだ座席の一つへと腰掛ける。イタタタ……年を重ねるごとに身体のどこかが「もうやめてくれ〜」と、泣き言をあげるようになってしまった。

 ふぅ……と一息。少量の荷物が入った手さげの鞄と一輪の花を横へ置き、少し日が登った窓の外を見やる。

 人の手が加わっていない自然は美しく、光を反射させた葉は自身が光源であるとでも言いたげだ。


「目的地は終点の一つ前でしたか……ふむ」


 長い。とても長い。もしかしたら明日の朝まで座っているのではないだろうか? これでは身体がバラバラになってしまいそうだ。


「少々はやいですが昼食にしましょう」


 行き先は遠く、うなっても憂いても変わらないのだから時間を有意義に使おうじゃあないか。昼食はその第一歩である。

 鞄の表面をなでるとサラリとした心地よい肌触りが返ってくる。かなりの時間を共にしたが、くたびれた様子はなく立派なものだ。おっと、いけないいけない、昼食を取り出さなくては。


「たまごとハムのサンドウィッチ……ぺちゃんこになってますね、それと紅茶に角砂糖と。よしよし、それではいただきます」


 ぺちゃんこのサンドウィッチと水筒に入った紅茶、角砂糖が入った小瓶をテーブルに並べていざ昼食。ついでに読みかけの小説を片手へ、小さな幸せの時間が始まったのでした。


 ──ガタン、ゴトンと汽車の音

 ──ぺらり、ぺらりと小説の音


 ──ガタン、ゴトン

 ──ぺらり、ぺらり


 ──ガタン、ゴトン

 ──ぺらり、ぺら……


 ──ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……


「──はっ」


 しまった。いつの間にか寝ていたようだ。

 若い頃であれば1日や2日の徹夜などなんて事はなかったのに、いまではたった数時間の読書に体力を奪われ気絶するように眠ってしまうようになった。この体たらくを貴女に見られたら、きっとお叱りになるのでしょう。

 さて、昔を懐かしむのはやめです。見事なほどに真っ白な髪をと、これまた同じように白い髭を整えて残った紅茶を飲み干す。時刻は黄昏時、私の一番すきな時間帯。


「少しの睡眠かと思いましたが……なるほど、かなりの時間が経っていたようですね。ほっほっほ」


 オレンジ色の夕陽が差し込む汽車。見た目も言動も好々爺然としてきた今日この頃。何もかもが懐かしく遠い日々のようで、昨日のことのように思い出される。


「───……」


 どれほど時間が経ったのでしょうか。遠くに見える陽の光に照らされ、きらきらと輝く夕陽の海と化した立派な稲穂を見ていると、鈴を転がしたような美しく心地よい声が聞こえてきました。


「合席、よろしいでしょうか」


 声の主に視線を移すと、そこには凛とした雰囲気をまとった妙齢の女性が佇んでいたのです。

 白いドレスに白く鍔の広い帽子が真紅の髪をより一層美しく際立たせていました。


「はい、ぜひともご一緒してくださいませ」


 女性からのお願いならば二つ返事で了承するのが紳士というもの。広い鍔でお顔がよく見えませんが、きっと愛らしくも美しいのだと予想できます。


「ふふっ、では失礼いたしますね」


 そう言うと彼女は向かい合うように座りました。くすくすと笑う声も、まるで小鳥のさえずりか川のせせらぎか。私が年若い青年であったのならば確実に恋心を抱いていたにちがいない。


「お嬢様、本日はお一人でしょうか?」

「あら、お嬢様だなんて久しぶりに呼ばれました。はい、わたし一人だけのさびしい旅行です」


 それからというもの、穏やかな雰囲気のなか、彼女はこの老人の話を楽しく聴いてくれました。

 会話をするなかで、どうやら終点が目的地なようです。


 ──終点ですと……もしや朝まで?

 ──ええ、朝まで


 一人での旅行に慣れているのか、それくらいの時間はどうということはないという雰囲気でした。いささか危険かとも思いますが、それをあえて言葉にするのは余計なお世話というもの───ほら、こちらの考えていることは分かっているぞとばかりに、悪戯な笑みを浮かべています。「なので」と彼女。


「どうか貴方のお話をお聞かせください」


 私は一瞬かたまってしまいました。

 はて、私の話……?


「そうです。貴方のお話です。どこで生まれ、育ち、ここまで歩んできたのか───その軌跡が知りたいのです」


 先ほどまでの談笑していた様子とは打って変わって真剣な彼女。

 奇妙なのです。まことに奇妙なのです。本当に奇妙なのです。


 確信でしょうか。

 予期でしょうか。

 当然でしょうか。


 いいえ、どれも間違ってはいませんが、正しくもない。


「ふむ……ああ、なるほど」

 

 なるほど。

 私はそう尋ねてくることをのです。

 承知いたしました。


「不肖、このジョセフのお話をお聴き下さいませ」


 そう言った私の口は笑っていたのでしょう。人に歴史ありとは言いますが、この私もそれなりの道を歩んで参りました。笑うも涙するも自由でございますれば、何卒、この老人の話にお付き合いくださいませ。

 

「ふふ。ええ、お願いしますねジョセフ」

「ほっほっほ。では、まず私が生まれたのは──」


 柔らかな夕陽が差し込む汽車。

 黄昏時に紳士は語ります。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

次回「ジョセフ」


これは老紳士、ジョセフの過去を見ていく物語でございます。


 皆さまの興味•関心を少しでも引けたら……と思いながら頑張って参りますので、何卒よろしくお願いいたします。


                    研究所

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