一話④
「それじゃあ、たまむかえのお祭りのことだけれど……」
方丈たまきの家を訪れてから、週明けの放課後。その日、俺は学校での委員会活動に出席していた。
「それぞれの係の状況を報告してください」
座の中心に座るのは三年生の尾形市女(おがた・いちめ)先輩。書記役の俺は黒板の前に立って、順々になされるみんなの発言を板書していた。
内容は地元で行われる、とある祭りについての打ち合わせと報告。一介の高校生たちがどうしてそんなことをするのかというと、学校の体験型学習の一環だったり、祭りの開催主の事情であったりと、色々な理由がつくけれど、俺がこの委員会に参加する理由は一つだけ。
「じゃあ、次は提灯係の浅宮くんね」
「あ、はい」
水を向けられ、俺は板書の手を止めた。制服のポケットから手帳を取り出し、書いておいたメモを読みあげていく。
「当日に使う提灯は地元の商工会の方から提供してもらう段取りはついています」
「うんうん」
と、小さく首をふる市女先輩の姿から少し目を外す。先輩のきれいに整った顔を、まっすぐ見つづけられない。実際、先輩は美人だ。美人で、超可愛い。口にできない分、心のなかで繰り返し言っておく。
「並べる提灯の数は六〇〇個で、半分ずつ道の左右に並べます。当日、使えなかったり破れていたりするものもあるだろうから、予備を三〇個ほど用意して……」
憧れの先輩にがっかりされたくない。知らない大人と話すなんて慣れないことだったけれど、自分なりに頑張った。
そんなふうに、緊張と期待を入り混じらせた俺から、市女先輩は視線を外さない。丸く、大きく、そしてよく光る目が瞬きすらせず、俺をじっと見つめつづける……。
「浅宮くん」
「…………」
「どうしたの、浅宮くん」
「あ、すいません」
まるで金縛りにあったみたいに、動きを止めてしまっていた。
「ぼーっとして、寝不足?」
「いえ、違います」
「じゃあ、私に見とれちゃった?」
にんまりと笑う先輩に、とっさに反応ができず口ごもる。
「正直ものめ。……じゃあ、つづきよろしく!」
「あ、……えーと、祭り当日の段取りは、午後の二時から作業を……」
市女先輩のしきりのもと、滞りを見せることなく会議は進み、祭りにおけるみなの役割、準備事項を確認していく。
「よし、今日はこれで解散!」
予定の時間よりも早く会議がおわり、みなが部屋から出て行っても、書記である俺はその日の議事録を残すために、先輩といっしょに会議室に残った。
「いつもありがとうね、開くん」
改まった場がおわると、先輩は俺のことを名前で呼んだ。
人懐こい性格の先輩のことだ。たぶん、ほかのやつらにもそうしているのだろう。だから、喜ぶことでもないんだと自分に言い聞かせようとしても、にやけた笑みが顔に浮かんでしまいそうになる。
「いや、自分の役目なんで」
身内以外で、俺のことを名前で呼ぶのは先輩しかいない。ひどくくすぐったいような気持ちに身もだえしながら、何でもないふうを装う。あんまり喜びをあらわにしても、格好悪いように思われた。
「いやいや、褒めてつかわすぞ」
俺の返事に、市女先輩は大げさな言葉と身振りで答え、鞄から岡山の名物であるきび団子を取り出した。
「……いつも持ってるんですか、これ」
「そうだよ、おいしいしね」
と、言いながら、先輩はきび団子を口にした。
美人であることを少しも鼻にかけることもなく、明るく気さくな性格も魅力的な先輩。でも、ときどき明るさを通りこして、行動が常識の壁をぶち破る。
「あれ、知らない? 岡山人はみんなきび団子を常備してるんだよ」
「じ……、地元アピールのクセがスゴい!」
「あ、今、ツッコミ頑張った? でも、何にでもクセが強いって言えばいいわけじゃないからね」
「ていうか、先輩も桃太郎じゃあるまいし、きび団子なんかもって、お供でも増やすつもりなんですか?」
「あ、いいね、それ! よし、それじゃあ開くんをその第一号にしてあげよう」
などと、うれしそうに親指をあげた手を突き出してみせた。
先輩はこういうノリが好きな人だけど、俺は少しの気恥ずかしさを感じてしまうし、こういう、お互いの仲を試すようなじゃれあいがうまくできているか、たまに不安になってしまう。
「ところで、このお祭りなんですけど、たまむかえっていうんですよね」
