一話⑤
「方丈は強いなぁ……」
「私が強いっていうか、浅宮くんが下手」
体育座りに抱えた膝の下に、コントローラーを持つという独特の格好で方丈が言った。
「だって、はじめたばっかりだし」
「それも、そうか」
俺の言葉に、方丈たまきが頭巾のなかでうなずいた。以前に訪れたときと同様に、カーテンがしっかりと引かれ、明かりもつけられない部屋は昼でも薄暗い。
……あれから、俺はなんだかんだと方丈の家に足を運ぶようになった。そうしているのは、いくつかの理由がある。
第一印象からの落差もあったけれど、話をしてみると、方丈は案外、普通にしゃべれるやつだったこと、単純に、妹のましろも好きなゲームを、俺もやってみたかったこと、そして、方丈がましろに似ているように感じられたこと……。
ゲームが好きなところ、学校に行かずひきこもっているところ、頭巾を被っているから、その顔つきはわからないけれど、きゃしゃで細い体つきといったところが、方丈とましろは似ている。
方丈の家を訪ねるのは、二人が知り合いになれば、気が合うのではないかという期待もないわけでもない。
ただ、こうしていっしょにいても、方丈自身について詳しく知ったことはない。
あの卵の模像の正体や、どうして方丈が白頭巾を被っているのかもわからない。それとなく、玉森やほかのクラスメイトに聞いてみても、はっきりとしたことを教えてくれない。
また、方丈は両親や家族といっしょに生活をしていないようだった。たびたび家に寄ってもいるけれど、この部屋で方丈以外に人の姿を見たことがない。
方丈は親や親族とは暮らしていないのではないか。
それは、ふと見てしまった食器の数や靴、歯ブラシといった日用品の数でもわかった。そのどれも数が少なく、大人用のものがない。
家族とは単に別居しているのか、死別しているのか。そのどちらにしろ、それで、どうやって生活を送っているのか……。
そんなふうに、明らかに普通とはいえない方丈。いろいろ気になることはあるものの、ほじくり返して聞くことはなかった。
俺だって、自分のことをあれこれ聞かれたくはないし、実際、方丈も俺の身の上を――単純に興味がないだけかもしれないけれど――聞いてはこない。
それが俺にとっては心地がよかった。過去に傷のある人間が集まると、ときどき根掘り葉掘りの不幸の品評会がはじまることがある。
誰の過去が一番マシなものか、それとも、重く凄惨なものなのか。場合によって、そのベクトルは異なるけれど、どちらにしても、俺はそれが好きではなかった。
俺も方丈もお互いの過去は聞かないし、言いあわない。きっと普通じゃない身の上の二人は、そこで波長があった……、と、少なくとも俺は思っている。
この薄暗い部屋で、ひたすらにゲームだけをやる。それが俺と方丈の関係だった。
けれども、ましろに似ていると感じてしまうからか、方丈が学校にも行かずに、部屋にひきこもっていることだけは心に強くひっかかっていた。
「方丈もさ、たまには学校に顔出せば?」
「なんで?」
「いや……、いつも制服なんか着てるし」
「別に、これは楽だから着てるだけ」
「あ、そう。……で、どうして学校に行かないわけ?」
「好きじゃないから」
子どもかよ。自分から聞いておきながら、軽い答えに――やっぱり、方丈をましろと重ね合わせているからか――内心むっとしてしまった。
「好きじゃないってさ……」
そんな俺の腹立ちとは対照に、方丈の気配は少しも変わらない。
「何か学校でいやがらせされたとかか? その、見た目のこととかでさ……」
顔を隠しているのは、傷やあざでもあるのかとも思い、聞いてみたけれど、
「ううん、今は別に」
返ってきた言葉は相変わらず、短くそっけない。ただ、そのなかに、一つ気になることがあった。『今は』という言葉を使ったということは、昔は違ったのだろうか。
そのことが気になり、自らに課した禁も忘れ、なぜを重ねてしまうと、コントローラーを操る方丈の指が止まった。
「……向いてないから」
そうして、数秒の沈黙のあと、ぽつりと方丈が言った。
「学校生活が?」
「ていうより、生きること自体がかな」
「生きることが向いてない?」
唐突な言葉を、馬鹿のように繰り返してしまう。
「そう。私みたいに、この世界で生きることに向いていない子っているんだよ」
「そんなのって……」
ただの甘えじゃん。俺は心のなかでつぶやいた。この世界で生きることに満足しきってるやつなんて、いったいどれだけいるのだろう?
「甘いとか思ってる?」
俺の心を見透かしたような方丈の言葉に、どきりとした。
……ひきこもりや不登校児はどうして生まれるのだろう。本人の資質か、個々に置かれた環境か、それとも社会全体の問題か?
