わたしには“正しさ”の基準がなかった

 わたしが小学生だった頃、テレビを見ることは母に厳しく制限されていた。宿題が終わるまでは許されなかった上に、食事中はいつもテレビを消されていた。見る番組も制限されていて、わたしたちが見ても良いのは教育番組とごく一部のアニメだけだった。“バラエティ番組”という言葉の意味さえ知らなかった。

 クラスの子たちが昨日見たバラエティ番組の話をしたり芸人さんの物真似をしたりして盛り上がっている中で、話についていけないわたしは孤独だった。わたしは有名な芸能人の顔も流行りの歌も知らなかった。いろんな歌を小学校の放送で流れているのを聞いて覚えたので、サビしか知らなかったり曲名や歌手を知らなかったりするのが大半だった。だから「好きな歌は?」とか「好きな歌手は?」とか聞かれても困ってしまっていた。


 漫画を読むこともほとんどなかった。教材の広告として送られてくるものを読むのが漫画との唯一の接点だった。しかし、わたしは漫画に触れることがあまりに少なくて、“漫画”という言葉の意味を知らなかったので、自分が漫画を読んでいるという自覚がなかった。クラスの子たちが言う“漫画”とはなにか楽しそうなものだと思っていた。だから母に「わたしは漫画を読んだことがない」と言ったことがあった。母はそれに対して「なに言ってるの!いつも送られてくる漫画を楽しそうに読んでいるじゃない!」と答えた。わたしはそれを聞いて初めて、コマ割りのある絵を使って描いたものを“漫画”と呼ぶのだと知った。そういう家だった。


 そんな環境で育った影響で、わたしは「自分は世間知らずだ」という認識を強く持っていた。自分や家族とクラスメイトの認識が違えばクラスメイトの方が正しいのだと考えるようになった。自分の家は特殊なのだと認識できたのはこの時だった。

 自分よりクラスメイトの方が正しいのだと考え、その考え方や行動を取り入れるようになったことで、わたしは家では身につけられない“常識”を学ぶことができた。その一方で、自分より他人の方が正しいと思い込んでしまったことで、常に他人の顔色をうかがうようになってしまった。自分の軸を失い、周りに左右されるだけになってしまったのだ。


 異常な環境で育ったわたしには、“正しさ”の基準がなかった。頼りになるはずの親がおかしいのだと気づいたところで、今度はなにが正しいのか分からず混乱するばかりだった。そんな状態では外から入ってくる情報を取捨選択することなどできなかった。

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