一話⑦
それから一週間後。
迎えたたまむかえの祭りの日はちょうど一学期の終業日でもあった。学校がおわると、俺と玉森を含めた実行委員のメンバーと有志たちは市女先輩の家に向かう。
「それじゃあ、準備お願いします」
受け持つ俺の仕事は尾形家の正門から、あの雅卵堂までつづく道に白提灯を並べること。地元の高校生たちが中心となって祭りを開催する。そんな建前があるから、一応、俺がグループのリーダーとなって作業を進める。
「印付けからやりましょう」
学校だけでなく、地元の商工会やら手伝いやらで出てきた人たちといっしょに、まずは提灯を置く場所にマーカーをつけていき、次に並べる提灯の具合をあらためる。
用意したのは高さのない丸型の、尾形家にある卵を模した白和紙提灯で、その一つ一つに破れや不具合などないかを調べていく。
「それにしても、今の高校生はでぇれぇしっかりしてるなぁー」
「いえ、そんなことないですよ」
「うちの子なんかほんとになー……」
年配の人たちとの作業中、その合間になされる会話に、普段褒められ慣れていないこともあってか、居心地が悪くなるほどの気恥ずかしさを覚えてしまう。
「俺は何もしてないです。実際、提灯を用意してもらったのは商工会のみなさんですし」
尻がむずがゆくなるような気持ちで返事をすると、
「金出したのは、この家じゃが」
誰だろう。いくぶん反感の混じった声が耳に入った。
「あの、それはそうだと思うんですけど……」
声の主は、うちのばあちゃんと同い年くらいの爺さんだった。声とともに、いぶかしみの視線を向けた俺に、爺さんはにやりと妙な笑みを返してきた。
「こん祭りも、わしらが手伝う義理なんか、ちいともないんじゃけどな」
そういえば、この祭りももともとは内々で行われるものだったと市女先輩も言っていた。ただ、その嫌味な言い方に、顔が少しこわばる。
「あんたね……」
まわりの人たちも同じ思いを抱いたのか、顔色が変わっている。みなの雰囲気に水を差すような行為、俺が注意をしないといけないのかと迷っていると、爺さんの顔がさらに皮肉にゆがめいた。
「もともと尾形家なん、とうびょうの……」
その瞬間、明らかにみなの表情が変化した。特に爺さんと年が近い人たちほどその動揺があらわになっていた。
「おい、あんた!」
その場にいた男の一人が血相を変えて叫んだ。そうして、爺さんはつづきの言葉を発することなく引っ張られるようにして、場から連れられ、消えてしまった。
「まったく、あん人はいつもあんごーことばかし……」
「ちいともこりんもんな」
おばさんたちが口々に、爺さんの悪口を言い合うなかで、俺は爺さんが言った『とうびょう』という言葉が何を意味するのか考えていた。
音の響きでいえば病気と闘う『闘病』という言葉が一番に思い浮かんだけれど、それでは話の意味がとおらない。
ただ、わからないながらみんなの様子からして、そのとうびょうという言葉が何か悪い意味で使われていることは明らかだった。
この辺りの方言、それとも何か隠語のようなものだろうか。誰かに意味を聞こうかと思いもしたけれど、みなの表情に硬さが残っていたので、疑問を口にすることはできなかった。
そんなひと悶着をはさみながらも、提灯に不備がないかを確認しおえ、今度は尾形家の正門手前の道から雅卵堂までそれを並べていく。
「いい感じだな」
屋敷の外から、あの雅卵堂まで左右合計六〇〇個の白提灯が並ぶ道はなかなかに壮観で、日が落ちたとき、この一つ一つに明かりがともされたら、どんなにきれいか、そして、その光景を作り出したのが自分たちなのだと思うと、多少の誇らしさも感じてしまう。
こうして祭りの準備が済んだころ、時刻は午後の六時近くになっていた。
太陽は山の間に沈みかけているけれど、発せられる光はまだ強い。夕焼けの真っ赤な光と、紫色をした夜の暗さがにじんだように染み広がって、空高くでせめぎ合いを演じている。
