二話①
ひきこもりの妹、ましろの姿が部屋部屋から一睡もできないまま、夜が明けた。
山の際からいっぱいの朝日があふれだし、そのまま太陽が空高くへと昇りだしても、ましろは家に戻ってはこず、電源を切っているのか、携帯電話も一向につながらない。
いったい、どこに行ったんだ。夜半の散歩にしては長すぎるし、仮に家出だとしても、ましろが身を落ち着けられるような場所が、この町にそうあるとも思えない。
「事故になんかあってないよな……」
夜中、エンジンをうならせ、街灯もほとんどない田舎道を爆走する車がある。そんな車に跳ね飛ばされ、地面に血だまりをつくるましろの姿を想像すると、肌が粟だった。
「ばあちゃん、やばいよ! ましろがいなくなった」
朝起きて、自分の部屋から出てきたばあちゃんにそう告げると、
「んなばかほっとけ!」
その瞬間に、怒りの言葉が吐き捨てられた。
「どうせ家出かなんかじゃろ、ほっとけ!」
「……そんなことできるわけないじゃん!」
叫ぶように言い返すと同時に、家を飛び出す。はっきりとした行き先を定めないまま、ましろの姿を探して、町のあちこちをまわることにした。
「あいつ、どこ行ったんだよ」
都会とは言えない町、行くとしても、その場所は限られている。まずは人の多いショッピングモールのなかを探してみる。
夏休みの初日ということもあってか、ショッピングモールは昼前の時間でもかなりのにぎわいがあった。そんな人の群れのなかに、ましろの姿が紛れていないかと見てまわる。
「…………」
ましろを探して、あちこちを歩くなか、同じ年頃の子たちが、楽しそうに連れだって歩く姿に、自然と目が引きつけられてしまう。
アパレルショップや雑貨屋などでも同じ光景も目にするたび、どうして俺の妹だけがこうなのだろうと、なぜ、こんなことになってしまったんだろうと、苦いものが胸のなかで広がっていく。
そのまま一階から三階の駐車場まで、建屋のなかを何往復してもましろの姿は見つからなかった。
ショッピングモールでなければ、幹線道路沿いにある店のどこかにいるのではないか。そう考え、その周辺を見てまわったけれど、ここでも流した汗の分だけの収穫はなかった。
「あぁ、くそ……。最悪の夏休みだよ」
昨日から少しも眠っていないことに加え、夏のまっすぐすぎる日差しが俺の体力を容赦なく奪っていた。疲れに足が止まり、暑さのせいか、頭もひどく痛む。仕方なしに、一度家に戻って仮眠をとった。
「やっぱり、帰ってきてないか」
少し眠るつもりが、目が覚めたとき、すでに時刻は夕方の六時をまわっていた。思っていたとおり、ましろの姿は部屋にない。戻っていると期待はしていなかったけれど、強い落胆が体にのしかかる。
「部屋にこもってるから、ひきこもりじゃないのかよ……」
ひきこもりと失踪。まるで相容れないようなことの組み合わせに、起きたばかりだというのに、めまいがした。
これだけ探して見つからないなら、覚悟の家出だ。一月前の大喧嘩の記憶がよみがえり、頭を抱えてしまう。
少しも変わらない状況、いい加減業を煮やした俺はそのとき、ましろに向かってこう叫んだ。
――いつまでも部屋なんかにこもっているな。
目を真っ赤にさせたましろに、つづけて言葉をぶつけた。
――出てけよ、このひきこもり!
俺のせいか。
俺がそんなことを言ったから、ましろは姿を消してしまったのか。
もし、この町を出て、遠くに行ってしまったならば、もう俺たちの手ではどうにもならない。居間へと降りて、ばあちゃんに相談をする。
「ばあちゃん、あいつ、見つからないよ」
ばあちゃんはいかにも不機嫌な様子で、テレビを見ていた。朝と同じように、話しかけても、ろくな反応をしてくれず、ましろを心配する様子はない。
「俺たちじゃ、もうどうしようもならないよ。警察に行って、相談しよう」
ぎゅっと口を引き結んで、俺の話を聞いていたばあちゃんが突然に立ちあがり、大声で怒鳴った。
「んなことできっか!」
「…………」
「あんガキんために、ひとさまに迷惑かけられっか!」
――何言ってんだ、このばばあ!
