こんな子どもみたいな人に支配されなければならないのか

 父がいつからわたしたちに暴力を振るうようになったのか、覚えていない。それくらいずっと幼い頃から、あたりまえのようにあった。ただ、少なくともわたしが小学校低学年だった時にはすでにあったのは確かだ。小学校中学年の頃、父の暴力に対して“恐怖”以外の感情を抱いたのをよく覚えているからだ。


 わたしが小学校中学年だった頃、具体的なきっかけは覚えていないが、父がいつものようにわたしのお尻を叩き、力ずくで言うことを聞かせたことがあった。

 その頃にはすでに暴力に慣らされてしまっていたからか、わたしは“恐怖”とは別に、“些細なことで激高して暴力を振るう父を見下す気持ち”と“そんな父に逆らえないことに対する屈辱感”を抱いていた。そこで、父がその場からいなくなったタイミングを見計らって、母にこう言った。

「なんでこんなしょうもないことで暴力を振るう子どもみたいな人の言うことを聞かないといけないの」

それに対して、母はこう答えた。

「父ちゃんのお金で生活しているから仕方ないんだよ。嫌なら早く独立して家を出なさい。」

 私はそれを聞いて、家を出られるようになるまでの途方もなく長い時間を想像し、絶望的な気分になった。そして、「力がなければこんな子どもみたいな人に延々と支配され続けなければならないのか」という無力感と悔しさで頭がいっぱいになり、歯を食いしばりながら泣いた。そうすることしかできなかった。


 大人になった今のわたしから見れば、子どもに暴力を振るっていた父はもちろん、そんな父から子どもを守ろうともせず、我慢し続けるように言った母も父と同様に罪深い。どちらもまともな親ではなく、虐待加害者だった。でも、そう思えるのは今のわたしに親から逃れるだけの力があるからだ。

 当時のわたしにはそうは思えなかった。父のお金で生活しているからには、どんな理不尽な目にあっても耐えるしかないのだと思っていた。早く大人になりたかった。早く経済力を身につけたかった。でも、そう思えるだけまだマシだった。それから何年も何年もあの家で飼い殺しにされているうちに、親にあらがう気持ちさえ折られていった。そして、自分でも理由の分からない苦しみにからめとられ、自身の死を願うようになった。結局、母の言う通り、父から完全に逃れることができたのは、わたしが就職して経済力を身につけた時だった。


 わたしは、当時のわたしのような子どもが見殺しにされるような社会であって欲しくないと思う。当時のわたしにそれは虐待だと教えてくれる人がいれば。そしてあの家から救い出してくれる人がいれば。死の淵まで追い詰められることはなかったのかもしれない。

 けれど、あれから15年以上たった今でも、日本の子どもを守る仕組みは全くもって不十分だと感じる。命に危険が及ぶような状況下にいる子どもでさえ十分に守られていないような有り様だ。当時のわたしのような、命に危険が及ぶほどではない暴力を受けている子どもなど、だれも助けてはくれないだろう。

 社会を変えるのは大変だが、不可能ではないはずだ。実際、何十年も前なら“躾”だとみなされ問題視されなかったものが、今では“虐待”だと認知されるようになっている。

 わたしのこのエッセイが、社会をさらに良くするためのほんの一助にでもなればと願っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る