一話⑥
「この辺りってさ……」
ただ、そんなだんまりを決めこんでしまったせいか、胸のなかに疑問が強くわだかまっていた。
打合わせをおえた帰りの道、たまった気持ちをガス抜きするかのように、いっしょに道を歩く、他のクラスの女子に尋ねる。
「先輩の家だけじゃなくて、いろんな話あるの?」
「話って?」
「しんらんさまとか、そういう不思議な話」
「あー、そうだね」
俺の問いかけに、首を少しかしげたあと、その子はあるあると話をつづけてくれた。
「おじいちゃんが子どものころ……、七、八才くらいのときに、お化け見たことあるって言ってた」
その言葉を前置きに、雰囲気を出すような、少し落とし気味の声で怪談語りがつづけられていく。
「だから、もう何十年も前の話だよ……、この辺りもまだ建物なんか全然なくて、畑と田んぼ、それか草むらが広がってたころのことだよ」
ふぅん、と、相づちを打ちながら、そのころの光景を頭に思い浮かべてみる。
今でもそこまで住宅や建物のない場所だ。昔は本当に自然ばかりの、言いようによっては、人の気配が少ない、ひどく殺風景な光景がこの周辺には広がっていたのだろう。
「おじいちゃんがお化けを見たのは夏の日、近所の子たちと遊んだ帰り道、ちょうど今と同じような夕日が落ちてきたころね」
話と同様、西の空では、太陽は赤く焼け、妙にぬらぬらとした光で周囲の空気を揺らしている。その日もこんな濡れたような光を太陽が発していたのかと思うと、少しだけ妙な気分になってしまう。
「帰り道を同じにしていた友達たちも、進んでいく道が分かれたり、家に着いたりして、その数も一人二人と減っていって、おじいちゃんは一人きりになっちゃった」
「ちょうど、今みたいにか」
「そう。道の後にも先にも人の姿はなくて、辺りはだんだんと薄暗くなっていくしで、怖くなってきちゃったおじいちゃんは早足で帰ることにしたの。そのころはさ、今と違って、道に明かりもなかったから、夕日が沈むと、辺りはすぐに真っ暗になっちゃう。そうなる前に帰ろうって、小走りで道を進んでいると、自分の後ろで、何かの気配がすることに気がついた」
「それで?」
「いったい何だろうって、足を止めて、振り返ってみたら……」
「振り返ってみたら?」
「後ろには何もいないの。念のために、辺りをよく見まわしてみても、やっぱり何もない。あれ、気のせいだったのかななんて、思いながら、もう一度、道を進んでいくと……」
「やっぱり、何かの気配がするわけか」
「そう。もう一度振り返って、誰、誰かいるの? って大きく声をあげても、返事は戻ってこない。それなのに、また歩き出すと、何かの気配と音がする」
「…………」
「これはもうおかしいって、それ以上は声をあげることもしないで、おじいちゃんは前を向いて全力で走り出した」
話はいよいよ佳境に入ってきたようで、その語りにも熱が入っていく。
「すると、逃げるおじいちゃんの背中を、何かが追いかけてくる。その怖さに、振り返ることもできないで、おじいちゃんは一生懸命に走った」
「あのさ、何か何かって言うけど、それって人間じゃなかったわけ?」
「私も同じこと聞いたら、違うって、おじいちゃんは言ってた。後ろからは、人間の足音が聞こえなかったからって」
「そうか……」
「そのまま必死で走っていると、川にかかった小さな橋が見えてきた。あの橋を渡れば、家につく。息は切れて、疲れてはいたけれど、おじいちゃんは足を止めなかった。そうして、あとちょっとで橋を渡りきるっていうときに、背後から、ぼちゃんと大きな水音がしたの」
聞くうちに、いつの間にか話に引き込まれていた。
それだからか、話と同じように、自分たちの目の前に川橋が見てきたことに、その直前まで気がつかなかった。
「自分を追いかけてきた何かが水のなかに飛び込んだ。……振り向いちゃだめだって、見ちゃだめだ。このまま帰ったほうがいいなんてふうに思いながらも、おじいちゃんは我慢できなかった。自分を追いかけてきたものが、いったい何だったのかを知りたくなって、橋の欄干からそうっと顔を出してみた」