そう言い返す間もなく、ばあちゃんは自分の部屋へと戻り、その戸を音が鳴るほどの強さで閉めてしまった。その剣幕のすさまじさに、俺はしばらくの間、ぼうぜんとした。
「なんだよ……」
確かに、俺だって誰彼かまわず、妹がひきこもりだと話しはしない。身内にひきこもりがいることを知られたくないという思いがある。
年が近い俺ですらそうなのだ。ばあちゃんのような年代の人にとっては、家にひきこもりがいることを、ひどい恥のように感じ、そう言ったのかもしれない。
「どうすんだよ、ほんとに……」
けれども、このままではにっちもさっちもいかない。未成年でも、警察で相手をしてもらえるのか。途方に暮れた気持ちのまま、もう一度、ましろを探しに出る。そんなことをしても、無駄かもしれないとは思う。けれども、このまま家で何もしないわけには当然、車の免許など持っていないましろが市外に出るとしたら、バスか電車しかない。昼間は道路沿いを探したから、今度は駅のほうへと自転車を向かわせる。
日が暮れたあとも、外気には昼の熱気がこもっていた。体にまとわりついてくるような熱と湿気のなか、探しても探しても、ましろは見つからない。
暑さがTシャツの背中をしとどにぬらし、汗とともに、強く固めたはずの決意もゆるく溶けだしていくなかで――、
「あれ、開くん」
背中に声をかけられた。俺のことを名前で呼ぶのは、身内以外では一人しかいない。だから、振り返る前に、声の主が誰かはわかっていた。
「先輩!」
駅近くの商店街で、ばったり市女先輩と出くわした。夏休みであるにもかかわらず、学校にでも行っていたのか、制服を着ている。
「どうしたの、そんな顔して」
「あ、いや……」
「何か困ってるなら、私、手伝おうか?」
差し伸べられた手を、即座にとることはできなかった。
ましろがひきこもっていることは、先輩にも玉森にも、ほかの友達にも話したことはない。
そう、結局、俺もばあちゃんと同じだ。ましろのひきこもりも、母親に捨てられたということも恥ずかしくて、人には言えないんだ。
――しょせんは、母親に捨てられるような人間なんだよ、俺たち兄妹は。
立ちすくむなか、自分を責める声が頭に聞こえた。
――くずに育てられたお前たちも同じ。だから、ましろもひきこもりになるんだよ。
自身の事情を話し、先輩に軽蔑されることが怖かった。
何も言えずにいると、先輩がその大きな目でとがめるようにして、俺を見つめた。その瞳の光に、いつかのように、魅入られたように体が固くなってしまう。
「あのさ、開くん」
「…………」
「誰かに助けてって言うの、少しも恥ずかしいことじゃないんだよ」
「…………」
「だめなのはね、解決できないことを自分のなかだけに抱えること……、わかる?」
あぁ、そうだ。先輩の言葉に文字どおりに頭がさがった。
「すみません、お願いがあります……」
つづけて、今、俺が置かれた状況を、ましろのひきこもりのことを含めて伝える。
「ひきこもり、か……」
俺の話を聞きおわった先輩の声には、深い思いがつまっているように感じられた。
「要するに、その妹さんが家出しちゃったのね」
「はい……」
「どこを探すつもりだったの?」
「朝にショッピングモールのほうを探したんで、駅のほうに行きます」
「そうだね。駅のこっちと向こう側、二人で分けて探そうか」
先輩の提案どおり、二手に分かれて、ましろを探す。時間もすでに遅く、また町の中心からだいぶ離れていることもあってか、あまり人気はない。
夜のとばりのなか、蛍光灯の明かりがちらつく小さな駅舎にもましろはおらず、広くもないホームを改札側からのぞき込んで見ても、その姿は見つからない。
「見つかった?」
「いえ、ダメでした」
「そっか……。駅のほうから、住宅街のほうもまわってみたんだけど、そこにもいなかったよ」
駅の周辺を探すだけ探しおわると、夜の九時に捜索を切りあげ、俺と先輩はお互いの状況を報告しあった。
せっかく先輩が手伝ってくれたというのに、ましろは見つからなかった。そう簡単に見つかるはずはないと思っていても、気持ちは消沈してしまう。
昼よりはだいぶましでも、全身にまとわりつくような蒸し暑さに体もくたくたになっていた。顔には出ていないけれど、それは先輩も同じだろう。今日はここでいったん解散しましょうと告げると、
「開くん、私、明日も手伝うから」
「先輩……」
「できることあれば、なんでも言ってよ。遠慮はなしだからね!」
本当に、先輩には感謝してもしきれなかった。
はっきり言って、俺と先輩の関係は同じ学校に通う生徒同士でしかない。それなのに、先輩はこんな遅くまでましろを探してくれ、明日も明後日もましろが見つかるまで、手伝ってくれると言う。
以前、先輩がやさしいのは家が裕福だからかとやっかんだことを、俺は今さらになって恥ずかしく思い、後悔した。
先輩は本当にやさしい。神さまみたいにいい人だ。そんな先輩の気持ちに触れ、朝より心は軽く――とはいっても楽観視しているわけではない――なっていたけれど、体のほうは限界だった。自分の部屋に戻ると、布団を敷くこともなく、畳の上に体を横たえた。
本当に、ましろのやつはどこに行ったんだ。
カラオケボックスや漫画喫茶など、深夜営業の店はあるものの、未成年のましろがいつまでもそこにいることはできない。
公共の交通機関を使って市外に出るとしても、財布にそこまでの中身は入っていないだろうから、行けるとしても、岡山市か姫路のほうまでか。いや、もしかしたら、同行者がいる可能性もある。
そうだ、ばあちゃんには反対されたけど、警察に行って、行方不明の相談もしなくちゃいけない。それには何が必要になるんだろう……。
あれこれとつづく心配の気持ちも、しだいに眠気のなかへばらけていき、意識がふっつりと切れかける――。
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