祭りのはじまりまであと一時間ほど。会場の隅で玉森といっしょに休憩をとっていると、
「どうも、みなさん」
なまりのない滑らかな声が聞こえた。呼びかけをした中年の男はいかにも真面目そうといえばいいのか、それとも堅物がすぎるというのか、ニコリともせずに言葉をつづけていく。
「暑いなか、お集まりいただき、まことにありがとうございます。ご存じの方もおられるとも思いますが、自己紹介いたします」
少しの笑顔も見せないまま、男は一度、言葉をとめた。
「今回の祭りで巫女役を務めます尾形市女の父親で、尾形秀治(おがた・ひではる)です」
その男が先輩の父親と聞き、俺は少しばかり驚いてしまった。
「あの人、先輩のお父さんだよな」
「そうだよ」
「全然似てないなぁ。雰囲気とか顔つきとかもさ」
そうつぶやいた俺に、玉森はしっ、と指を口の前に立てて見せた。
「市女先輩って、もしかして……」
返事のかわりに、玉森が無言でうなずいた。
目の前の男と血のつながりがないということは、市女先輩は連れ子か養子だったのだろうか。気になったけれど、そこまであれこれ聞くほど、俺も雑なつくりの人間ではない。
それにしても、本当に人にはそれぞれ事情があるものだ。明るく振るまっているけれど、先輩も何か人に言えない気持ちを抱えていたりするのかもしれない。
そんな感慨を抱いていると、いつの間にか、先輩のお父さんの話はおわっていた。
「そろそろか……」
祭りがはじまる時間が近づくにつれ、だんだんと人の姿も増えてきた。老若男女を問わず、子どもや家族連れ、学校で見かける顔もそのなかにはいたし、市外からも見物客が訪れてもいるらしい。
出かける前、会場に来るよう誘ってはみたけれど、当然のごとく、ましろの姿はない。あいつが、こんなに人がいっぱい集まる、同じ学校の生徒に出くわすかもしれない場所に来るわけがないか。
そう思いつつも、若干のむなしさを胸に、提灯に不備がないかを最後に確認してから、俺も見物客のなかに混じった。
開始の時間まであと少し。今か今かとそわそわした気持ちでいると、ひそひそとした話し声が耳に入ってきた。
「巫女の役をやるのって……」
「そう、娘さん」
「あぁ、あの……」
「うん」
「あの子ってさ……、一度、死んだよね」
先輩が一度死んだ? 驚きに顔を振り向けると、視線がかち合ってしまった。感じた気まずさのまま、お互い目をそらす。
『ドラゴンボール』でもあるまいし、死んだ人間がよみがえるわけはない。事故か何かで仮死状態になったけれど、蘇生を果たしたということか……。
いや、それでもずいぶん大事だ。話が話だけに、本当かといぶかっていると、あの爺さんとの一件が脳裏によみがえった。
あの言葉は結局、何を意味していたのだろう。ポケットから携帯を取り出し、『とうびょう 意味』と検索するも、ヒットするのは闘病、投錨、痘苗……、などと、やはり先ほどのやりとりに使われた言葉ではないように思える。
それではと、『トウビョウ 意味』とカタカナで検索をやり直してみると、
「蛇の、憑きもの……?」
そんな結果が出てきてしまった。以前、蛇にまつわる話は先輩から聞いていた。尾形家自体も、蛇の神さまとかかわりがあるという言っていた。
そんなこともあるかと思っていたけれど、憑きものというと、話は変わってしまう。さらに詳しく調べてみようとしたとき、観客の間からざわめきが起こった。
携帯から顔をあげると、市女先輩が道のわきに設置された仮屋から子どもたちといっしょに姿を現すところだった。
普段とは異なる、少し濃い目の化粧が施された先輩。明るい笑顔も今は影も形もなく、怜悧ささえ感じる雰囲気が全身から発せられている。
真っ赤な紅をさした唇も固く引き結ばれ、長いまつ毛の生える眼は胸元に抱えられた卵――おそらく磁器か何かでできた――に落とされる。
――あれがしんらんさまってわけか?
