pedwar

「エムリス」


 ――目の前で蝶が舞ったと思えば、いつものドルイドが姿を現す。呼ばれた本人は思わず、椅子からひっくり返りそうになった。何せ、文字を覚えている最中だったのだ。知識層にばかり任せていないで、自分の目で文字を読みたいと、最近になって思い始めて。

「……おまえはいつも、唐突すぎるぞ」

「そりゃあ、もちろん。魔術ってのはさ、唐突な方がびっくりするだろ?」

 マルジンは机をちらりと見やり、愛おしそうな笑みを浮かべた。「これはね、"dru"って読むんだよ」と、丁寧にチェックを付けながら。

「で、何の用だ」

「別に、用はないけれど。なんとなく、君に会いたくなったんだ」

 お決まりの返事を耳にして、王は眉間にしわを寄せる。マルジンという男は暇さえあれば、いつもこうしてやって来る。まるで、執拗にじゃれつく子犬のようだ。

「あいにくだが、私は文字を覚えるのに忙しい」

「文字なんて、いつでも覚えられるだろ? それよりさ、僕の話を聞いてくれよ」

 王の返答を待たずして、彼は宙に手をかざす。心地良い風が頬を撫で、二人は魔法に掛けられた。


 部屋の壁がぐにゃりと歪み、溶けたように消えていく。やがて視界が開けると、そこには平原が広がっていた。


 足裏から伝わるのは、柔らかい新芽の感触。顔を上げると巨石があり、意味ありげに並んでいる。

 王は辺りを見回した。マルジンのやつ、幻術の類を仕掛けたなと、心の中で思いながら。

「さぁ、エムリス。ここがどこだか分かるかい?」

「当然だ。おまえとよく行く、あそこだろう」

 円陣状に並べられた、直立不動の大岩たち。いつからここに佇んでいるのか、どこの誰にも分からない。それが実に神秘的で、人々の心に深く残る。

 エムリスはマルジンに連れられて、しばしばこの平原を訪れた。草はらの上に腰掛けて、他愛のない話をして。

「これは、古い言い伝えなんだけどね。かつて、この地域を支配していたドルイドたちが、自らの力を示すために、この環状列石を造ったって……」

 彼はどうやら、この平原が好きらしかった。金色の髪を揺らしながら、空と地の境目を見つめている。

「ほら、西の海を渡った先に、エリンの島があるだろ? そこの山から石を取って、ここに並べたんだとか。……もちろん、魔術でね」

 エリンとは、ブリタニアに西隣する島の名前だ。エリンの都にもドルイドがおり、知恵と魔術に長けているそう。

「エリンに住むドルイドたちも、負けじと石の環を造っていそうだな」

「ははは、どうかな。ひょっとして、この島から石を運んでいたりするかもね……」

 マルジンは笑っていたが、途端に寂しげな顔つきになる。それがどうにも頼りなく、王は小さく首をかしげた。

「何だ、おまえ。言いたいことがあるなら、言ってみろ」


 草木の擦れる音が聞こえるほど、辺りはしんと静まり返る。マルジンはじっと考え込んでいた。それも、かなり長い間。


「……あのさ」

 驚くほど、か細い声だった。一たび風が吹いてしまえば、花びらとともに舞ってしまいそうだった。

「僕ね。昨日、夢を見たんだ」

 心なしか、碧い瞳が潤んで見える。夕方と夜の境のような、淡くて脆くて曖昧な色。

「君の戦士が、倒れていた。だだっ広い、草原の上で。真っ赤な血を流しながら、仰向けになって死んでいた」

 彼は王に寄り添った。腕を組んで、指を這わせる。

「みんな、死んじゃうんだよ。カイも、ベドウィルも、グワルフマイも。生き残りなんていないぐらいに、みんなみんな、死んじゃうんだ」

 死んじゃう、死んじゃう。彼は何度も、「死ぬ」と言った。

「それでさ。君は誰かと戦って、最後に相討ちになって死んじゃうんだ。僕の手の届かないところで。苦しそうに、喘ぎながら……」

 エムリスの顔が、徐々に引きつっていく。いやに、現実的な夢だった。体に走る激痛を、ありありと想像できた……。


 ……いや、違う。もしかすると、これは夢ではないのかもしれない。


「おまえ、まさか……!!」


 ――次の瞬間、二人の間に亀裂が走った。組まれた腕が引き剥がされ、辺りは暗闇の中に落ちる。


「下がって!!」

 マルジンには、すぐに分かった。誰かが自分の術に干渉してきたのだと。

 そして、再び瞬いたとき、そこは鬱蒼とした森の中だった。

 王はいない。マルジンが一人、木々の間に立っていた。

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