二話④

 ましろの部屋で見つかったチラシを手に、早速、俺はひきこもりの支援団体に向かった。そこで事情を説明して、ましろと知り合いだったかもしれないひきこもりたちを紹介してもらうことができた。

「本当は個人情報の問題もあるからダメなんだけどね……」

 俺のお願いに、団体のスタッフさんもなかなか首を縦に振ってはくれなかったけれど、最後は情にほだされる形で、それを聞き入れてくれた。

「……すみません、無理を言って」

「一応、紹介はするけれど、この人たちがましろちゃんの行方を知っているかどうかはわからないよ」

「それはわかっています」

 紹介してもらえるのは、ましろがここに顔を出したのと同じ日に、この場にいたひきこもりたちだ。とはいえ、ましろがこの団体に顔を出したのは、数えるほどしかない。

 念を押されたように、彼・彼女らがましろの行方を知っているとも思えなかったし、訪ねても徒労になっておわる可能性もあったけれど、ただ家で、何もしないでいるより、ずっとましだった。

「それにしても、ましろちゃんもいなくなっちゃったなんて……」

 ぽつりと耳に入った言葉に、渡されたリストから顔をあげる。

「あの……、『も』っていうことは、他にもいなくなった人がいるんですか?」

 俺の率直な問いかけに、少し迷ったようなそぶりを見せたあと、スタッフさんは言葉をつづけてくれた。

「ましろちゃんだけじゃなくて、最近、急に連絡が取れなくなった人がぽつぽついるの」

「単純に、ここに来るのをやめてしまったとか、そういうことじゃないんですか?」

「そういうこともあるかもしれないけれど、ご家族の方に聞いても、どうにもはっきりしたことを聞けなくて……」

「何かを隠してるとかですか?」

「それもわからなくて。民間の団体だからね、無理やり部屋に入ることもできなくて……」

 そんなこともあって、本来ならば教えてはくれないことも、教えてくれたという。ありがとうございます、と、感謝の意を伝え、俺は支援団体をあとにする。

「それにしても、本当なのか……」

 建物を出た途端に、言葉が口からひとりでにもれた。

 ましろの他にも、姿を消してしまったかもしれないひきこもりがいるとは聞いたけれど、それは単なる偶然か、それとも何か裏でつながりがあることなのか。

 疑問は解消されないまま、翌日、紹介された三人のひきこもりたちを訪ねてみることにした。

「俺は別に世間でいうひきこもりってわけじゃないし、何もしてないわけじゃないから」

「はぁ……」

「漫画書いてるんだよ、漫画」

「…………」

「それで忙しくてさ、働いたり外に出たりしてる暇がそうないわけ、わかる?」

 一番はじめに会ったひきこもりの男は、人との距離感を失っているのか、間近にいる俺に対し、やたらと大きい声でしゃべりつづけた。

 松井という三〇過ぎの男で、初対面の俺に、自身の考えている漫画の設定を頼んでもいないのに語りつづけるわりに、一度も目を合わせようともしてこない。

「創作ってさぁ、大変なんだよ。自分を切り刻むみたいなもんだから」

 そうして、一番はじめに訪ねたのが、この松井だった。話半分で、松井の言葉を聞きながら、その様子をうかがった。

 何日も洗っていないことが一目でわかるほど脂ぎった頭、着ている服も垢じみて、本人は気づいていないのか、夏の暑さのせいも相まって、体からはすえた匂いが発せられている。

 松井という男の気持ちの乱れを表すようなものだらけの部屋。床には本や雑誌、そして、やたらにペットボトルが床に直置きされている。

 空になったものはまだいいとして、飲みかけのものを放置したらしい、変色した中身のそれは見るだけでも、胃にも目にも気持ち悪い。本人だけでなく、部屋も汚く、この場にいることすら不快だった。

 そんな俺の様子に少しも気づくことなく、松井は口角に泡をためてしゃべりつづける。むさくるしさの極みにあるこの男と、少しの間いっしょにいただけで、俺はもううんざりしきっていた。

「はっきり言って、今の時代、バカが増えたよ。ネットのせいかな」

「…………」

「こんな田舎だからさ、親も周りのやつも教養のないやつばっかり。俺の家のババアなんてさテレビを見ることぐらいしか……」

 話してすぐに、松井がましろのことを知らないとわかった。

「じゃあ、今日はどうも」

「あ、まだ話は……」

 だから、早々に話を切りあげて、松井の家をあとにした。

 一本目は見事に空振りだった。それだけでなく、松井という男に会って、俺はひどく消耗してしまった。

 ――口ばかり達者で、どうせこれから先だって、何かをするなんて気ないんだろ。

 よっぽどのことがない限り、松井はあの部屋から出ていこうとしないだろう。ましろもああなってしまったらと想像するだけで、薄ら寒い気持ちになった。

「あの、こんにちは……」

 次に話を聞く予定になっていたのは、花咲みさという二十代の女性だった。

 上京し、一度は就職したものの、心身の調子を崩して、会社を退職。そのまま実家に戻ると、部屋にこもりはじめてしまったという、まるで一つのモデルケースをなぞるようなひきこもりだった。

