第13話 脳内理論武装迷宮
どれほどの時間が経過しただろうか。時間の感覚を忘れないためにも、定期的にも時計は確認していた。しかし脳に栄養がいっていないのか、前回見た時間が思い出せない。そもそも閉じ込められたのはいつだったのか。ログを確認しようとしたが、途中でどうでもよくなって辞めるという事を繰り返していた。
ゼィがいなくなって一時間で後悔をした。何もない空間で何も見えない状態というのはここまで精神をすり減らすのか。音楽を賭けて紛らわそうとしたが、聞いていると余計頭がおかしくなりそうだったので、数時間ほど流した後すぐにやめた。映像も同等の理由で慰めにはならなかった。
助けて。そう言ったつぶやきが空虚に漏れ出た。頭痛のように虚無が孤独であることを苛み、静粛が心をえぐった。「誰か……」
声が震え、涙がこぼれた。
そうだ。ぼぼ死体みたいなものとはいえ、目の前にはゼィの抜け殻があるのだった。彼女の顔を見れば少しは気分を紛らわせるのかもしれない。少しだけ灯りをともす。
私はそれを見て悲鳴を上げた。
彼女には下半身がなかった。腰から下が抉られたように欠損しており、脊髄がはみ出ていた。血は流れ出ていないが、断面から腸がが漏れ出ている。顔の変化がないことからやはり人間ではないという事はわかる。
私は泣き叫び、どうしてこんなことになったと問いかけ、そして自分で食べてしまったことを思い出す。そうだ。私はゼィのカーボンアバターを食べた。
防宙服に蓄えてあった栄養もすべて使い果たし、耐えきれなくなってゼィの肉体を削ったのだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そう言いながら、自分の口に指を入れ吐こうとする。
「うっ……」
口の中に異物を感じ、吐き出そうとする。
「あっ……」
だが何も出ない。当然だ。そもそも服の力で削ってほぼ液体にしつつ、味も消して吸収したので、形が残るはずがない。それでも口の中に何か残っている感覚がずっとする。気持ち悪い。
私は必死に喉の奥に手を突っ込み、胃の中のものを出そうとするが、何もない。ただただ、むなしいだけだった。
「これはロボット。肉で出来たロボット。これはロボット」
何度も自分に言い聞かせる。自己弁護と自己嫌悪を繰り返し、暗闇の中で丸まって小さくなる。
「助けて」
何度同じことを呟いただろうか。何度同じ言葉を叫んだだろうか。
しかし気の遠くなる時間の中、ただただ待つことしかできない。私は何度目かの思考の迷路に迷い込む。
私は何がしたかったのか。何やら理論武装をしながら研究所で働くことを決めたが、今振り返ってかつての思考を思い出してみると、よくわからない理屈だった。何やら自分を納得させただけで、結局勢いで入っただけではないのか。
フランコはこの箱庭は単純化した主義を戦わせるための場と言っていた。ある時は和解し、ある時は争い、ある時は吸収される。最終的に到達する結論は一つではないものの、結果こそが優先される。いわば物語のような流れだ。
本当にこの社会が寓話的であるのなら、私は家族主義をどのような結論に導きたいのだろうか。
私が物語であるのなら。
例えば家族主義は悪という結論に到達するには、いかに家族主義はダメであるかという説明が必要となる。ある時は露悪に、ある時は誠実に、ある時は軽薄に。私は自分の人生において、家族をそういった見方をしていただろうか。ある程度はしていただろう。しかし真に家族のことで苦しんでいた人たちの力になる程度ではなかった。
では逆に実は私が家族主義を嫌うのは家族が好きなことの裏返しという結論に至るのはどうだろうか。よくある話だ。かつてはそれが物語の王道だったそうだ。
だがダメだった。想像しただけで寒気が走る。家族が好きな人のことは否定するつもりはない。それも自分が好きの裏返しの感情を持っているとは認めることができなかった。
確かに自分は恵まれているほうかもしれない。家族のいいところも利用している。家族の話というには脱線も多い人生だ。論点をずらされ続けているようにも見える。