「…………」
「だいぶ弱くはなっていたけれど、夕焼けの光が川に写りこんでいたから、何も見えなかったわけじゃない。薄い光と暗い影がゆらゆら混じりあった川の水面を、じっと見つめるおじいちゃんの目に、ひどく長い体をしたものが写った」
「…………」
「その何かはね、自分の体をするすると動かして、まるで魚みたいに上手に川を泳いで、川岸近くにあった家のなかに入り込んだの」
「それで、結局、その何かの正体はわからなかったのか?」
「うん。そのときはもうだいぶ暗くなっていったし、何かが川をあがったのは離れた場所だったから、よくは見えなかったみたい」
「話は、これでおわり?」
「おじいちゃんが直接に体験したことはね」
いかにも思わせぶりな言葉に、視線を向けると、にやりとした笑みが返ってきた。
「それから、数日経ったある日、その家でお葬式がたったの。いったい何があったんですかって聞いてみたら、その家に住んでいた人が病気でもなんでもなかったはずなのに、突然に死んじゃったんだって」
「…………」
「そのあとも、その家では病気にかかったり、事故に遭ったりした人がたくさん出ちゃったんだっていうんだけどさ……」
話の途中で、その子は急に足を止めた。そうして、今までよりもひそやかな声でつづきがささやかれる。
「実はさ、おじいちゃんがその何かを見たのが、この川なんだよ」
その言葉に、俺の足も止まってしまった。思わず、辺りを確かめるように、首を左右に振り向けてもしまう。
「ここで?」
それほど長くはない石の橋、そのまんなかで立ち止まる。思いがけず、本格的な怪談話を聞いてしまったことの驚きと興味、少しばかりの恐怖に体もこわばっていた。
「そう……、ほら、橋の下を見てみて」
その気持ちのまま、声に促され、川面をのぞきこんでしまう。
「今もね、その何かがこの川を泳いでいるんだってさ……」
まさか、そんなことあるわけないと、半信半疑……、いや、二信八疑の気持ちでオレンジの絵の具を溶かして流したような川の水面をじっと見つめる。
そこまでの幅も深さもない川には、うっすら光で色づいた水が流れていくばかりで、話に出てきた正体不明の何かの姿は影も形もない。
それにしても、話に出てきたものの正体は、何だったのだろう。
その何かが入り込んだ家で、不幸がたてつづけて起こったということは、単なる偶然か、それとも、その何かがもたらしたことなのだろうか。
はっきりとは言及されていないけれど、話を聞くに、それは……。
「なーんてね!」
考えにふけっていた俺の背中に、うれしそうな声がぶつけられた。なんだと振り返った俺の目に、いたずら気な笑顔が入った。
「……なんだよ」
その楽しそうな表情を見た瞬間に、はっきりと悟った。
要するに、俺はまんまと一杯喰わされてしまったのだ。のせられ、川面までまじまじ見つめてしまった恥ずかしさに、むっと顔をしかめてしまう。
「まぁまぁ、怒らないで……。おじいちゃんがそのお化けを見た場所はここじゃないけれど、それ以外の部分は本当だから」
「嘘じゃないだろうな?」
「ほんとほんと」
念を押すように聞くも、返事は軽い。その響きに、つい先ほどまで感じていた恐怖心は胸から消し飛んでいた。なんだか釈然としない気持ちでいると、
「そういえばさ……」、別の女子が思い出したように、つぶやいた。
「私はおばあちゃんからさ、昔は急にいなくなっちゃう人が多かったって話聞いたことがあるよ」
「いなくなる? 家出したとかじゃなくてか?」
「うん、神隠しってやつだと思う」
「…………」
「昔は、ふっと消えちゃう人がさ、今よりも多かったみたい」
先輩の家からの帰り道、何気なく聞いた話が後々、大きな意味を持つとは、このときの俺は思いもしなかった。
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