「すみません、浅宮です」

 もしかしたら、この人がましろのノートにあったたまひめだろうか。そんな期待を胸に、花咲の家を訪れ、部屋の前まで案内されるも、その扉は固く閉ざされていた。扉越しに声をかけても、返事はない。

 どうしたものかと、その場を動きかねていると、音を立てることもなく、わずかに扉が開いた。

「…………」

 その隙間から紙のように白く、骨ばった腕がすっと伸びてきた。ぎょっとしながらも、その指に挟まれていた紙片を受け取る。

 そこにはメッセージアプリのIDが記されていた。これで話をしようということか、連絡先を登録した途端に、メッセージが飛んできた。

『今日はわざわざ訪ねてきてくれて、ありがとう!』

『こちらこそ時間をとってもらって、ありがとうございます』

 戸惑いつつ返事をすると、また即座にメッセージが連続して返ってきた。

『暇! 暇暇暇!』

『こっちはめっちゃ暇だから(笑)。なにせひきこもりだから』

 部屋のなかはしんと静まりかえり、息づかいすら聞こえてこないのに、そのメッセージはいやに軽快で饒舌で、そして異様なほどテンションが高かった。

『直接、顔を見せないでごめんね』

『ちょっと今、人に見せられる顔してなくて』

『てか、いつものことだっつーの!』

 文章のなかに、様々な絵文字とスタンプが躍る。その奇妙な陽気さに、俺はひどく面食らいながら、アプリ上で会話をつづける。

 松井と話していたときと異なり、彼女の言葉には他人や社会への攻撃がない。逆にそれが不思議にも、少し不気味にも感じられた。

 また、松井が感情や好悪をはっきりと見せる男だったのに対し、花咲は自分のことや、その思いもつくろった明るさのなかに隠して見せようとしない。自虐めいた文章を俺に送りながらも、この部屋のなかでは少しも笑ってはいないだろう姿が容易に想像できた。

『それで、今日は妹さんのことを聞きたいんだよね』

『はい、スタッフさんから聞いているとおりです』

 この人は、ましろのことを知っているんだろうか。期待を込めながら、つづきの言葉を打っていく。

『妹について、もし知っていることや覚えていることがあれば、教えてもらえませんか』

『ごめんね、なんとなくは妹さんのこと覚えているんだけれど、はっきりしたことはもう頭になくて』

『漫画とかゲームの話を少しした気がするくらいで』

『そうですよね、ずいぶん前のことですから』

 落胆の気持ちを隠し、メッセージを返す。

『美人さんだったよね、すごく』

『役にたてずに、面目ない!』

 二本目は凡打か。やっぱり、何事もそううまくいきはしない。そのまま辞去の言葉を送ろうとしたところで、ふと、あのことを聞こうと思いついた。

『ところで、花咲さん、知ってますか?』

『何だろう?』

『ひきこもりの人たちがいなくなっているって話』

 その瞬間、花咲からの返事がぴたりと止まった。

 今までほとんど間を置かず、レスポンスが返ってきたのに、どうしてだ? いや、それどころか、扉の向こうで、じっと俺の様子をうかがうような気配すら感じる。

『いや、知らない』

 返事が戻ってきたのは、かなりの時間が経ってからだった。先ほどまでの過剰な饒舌さが消えた短い返事に、しらじらしさを感じてならなかった。

 この人はひきこもりの失踪について何かを知っているのか……? 

 ましろのことも本当は心当たりがあって、とぼけているんじゃないか。いや、メッセージの具合から、ましろのことは本当に知らないように感じられた……。

 そう思うと同時に、これ以上言葉や問いを重ねても、花咲は容易に口を割らないだろうとも直感した。

 とりあえず今のところは様子見しかできないと、暇を告げ、花咲の家を出る。

 そうして、訪れた三件目の家では話を聞くこともできなかった。

「うちには、ひきこもっている子なんていまぜん!」

 インターホン越しに用件を口にすると、そんな絶叫が飛んできて、話を打ち切られた。

「……なんだよ」

 三本目は敬遠か。スタッフさんから話が通っていなかったのか。いや、それにしても、いきなり怒鳴らなくてもいいだろう。

 あまりの剣幕に、はじめのうちはあきれと腹立ちを覚えもしたけれど、玄関から踵を返し、歩いているうちに、その気持ちはだんだんと薄れていった。

 身内にひきこもりがいるという事実は、簡単には受け入れがたい。家にひきこもりがいることを他人にとやかく言われたくないどころか、知られたくないという親だっているだろう。

 あれもそんな家庭の一つだったとのだと思うと、怒りの気持ちはそのまま苦く、重いものに変わってしまう。

 今日一日で三件のひきこもりの家を訪れた。あれ、と思うこと――花咲は何かを隠しているのか――はあったけれど、肝心のましろの行方については、これといった手がかりは得られていない。

 あいつは……、もうこの町にはいないのかもしれない。となれば、今まで刑事か探偵のような真似事をしてきたけれど、もう俺の手には負えないことだ。

 そう思うと、気持ちが沈み、足取りも重くなる。

 町のひきこもりたちが姿を消していることも、ましろの行方と関係があるのか。明日もまた一軒の家を訪ねる予定だけれど、それも結局、無駄になるのかもしれないな……。

 そんなことを考えながらも、ましろを探すことをやめる気はなかった。いや、やめることなんて、俺にはできやしなかった。

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