武蔵野分岐点
赤城ハル
第1話
戦争が終わり、俺と息子夫婦は疎開先から東京の武蔵野へと戻ってきた。
ここへ来るまで、ほんの少しの淡い希望があったが瓦礫だらけの東京の姿を見て、俺達は一度挫けそうになった。
武蔵野に近づくにつれ、言葉数も少なくなる。
そして燃やされて炭となった家の跡を目の前にして色々なものが去来した。
足元が崩れた気分だった。
現に俺は地面に腰を下ろして、涙を流し、無意識に
隣りで息子夫婦も泣いていた。
悲しみ、怒り、悔恨、そして絶望。
そういったものが順番に訪れては先の感情を上塗りしようとする。感情達はぶつかり合い、結局は混ざり溶け合う。
◯
改めて見ると巨大な焚き火跡のように見える。
「何もありませんね」
巴さんが汚れた手をはたきながら言う。そしてもう一度手を見て、溜め息を吐く。炭が着いたのだろう。巴さんは手拭いを出して手を少し強く、神経質気味に拭く。
「……そうかい。何もねえか」
俺は地べたに座りつつ弱々しく答える。
期待は薄かった。それもそうだろう。目の前にあるのは燃え滓のみなのだから。
青空だけが今も昔も同じように広がっている。
座っているのも地べたで、畳や床は燃えてなくなり、座れる場所は地べただけ。
駆け寄る足音に気づき、私は顔を振り上げる。
「父さん! どこもかしこも駄目だったよ」
他を見て回っていた息子の正太郎が戻ってきていた。
「長兵衛さんとこも、庄右衛門さんとこもさ」
長兵衛と庄右衛門は屋号である。正式な屋号ではないが、ここらへんでは昔の人の名前を屋号として使っている。
「そうかい。皆、焼夷弾ってやつで燃えたのかね」
「違うらしいよ」
息子は俺の隣りに座り、
「近くに中島飛行機武蔵製作所があっただろ?」
「ああ。あったな。日本一の技師が集まったとかの」
「それでここらへんは焼夷弾ではなく爆弾が落ちたらしいよ」
「そうか」
「ほら、焼けてるというより、吹っ飛ばされたって感じだろ?」
残った大黒柱を指して息子は言う。
だが、俺としてはぶっちゃけ焼夷弾だろうが爆弾だろうがどうでもいい。
壊されたのは事実なのだから。
「延命寺付近は相当ひどかったらしいよ」
「延命寺ですか?」
巴さんが調べる手を止める。
「ああ。あそこは近かったせいか相当被害が多かったってさ。防空壕に爆弾が落ちて、一家全員亡くなった人もいるとか」
「何人亡くなったの?」
「さあね」
巴さんのまつ毛が伏せられる。
「知り合いでもいるのかい?」
「ええ。お義父さんは?」
「いないね」
実のところ俺は武蔵野出身ではない。疎開先の富士見町出身でここへは婿養子として45年前に住み始めた。当時、武蔵野は田園風景の見えるのどかな村であった。
田舎から田舎へと来たといった感じで、東京は絢爛豪華という想いがあったため、武蔵野に足を踏み入れたときは、「東京にも田舎があるんだ」と驚いたくらいだ。
そして武蔵野はある日を境に変わった。
関東大震災だ。
あれは初孫が生まれた年だ。
大地震が東京を襲い、1日にして瓦礫の都市に変えた。
そして関東大震災後、武蔵野は被災者を受け入れ、住宅が増え、村から町へと
「この先どうなるのかね。こんなにめちゃくちゃにされてよ」
「ピカよりまだましだろ?」
ピカとは広島と長崎に落とされたメリケンの新型爆弾とか。1発で都市を崩壊したとか。
しかもその後、黒い雨が降って、土地が汚れたと聞く。
「ましって何ですか!」
巴さんが正太郎の言葉に憤慨する。
「まだ昭一も健二郎も戻ってないんですよ」
昭一と健二郎は俺の孫で戦地に召集され、まだ戻ってきていない。
巴さんの言葉は震えていた。言い終えると巴さんの瞳に涙が溜まり、まつ毛が伏せられると玉となり流れる。
「ごめんよ」
正太郎は慌てて立ち上がり、巴さんの肩に手を置く。
◯
東京に来るにはトラック移動しかなかった。東京は駅やバスが空襲で破壊され、移動手段は外からのトラックのみだった。
そしてそれは、家が無事だかの確認だけではトラックに乗って東京へは来れない。
それで我が家が物資を援助及び燃料費の負担するということで、ここまで乗せてもらった。
本来は帰りも3人の予定であったのだが、
「お前達は残るんだな」
俺は息子夫婦に確認をとる。家を建て直すのかどうかはまだ決めていない。だが、
「あいつらが帰って来て俺達がいないと……駄目だろ?」
孫が戻ってくるか分からない。もしかして……いや、そんなことを考えてはいけない。
「分かった。あとは頼んだ」
俺は正太郎の肩を叩いた。
「ああ」
「また物資届けに来るからな」
「頼むよ」
〈了〉
武蔵野分岐点 赤城ハル @akagi-haru
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