母は病的にケチな人だった

 母は異常なまでにケチな人だった。そしてその価値観を当然のようにわたしや弟たちに押しつけてきた。


 わたしが小学校中学年だった頃、スティックのりを切らしてしまったので、母からお金をもらってのりを買いに行ったことがあった。当時わたしは小学校の同級生がテープのりを使っているのをよく見ていて、「わたしもテープのりを使ってみたいな」と思っていた。そこで母からもらったお金でテープのりを買って帰り、母にお釣りを返すのと同時にそのテープのりを見せた。すると母は「こんな贅沢品を買って!あなたを信じて余分にお金を渡すんじゃなかった!」とヒステリックに怒鳴った。結局そのテープのりはわたしが使うことになったが、使うたびに罪悪感を感じる羽目になった。


 わたしが小学生だった頃も夏は暑く冬は寒かったが、母は冷房やヒーターを使うのをなかなか許してくれなかった。夏は冷房の使用許可が下りるのは勉強する時だけで、冷房をつけている間は弟たちと雑談することさえ許されず、一言でも勉強と関係ないことを話そうものなら即座に怒られていた。冬は特に寒さが厳しい時期だけヒーターの使用が許可されたが、設定温度は16℃程で、ガスファンヒーターの温風吹き出し口に弟たちと3人で群がっていた。そんな状態では設定温度に達して温風が止まっても部屋は暖かくなっていないので、ヒーターの前で温風が出てくるのをじっと待っているのも日常茶飯事だった。

 ずいぶん長い間そんな環境で育てられた影響で、暑さや寒さを感じなくなるまでエアコンの設定温度を変えるのは贅沢だと信じて疑わなくなった。室内であっても、夏は暑さに耐え冬は寒さに耐えるのが普通だと思うようになった。それが異常な考えだと気づけたのはずっと後になってからだった。


 母が病的なまでにケチだったのは、母自身非常に貧しい家庭で育ったからなのだろうと思う。ただ、時代が変わり経済的に豊かになったのに自分が子どもだった頃と同じような我慢を子どもに強いるのでは、社会の進歩について行けていないとも思う。人間には“変化を嫌う”という性質があるのだと聞いたことがある。母がしていたことはまさにそれだったのだろう。

 わたしは、良い変化を積極的に受け入れられるようになりたい。そういう柔軟性を持った人になりたい。母がわたしたちにしてきたことを考えると、そんなふうに思えてくる。

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