身にまとわれた巫女装束も、そこらの神社で目にするものとは様相が違った。白い小袖に重ねられた上衣、その背の部分はしっぽのように長く伸び、それを引きずらないように、祭服(さいふく)姿の子どもがその先を持っている。
誰かが開催の言葉を述べることもなく、また長々とした祝詞もなしに、流れるようにして、自然と祭りははじまっていた。
卵型の鈴(りん)を持った二人の子どもが先導し、先輩がそのあとにつく。高らかに澄んだ音が鳴るたびに、先輩たちの列が進み、それに一つ先んじる形で、提灯に明かりがつけられる。
提灯は普通より少し厚めの白和紙を張られているため、その光はぼんやりと、下から染み出すように地面に広がる。
日もとっぷりと暮れ、夏の暑さを含んだ暗さが辺り一面に広がるなか、順々にともされていく無数の提灯は地上に落ちた諸星のよう。一つの提灯の明かりがともされるたびに、みなの口から感心を含んだ息や、感に堪えないような声がもれる。
「すごいな……」
ご多分にもれず、俺も目の前の光景に胸打たれた。美しいものになるだろうと期待するものはあっても、こうまで幻想的なものになるとは思っていなかった。
提灯の道を進んでいく先輩の姿に、先ほどまで感じていた胸の不安もどこかに消え去っていく。
「きれー」
いつの間にか、俺の隣に立っていた玉森が言った。
「うん、市女先輩って、ほんと美人だな」
俺の言葉に、玉森が含みのある笑みを顔に浮かべた。
「私はこの光景がきれいじゃなーってゆーたんだけど?」
……こいつ、ひっかけやがったな。
「もしかしのてもー、浅宮、先輩のこと好きなわけー?」
「そうだけど、なんか悪いか?」
「え! あ、ほんとー……」
気にしないふうを装った俺の言葉に、玉森は驚いたような、戸惑うような顔を見せる。
「いじってきたくせに、そっちが恥ずかしがるなよ」
「……じゃあ、好きって言うん?」
「できないよ」
「どうして?」
玉森の問いに、ふっ、と息を吐いてから答えた。
「俺と先輩、全然釣り合ってないじゃん」
母親には捨てられ、妹もひきこもりの俺なんか、一〇〇万人集めたって、市女先輩一人に及ばない。
何かを言いたそうに眉をひそめた玉森から、先輩へと顔を戻した。
――本当にきれいだな。
一心に向けられた俺の視線にも、先輩は少しも気づく気配はない。自らの役目に没頭しているのか、遠目からだと、神がかっているようにさえ見えた。
一行はそのまま屋敷の門をくぐると、敷地内の道を進んでいく。そうして雅卵堂の前までたどり着くと、先輩だけがそのなかに入った。
そのまま、しばらくしたところで、雅卵堂に明かりがともった。
これで、たまむかえの儀式はおわったのだろうか。見物客が列から離れ、散り散りになっていくなか、俺はどうしてか雅卵堂の前からなかなか離れることができないでいた。
――神さまって本当にいるのか?
開催の準備を手伝うなど積極的に祭りに参加したことや、美しい光景、凛々しい先輩の姿に、俺はにわかに神妙な気持ちになっていた。
その気持ちのまま、神さま、どうかましろのことを何とかしてくださいと、先輩のいる雅卵堂に向けて、そっと手を合わせる。
――毎日とは言いません。部屋から出て、少しでも学校に行ってくれればいいんです。
ただ、そんな気持ちになっていたのは、ほんのわずかな間のことだった。
屋台から漂うソースが焦げる匂いに、現実に引き戻される。そういえば、昼から何も食べていなかった。
「腹減ったし、何か食べようか」
玉森に声をかけ、屋敷の庭に出ている屋台の列に並ぶ。
もし、神さまが本当にいたとしても、ひきこもりなんて助けてくれるもんか。都合のよい願かけをした自分を、俺は鼻で笑った。
それなのに、俺の願いはほんの数時間後に叶っていた。
しかも、もっとも皮肉な形で。
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