「話そらしたな」
その気持ちから、話題を変えようとしてみたけれど、魂胆をすっかり見抜かれていた。
「いえ、俺も生粋の地元民ってわけでもないし、せっかくの機会だから、先輩に教えてもらおうかなーって」
慌てて言葉をつくろうと、仕方ないなぁ、と先輩が笑った。
「そうだよ、神さまの御霊(みたま)を迎えるからたまむかえ」
「先輩の家だけでまつられている神さまなんですよね」
先輩の実家である尾形家は江戸の時代から連綿とつづく名家だという。だから、そういう独自の信仰があっても不思議ではないのかと思いながらも、驚きは隠せない。
「先輩がその巫女役をやるって聞いたんですけど」
「う~ん……」
普段とは違う姿の先輩を見ることができる。そんな俺の期待とは裏腹に、どうしてか先輩は不満げな顔で、頬づえをつく。
「何か難しいことでもやるんですか。踊りとか儀式とか?」
そういうシーンをすごく流行ったアニメ映画で見たことがある。浅い知識で尋ねた俺に、先輩は首を左右に振った。
「そうじゃないんだけど……」
「けど、何ですか?」
「神さまを迎えるなんてことする必要ないし、私が巫女役をやるのもおかしいから」
突き放すような市女先輩の口調に少し驚いた。どう答えを返したらいいのだろう。何も言えずにいる俺に、
「まぁ、みんながお祭りの会場でさ、たこ焼きでもなんでもお腹いっぱい食べてくれれば、それはそれでオッケーかな」
先輩は少し皮肉げに笑ってみせた。
「昔はね、内々でやっていたことなんだけど、今はいかにもお祭りっぽいこともやったり、屋台も並べたり派手にやってるの。いわゆる地元へのサービスってやつ?」
ということは、やっぱりただのどんちゃん騒ぎにはおわらない、きちんとした――という言い方が正しいかわからないけれど――儀式のようなことも行うのだろうか。
「その神さまって、結局、どういう神さまなんですか?」
「みんな、なんとなくは知ってると思ったんだけどな……」
俺の問いに、先輩はわざとらしく肩をすくめたあと、「あ、開くんはここの生まれじゃないから、仕方ないか」、と言った。
「私も聞きたいんだけど、開くんはどうしてこっちに越してきたの? 東京に住んでたんだよね」
「はい、まぁ……」
「いいな―! どこに住んでたの? 港区? 白金? それとも西片?」
「そんな高級住宅街なわけないでしょう。……蒲田の端のほうです」
「あの東京のやばい町で有名な……」
「蒲田の人、怒りますよ」
「あはは、冗談冗談。それで、どうしてこっちに越してきたんだっけ?」
「それはまぁ、家庭の事情で……」
母親が消えて、父親もいないからです。
そんな普通でないようなこと、口が裂けても言えない。
俺の家のことなんかあまり触れてほしくない。その気持ちが伝わってしまったのか、先輩はそのことを深くつっこみはしなかった。
「卵」
その代わりのように、黙った俺から目をそらし、ぽつりと言った。
「え?」
「まつっているのはね、しんらんさまっていう卵の神さまだよ」
その言葉に、息が止まった。
卵といえば、あの方丈の家でおかしなものを目にしたばかりだった。
「どうしたの?」
と、いぶかしむような市女先輩に、慌てて言葉をとりつくろう。
「いえ、珍しいなぁって思って。卵の神さまなんて」
「確かに、そうかもね」
言葉の途中で、先輩は夏でもタイツに包まれた長い足を組みかえた。
「でも、どうして卵が神さまになるんですか」
「日本には八百万の神さまがいるっていうんだから、卵の神さまだっていてもおかしくないでしょ」
「はぁ?」
「冗談は置くとして、もともとは蛇神信仰からだよ。……蛇は卵を産むでしょ」
「蛇ですか……」
先輩の言葉が呼び水となって、頭のなかにその姿が思い起こされた。
世の中には愛好家もいるらしいけれど、その姿に俺は可愛さよりも、文字どおり身がすくむような気持ちを感じる。その理由の一つが蛇があまりにも人間とは……、いや、ほかの動物ともまるで異なる姿を持つからだろうか。
細くて、長くて、毛の生えていない体をもって地面を這い、ときには自分よりもずっと大きな獲物を飲み込んで食べてしまう。蛇ににらまれた蛙なんて言葉があるように、あの丸い眼にはまぶたがない。その眼でじっと獲物を見つめ、ちろちろと赤い舌を口からのぞかせ、近づいていく。