しかし恵まれていることが物事を語るに未熟な理由であってほしくない。幸せであってもあり方の否定は許されるべきだと思う。
そこであることに気が付いた。
私は誰かのためになることをすることが苦手だ。
仕事ならある程度はできる。最終的には自分とためとなる。
そうじゃなくても偶にならできる。研究所を襲われたた時は精神的な高揚感があった。もし近くでおぼれている子供がいたのなら、あたりにいるのが自分一人であるのなら、絶対に助けるだろう。しかし、平時だとあまりうまくいかない。例えばそっと職場で困っている人に手を貸してあげるだとか、社会的な矛盾に苦しんでいる人に力になってあげるだとか、漠然と苦しんでいる人を助けるだとかは苦手だった。苦手だからこそできるだけやろうと思っているが、機を逃すたびに私には無理だったと言い訳を重ねることが多かった。
こういったことの自覚をすれば普通は成長し、きっと誰かのために積極的に行動できるようになるのかもしれない。しかしやはり私には無理という気持ちばかりが募る。
そもそもの話、自分で自分に言った言葉は刺さらない。他者とすり合わせをしなければ独り言でしかない。でも自分の内面をさらけ出すのは嫌だ。しろと言われればその相手の頭をかち割りたくなる。
ああ、やっぱり私はどっちつかずで優柔不断だ……
それでいてゼィとは結婚するつもりでいる。この矛盾は何なのだろうか。人間の家族の在り方が気に入らないのか? 人間が気に入らないからほか生物の家族制度を参考にする。なるほど筋が通っている。拗らせがちな人間が陥りがちな考えだともいえる。人とそれ以外の生物では決定的な違いがあり、一部分はよくても、知れば知るほど拒絶につながっていくことになる。例えばボノポの温厚さに惹かれて、その生態系を人間の社会制度に当てはめる主義があったが、うまくいかなかったそうだ。
少し視野を変えてみる。個人のことについてだ。
私はゼィのことが好きだ。この感情はどこから来たのか。順番に並べてみる。
まず外見だ。16本の科学的に必然性を持った足の数は美しい。海の中でうねるような踊りを見せてくれたときは、すごく興奮していた。あの目で見られながら、愛を囁かれたい。
次に性格。ゼィはとても優しい。私の事を常に考えてくれていた。私が困っているときも、いつも助けてくれる。そして多少腹黒な面もある者の他者にも優しかった。そう考えると自分にはもったいない。相互理解ではなく私が一方的に得をしているだけだ。私が彼女にしてやれることなど何もない。
じゃあ駄目じゃないかと思う。彼女は私のどこが好きなのだろうか。私は彼女のことをほとんど知らない。ただただ好意だけを押し付け合っている。彼女の言うことが嘘ではないのなら、という事だが。
こんな関係はきっと間違っている。間違っているが、自分の感情などを伝えている暇などあるのだろうか。そして私はゼィのカーボンアバターを食べてしまった。だから人の姿で会うことは簡単にはできない。彼女はいわば擬人化した存在だ。人間というフィルターを通して、人間の感情を理解しやすくし、逆に人間に理解されやすいようにあの姿のカーボンアバターをとっていた。
ゼィはまだ生きている。会いたい。会ってお互いの心情をすり合わせなければならない。
そう何十回も出た結論をかみしめながらまた呟いた。
「助けて」
◇ ◇ ◇
ポールロデスコの研究所にて、数多くのスタッフが部屋に集まっていた。巨大なモニターを共有しながらベンドル・ランが指示を出している。映し出されているのは、今コル外にいる研究員の視界だった。
「九割の研究員は、コル内に退避できました!」
「そのまま退避を続けろ。ただこの場所は盗聴されている恐れがあるので、各々が自分で考えてルートを選ぶように」
『わかりました。ただ所長。気になる点が一つ』
退避を続けている研究員からベンドルに通信が入る。
「なんだ? 何か気になる点でもあるのか」
『これを見てください』