もしも、毎日の生活が明るくて、楽しいと誰でも感じられるような世界がくれば、ひきこもりなんて生まれず、ましろだって部屋に閉じこもることもなくなるのか。
でも、そんな楽園のような世界がやってくるとは――少なくとも、俺が生きているうちに――到底思えない。だから、今この世界で、どんなに嫌なことがあっても、なんとかやっていかなければならないんじゃないか……。
「けどさ、心のどこかでそう感じてる人いると思うよ」
方丈の声に、自分の考えから、はっと現実に引き戻される。
「いや、そんなんだめだろ。だいたい働かないで、誰かが飯を食わしてくれるわけじゃないし」
「…………」
「学生だったら、学校行くのが普通だし、そもそもひきこもってるなんてよくないだろ」
「どうして普通じゃないといけないの?」
「だって、そんなの世間が許さないだろ」
「世間っていうより、浅宮くんが許せないんじゃないの?」
とある小説の登場人物のような言われように、と胸をつかれてしまい、言葉が出てこなかった。
「どうして、そんなふうに思うの?」
そして、俺への意趣返しなのか、方丈が急に問いを重ねてきた。
「浅宮くんは普通でいたいの? どうして?」
方丈からの問いかけに、俺は答えることができなかった。
つっかからなければ、よかったと後悔を覚える。考え方でもその境遇でも、差異は人との関係にひびを入れる。むだに話をしなければ、俺と方丈の心の奥底にある違いが浮きぼりになることもなかった。
育った家庭環境、母親に捨てられてしまったこと、そして妹がひきこもっていることに、俺は強いコンプレックスを感じていた。
「でもさ、世間のかわりに許してくれるものがいたら?」
ただ、そのことを正直に口にする気にはなれない。黙っていると、方丈が聞いた。
「かわりって?」
「神さま」
その答えに、驚きで口があいた。方丈が何を言いたいのかまるでわからなかった。
「私は小さいころ、神さまだった」
つづいた告白にも、うん、ともへぇ、とも電波でも受けているのか、お前とも、とにかく、ろくな言葉を返すことができなかった。
唐突に発せられた神さまという言葉に驚きもしたけれど、『だった』ということも、その意味をいっそうわからないものにさせていた。
言葉の意味を問うこともできず、気まずい――少なくとも、俺はそう感じた――空気が部屋に満ちる。
「……時間も時間だし、俺、そろそろ行くわ」
どこか言い訳めいた言葉を口にしながら、立ちあがる。そんな部屋に、これ以上、方丈といっしょにいることはできなかったし、実際、次の予定の時間が迫っていた。
「どこに?」
「市女先輩の家。祭りの準備やるんだよ」
「そう」
「前にも言ったけ? 俺さ、妹がいるんだけど、よかったらさ、遊んでやってくれないか。ゲーム好きなやつだから、気は合うと思う」
「…………」
「祭りにも来たらいいよ。すごく立派なものになるみたいだから……、って、方丈は地元だし、そんなことくらい知ってるか」
そのまま、方丈の住む団地を出て、市女先輩の家へ向かう。
「あーぁ……」
その途中、自分の失敗を悔やんだ。人との関係はささいなことでおわる。こんなことがあっては、もう方丈のところへ顔を出せないかもしれないと思うと、肩ががっくりと落ちてしまう。
「気持ち、変えよう……」
そんな自分に対し、口のなかでつぶやいた。
たまむかえの祭りの準備を理由に、市女先輩の家に行けるんじゃないか。たまむかえの祭りは市女先輩の住む家の敷地で行われることになっていて、今日はその下見を兼ねての打ち合わせをする。
それにしても、お祭りができるほど広い家ってどんなものだろう。そんな疑問を胸に、たどり着いた先輩の家は俺の想像をはるかに超えるものだった。
「すごいな……」
無意識のうちに、情けない声がもれた。俺の家とは月とすっぽんほども違う家。
どこぞの城のように構えを持つ正門から白い玉砂利のしきつめられた道を進み、見えた中庭にはもうすでに実行委員と、各クラス学級委員の有志たち何人かの姿があった。
「浅宮、おす」
「玉森、何でいるの?」
「いちゃ悪い? 別に、稽古の帰りじゃし」
そう言って、玉森は背負った剣術の荷物を見せた。詳しくは知らないけれど、玉森は剣道ではなく、地元の剣術道場の娘らしい。
「ところで、それ何?」
そんな玉森は制服のスカートの上に、『ザ・クロマニヨンズ』というロゴと類人猿らしきキャラクターが描かれた妙なTシャツを着ていた。
「いいじゃろう。前、ライブに行ったときに買った」
玉森は見せびらかすように胸を張った。それは岡山出身で、玉森が言うには世界一のロックンローラーのバンドのグッズだという。
「知らん? クロマニヨンズ」
