ゲームを楽しむのは悪いことなんだ

 わたしは小学生だった頃から「勉強するのは良いこと。勉強が終われば外遊びをしても良い。ゲームをするのは良くないことだが、良い子にしていれば週30分だけ特別に許可してあげる。」といった教育を母から受けていた。そのため、ゲームが大好きだったわたしにとって、週30分しかないゲームの時間はとても貴重なものだった。週30分というルールを破ればゲームを取り上げると脅されていたので、30分経てば渋々ゲームをやめていたが、ゲームをした後は弟たちとゲームの話をするのが楽しかった。

 しかし、母はわたしたちが楽しそうにゲームの話をしているのが気に入らなかったようだった。ある日いつものように弟たちとゲームの話をしていると、「そんな話聞きたくない。もっと有意義な話をしなさい。」と言ってゲームの話をするのを禁じてきた。それ以降、母の前ではゲームの話をすることすらできなくなった。わたしは楽しいことを禁じられるのは嫌だったが、母の言うことが理不尽だとは思わなかった。くだらない話ばかりしている自分たちが悪いのだと思っていた。


 母は病的に「勉強するのは素晴らしいことだ」と思い込んでいた。「外遊びは体の健康に良いから勉強が終われば許可する。ゲームは時間を無駄にするものなので与えたくないが、子どもがねだるのでご褒美として許可してあげている。」という認識のようだった。そして口癖のように「ちゃんと勉強していればエアコンの効いた涼しい部屋で事務的な仕事をできる。勉強していなければ暑い炎天下で肉体労働をしなければならなくなる」と言っていた。まだ広い世界を知らなかったわたしは、母のその言葉を疑いもせず信じていた。だから遊ぶのは良くないことだと思っていたし、家でゲームをしているだなんて恥ずかしくて人に言えなかった。“楽しい”という感情を持つことに対して罪悪感さえ感じていたように思う。


 大人になった今、周りの人たちが子どもと一緒にゲームをしているといった話を聞くと、自分の子ども時代との差に愕然とする。母は一緒にゲームをするどころか、ゲームの話をすることすら許してくれなかった。ゲームを楽しむのは悪いことだと刷り込まれてきた。

 わたしは、わたしの素直な気持ちを認めてほしかった。“楽しい”という気持ちを認めてほしかった。自然に浮かんでくる感情に罪悪感を抱くようになんてなりたくなかった。

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