誕生日は感謝を強要される日

 父はわたしたちの誕生日には誕生日ケーキを買ってきてくれた。わたしは甘いものが大好きだったので、誕生日ケーキを食べるのが毎年の楽しみだった。ただ、誕生日ケーキを食べる前に、わたしたちが生まれた時や乳児だった時の苦労話を延々と聞かされるのがいつも憂鬱だった。両親がいかに大変な思いをしてわたしたちを育ててきたのかを毎年父に説明されるのだ。そしてその度にせっかくの楽しい気分が台無しにされ、両親に苦労をかけてきたことに罪悪感を抱かされた。小学校の先生や友達は素直に祝ってくれるのに、父は散々苦労話を聞かせて「だから感謝しなければならない」と教えた後に、おまけ程度に「おめでとう」と言ってきた。

 わたしはそんな祝われ方をしても、祝われている気がしなかった。でも、「両親がわたしたちを苦労して育ててきたのは事実なのだろう」と思い、嫌だとは言えなかった。両親にとっては、わたしたちの誕生日は「わたしたちを祝う日」ではなく、「わたしたちに感謝してもらう日」だったのだと思う。


 子どもを育てるのはとても大変な仕事であり、感謝してもらいたいという気持ちになるのは当然のことなのだろう。でも、“感謝の気持ち”は自然に湧いてくるものであって、強要できるようなものではないと思う。わたしは就職するまで親に学費や生活費を出してもらったけれど、今でも素直に感謝する気持ちにはなれない。わたしに暴力を振るったり、怒鳴ったり、否定的な言葉をかけ続けたりして、死の手前まで追い詰めたのもまた親だからだ。

 親が子どもを健全に育てていれば、子どもは自然と親に感謝の気持ちを抱くようになる。わたしはそう思う。

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