「うん」
「ブルーハーツもハイロウズも?」
「全然知らない。てか、俺、音楽あんま聴かないし」
「あー、もう信じられんわ! 岡山に住んどって、ヒロトさん知らんってさ」
「さん付けしてさ、知り合いでもないだろ」
「いいんじゃ!」
名前は知らなくても、『リンダリンダ』とか『人にやさしく』とか、絶対聴いたことあるじゃろなどと、なおも食いさがる玉森をよそに、俺は先輩の家にまじまじと目を向ける。先ほどからその様子が気になって仕方がなかった。
「それにしても、やっぱりすごいな」
母屋である日本家屋の屋根には黒光りする瓦がぎっしりと並び、家紋のついた唐破風も輝く。玄関からつづく縁側も見切れないほどに長くつづき、洋風の離れもそれに負けず劣らず、とんがり屋根の堂々とした姿を見せる。
「蔵もあって、映画のセットみたいだな」
「さすが、尾形の家じゃね……」
「田舎って、こーんな金持ちが住んでるもんなんだなぁ」
「田舎って、うちはここが地元なんじゃけど」
「あぁ、ごめん」
「いや、こっちも本気で怒ったわけじゃないし」、首を左右に振ったあと玉森が、「先輩の家だけが特別」、と妙な感慨を込めてつづけた。
「戦争のあとで土地とかとられても、全然だめにならんで、日本の景気が良かったときはどんどん事業を広げていったって、お父さんもゆーてたよ」
「へぇ……」
「今だって、町のさ、ショッピングモールとかを誘致したんも尾形ん人だって」
「地主で、実業家ってやつなのかな」
「うん。ほかに病院も不動産の会社もやってるし」
「じゃあ、市女先輩は超お嬢さまってことかぁ……」
俺と先輩、二人が住んでいる世界の違いに、声が暗く沈んだ。
思えば、先輩はいつでものりのきいた制服を着ている。明るく、楽しいその性格も、誰もかれも――そのなかに俺も含まれる――分け隔てすることなく接してくれるやさしさも、お金があることから生まれる気持ちの余裕のためなのか……。
「今日は集まってくれてありがとうね」
そんなみじめさに浸っていると、お屋敷の玄関から市女先輩が挨拶の言葉とともに姿を現した。こんな休日にもかかわらず、先輩は長袖のセーラー服に、黒いタイツを身にまとっている。
「たまむかえのお祭りは、まず神さまをお招きするところからはじまります」
そんな先輩を先頭に、俺たちは祭りの進行と、それが行われる場所を一つ一つ確認していく。
「この門の前から提灯を並べるんですよね」
「そう、門から一〇〇メートルくらいのところね」
外の様子を確認すると、また敷地内に戻り、迎え入れた神さまが向かう場所を見る。
「本当なら、神さまをあちらに迎えるの」
先輩の視線の先にあるそれに、うわぁと感嘆の声が出た。
「驚くでしょ」
玉森も俺の隣で、しきりにうなずいていた。
「あれ、なんていうんだ?」
「がらんどう」
耳にしただけでは、その字面がぱっと思い浮かばない。
「『雅(みやび)』な『卵』のお『堂』で、雅卵堂(がらんどう)」
つづいた玉森の言葉に、あぁと、俺は小さくうなずいた。
名は体を現すという言葉のとおり、それは楕円形の卵型をした、蔵ほどの大きさの建物で、その壁は漆喰か何かで白く塗られている。
夏の日差しを反射し輝く雅卵堂は、それほどの大きさはないものの、屋敷に負けないほどの存在感をもって、中庭の片隅にたたずんでいる。
「あのなかって蔵か何かになってるのか? 何のためにあるんだろう」
「さぁ……」
「先輩の家って、しんらんさまって神さまがいるんだよな」
「…………」
「その神さまをまつっているのかな?」
まさしく巨大な卵としか言いようのないそれを見つめているうちに、脳裏に思い浮かぶものがあった。
「でも、あれさ……」
「え、何?」
「いや、……なんでもない」
大きさはまったく異なるものの、それは方丈の家にあった卵によく似ていた。いや、それだけにはおさまらない。この屋敷のあちらこちらに卵を模すものが見てとれる。
その一つが尾形家の家紋だった。家紋はその中心に細長い形をした卵が描かれ、左右から、藤の花がかかる意匠をしていた。ほかにも庭に建つ石灯篭も灯り入れが楕円の形をしていることにも気がついた。
「ほんとに卵ばっかりだな……」
なるほど、しんらんさまが卵の神さまだというだけのことはある。
これらは方丈の家にあったあの卵の模像とも何か関係があるのか。この卵を産むのは、先輩に聞いたとおり、やっぱり蛇の神さまなのだろうか。
頭に浮かんだいくつかの問いを、先輩に尋ねてみようかと思ったけれど、場の空気に合わないようなこともしたくなく、黙っていた。
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