また、すべての蛇がそうではないけれど、なかには人を死にいたらしめるような猛毒を持つような危険な生き物……。
「あの、俺、全然そういうこと知らなくて申し訳ないんですけど……」
卵、蛇、卵、蛇……。その姿を交互に思い浮かべながら、俺は疑問の言葉をつづける。軽い気持ちで聞きはじめたのに、ずいぶんとディープな話になってきたことにも、驚きを感じる。
「卵っていうか、そもそも蛇も神さまになるんですか?」
「なるよ。もちろん、岡山だけじゃなくて日本中……、ううん、世界中でもね」
「…………」
「日本でも蛇を特別な動物っていうふうに見ててね、長野県からは頭に蛇をのっけた土偶や、蛇の取っ手がついた縄文時代の土器も見つかってるんだよ」
「そう、なんですか……」
「世界では中国の創世の神さまってそうだし、メキシコでも大昔にケツァルコアトルっていう羽のある蛇の神さまを信仰していたみたい。あ、神さまとは違うけれど、アダムとイブに知恵の実のことを教えたのも蛇でしょ」
舌を噛みそうな名前の神さまのことはともかく、聖書に出てくるそのくだりは俺も知っている。
でも、考えてみれば、ほかの動物ではなく、アダムとイブの二人に知恵の実のことを教える役目を担うのが、蛇でなくてはならなかったのだろう。
「蛇は世界中で神さまとも悪魔とも見られている生き物なんだけど、例えば、奈良の三輪山(みわやま)に住む神さまが蛇の姿をするっていう話は知ってる?」
いえ、初耳です、と神妙な顔をつくって答えたものの、三輪山なんて山が奈良にあること自体初めて聞いた。
「まぁ、三輪山のことは知らなくても、ヤマタノオロチくらいは開くんも聞いたことない?」
それは昔話をアニメ化したものか、紙芝居か何かで見た記憶があった。スサノオノミコトという暴れものの神さまが八つの首を持つ蛇を退治する神話。
「岡山にも道通(ドウツウ)神社っていう、蛇の神社があるしね」
「え、なんですか、それ?」
「そんなところがあるなんてびっくりした?」
驚くというより、そんな場所があると聞いて、あまりよい感じはしなかった。漠然として、その根拠もないけれど、呪うだとかたたるだとか、蛇は悪い出来事を人間にもたらすようなイメージがある。
そんなふうに思うのは、きっと俺だけじゃないはずだ。そう、例えば、誰かを蛇のようなやつと言うとき、執念深いだとか狡猾だとか、けして褒め言葉として用いないことも、人が蛇に対し、ある種の不気味さや嫌悪を感じている証拠なのではないか。
「まぁ、確かにね」
そのことを正直に伝えると、先輩も小さくうなずきを見せた。
「蛇の憑きものを使って、人を呪うなんて話もあるからね」
「もしかして……」
「そう、この辺りにもそういう話がよく伝わってるよ。呪いたい相手の元に蛇を送って災いをもたらすっていう話」
やっぱり、俺の直感は間違っていないのかと思ったとき、
「でも、蛇のいる家は栄えるとか、白蛇を拝めば金運アップにつながるとかさ、蛇の抜け殻を財布に入れてるとお金が貯まるっていう話も聞いたことない?」
「あ、そういえば……」
思わず目からうろこが落ちかける。動物園に生まれた白蛇を目当てに人が集まったという話をニュースで耳にした覚えがあった。
「まさに禍福はあざなえる縄のごとしだよ。……うちの家も同じ。しんらんさまをまつって、家に幸福を呼び込もうとしているの」
「いや、それにしても……」
感心半分、困惑半分の声が出た。話をするばかりで、議事録をパソコンで打つ手もいつの間にか止まっていた。
「先輩って、ずいぶん変なことに詳しいですね」
先輩の性格からして、中二病のカッコづけで調べたとは思えない。家でそんなことを教えてもらいでもしたのか、それとも……。
「変?」
疑問の気持ちがそのまま顔に出ていたのか、先輩は少しとがめるように目を細めた。
「いや、変ていうか、どこでそんなこと知ったのかなって……」
「友達が教えてくれたの」
ふ、と笑って、答えた先輩。それは……、まさか友達という名の彼氏だろうか。
一番重要なことを、その日、俺は聞くことができなかった。
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