まずは初めに映し出されたのは第二コルの底面の中心の映像だった。数日前に最初に避難に成功した研究員の視界の映像だ。そして続けて今ちょうどコル内に入った研究員の同じ位置からの映像が送られてくる。
よく比べてみると底面の中心部分が出っ張っていた。まるで何かを建造しているようだ。
「これは……? もしや第一コルと第二コルを繋ごうとしているのか?」
だとしたらコル全体を巻き込む緊急事態だった。家族主義者同士の抗争などしている暇はない。ベンドルは近くにいた研究員に聞く。
「おい、この建造物がこちらのコルに届くまでどれくらいかかる」
「おそらくこの速度なら20日ぐらいだと」
どう考えても今から向かっては間に合わない。そう考えていると、研究員が修正してきた。
「いや、すみません。違います。10日で可能です」
「おい、なんで半分になった」
「両側から生えてきています」
「そうか……サインツに繋げ」
研究員がざわめきだす。
「今現在危害を加えられている人間に助けを乞うんですか?」
「助けを乞うんじゃない。しかし確認する必要がある」
とはいってもサインツ派はすでにこの情報をいち早く得ているはずだった。共闘を持ちかけても、後に何かしらの条件を呑むしかないので結局は助けを乞うてるのと同義といってよかった。だがそれをしなけらばコル全体が滅ぶ危機でもある。通信係が渋々とサインツ派に繋いだ。
『はいはい、変わりましたよ。フランコ・サインツです』
てっきり交渉係が出るのだと思ったら本人が出た。
「状況は理解しているのか?」
『えぇ、もちろんですよ。うちの連中もすでに動いています。しかし、困りましたね。まさかここまで大胆な行動に出るとは思いませんでした。しかし、正直に申し上げまして、あなた方と手を組むつもりはありません』
「そうか。つまりこちらの支援なしで一方的にあれを破壊するという事か?」
『いいえ。我々はあれには手出しません』
声を荒げそうになったが、そうなれば相手の思うつぼだ。こちらの懇願を待って、より理不尽な条件を押し通す作戦なのかもしれない。
「どういうことだ」
『あれね。多分ウチの勘当した元娘の仕業なんですよ』
「ナジャがやったのか? つまり研究所襲撃の件は認めるんだな」
『認めてませんよ。ちゃんと文脈を読んでください』
「……それで第二コルまで橋を架けられたら困るのはそちらものはずだが」
『我々も腐っても家族主義者ですからね。どうせできないと追い出した元娘が何かでっかいことをやり遂げようとしてるんですよ。親代わりなら応援してやらなきゃって思うわけですよ』
「なんだそれは」
無茶苦茶な理論で煙に巻いているつもりだろうか。
「何を考えている……?」
『言ったままですよ。まあ我々も生体兵器からか隠れて生活する方法ぐらいあるという事ですよ』
「サインツ派だけ生き残るつもりか」
『我々もそうならないことを願っています。しかし最終的に助けるのは自分の家族ですよ』
「……なあ。まさかお前プグターの奴に振られたことまだ根に持ってるのか?」
ベンドルは思わず聞いてしまった。
「…………」
返事はなかった。確証はないがとりあえず「図星か」とだけ呟いて通信を切った。
研究員の一人が質問してくる。
「あの、本当に大丈夫なんでしょうか? このままじゃ……」
仕方がない……か。
ベンドルはこめかみを叩き、ため息をついた。手段を選んでいる場合ではない。
「コル内に入ってきた生体兵器を例の計画で迎え撃つ」
「はあ!?」
「こういう時のために数百年間準備をしていた設備があるだろ!」
「しかしあれはあくまで最後の手段というか、抑止力みたいなもので、積極的に使うものでは……」
「黙れ! 今が最終ラインなんだよ! 今すぐ住民の避難を呼びかけろ!」
職員たちが慌ただしく駆け回りだした。その間にゼィは他の主義者代表に連絡を取り、協力を呼び掛ける必要がある。
ベンドルは皆に叫んだ。
「プロジェクトアクアリウムを実行しろ!」
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