第5話

紗奈の母、真理愛にここに住む許可を得てから二週間が経過した。永魔の傷の治りは思ったよりも早く、まだギプスや包帯は取れないものの、軽く歩いたり自分でお風呂やトイレを済ますことができるようになった。この調子なら1ヶ月程度で骨折も完治するだろう。病院食にも慣れ、次第に胃のダメージも回復したのか、一般的な男子高校生と遜色ない食欲になった。今日もいつものように朝食を摂り終えて、リハビリを兼ねた軽い運動をしていると、真里愛がガラッと扉を開けて入って来た。

 

 

「あら永魔ちゃん、今日もカッコいいわね」

 

「人にはお世辞上手とか言うくせに…真里愛さんこそ、いつも通りお若いです。」

 

永魔がそう返すと、真理愛は嬉しそうに小さく笑いながら永魔の頭を軽く叩いた。

 

「そんなに褒めても何も出ないわよ、ところで今日の夜ご飯ね。永魔ちゃんの調子も最近良さそうだから一緒にどうかと思って…」

 

「ぜひお願いします!俺も紗奈や真里愛さんと一緒に晩飯食いたいです!」

 

「ふふふ、そうね。じゃあご飯でき理らあの子が呼びにくると思うから。それまで待っててね。あ、永魔ちゃん何食べたい?」

 

「真理愛さんが作ったものならなんでもいいです。美味しくなかった事がないので…」

 

「もう、本当にお上手ね。どうせ口説くんならもっと若い子にしなさいな。」

 

それだけ言うと真理愛は、機嫌が良いのかスキップしながら下の回へと降りていった。全く可愛いおばさんだ。

最近永魔には悩み事がある。それは暇な事である。この部屋には200ページあるかないかの小さな本と、幼児のために用意されている可愛い絵本が数冊用意されているだけであり、それすらも読み尽くしてしまった永魔は、毎日のご飯とおやつしか楽しみがないのだ。

これは由々しき事態である。

 

「ほんっとに暇だとねるしかやることないんだよなあ…」

 

また紗奈か真理愛が来たら、本でも持ってきてもらうように頼もう。永魔は最近睡眠時間が長くなった。体が治癒を促すためか、この食っちゃ寝生活が身についてしまったのか知らないが、異常に眠気を催すのだ。

 

「まあ、そんなに気にすることでもねえか。きっと体が疲れてるだけだ。ふあぁ〜…」

 

そう言って永魔はまた眠りについた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

6時ごろになって紗奈が永魔の部屋に訪れた。

 

「あ、永魔。お母さんがそろそろご飯出来るって…」

 

 

「ああああああああああああぁあああああっ!!」

 

紗奈の声を遮って、永魔の絶叫がこだました。顔面蒼白で頭を押さえながら、肩で息をしている。布団はぐっしょりと汗で濡れていた。

 

「永魔?…」

 

「…はあ…紗奈、おれは…ゆめを」

 

「まさかあんた、おねしょしたのね!?」

 

「…え?」

 

「もう、信じらんない!あんた私と同い年の癖に!こんな年にもなっておねしょなんて…」

 

「いや…違うんだ…完全なる誤解なんだ!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

永魔の必死の否定によって、おねしょ疑惑は一旦保留となり、永魔と紗奈は夕飯を食べにリビングに向かった。

 

 

「で?おねしょじゃなかったら、あのあんたの狼狽え方と、尋常じゃない布団の濡れ方は一体なんなの?」

 

「…悪夢を見たんだ。思い出したくもないようなひどい夢を…ここ最近ほとんど考えもしないようになってたのに…なんで…」

 

「ふうん…」

 

そう言いながら永魔と紗奈は食卓についた。いつも元気よく、好き嫌いなくなんでも平らげる永魔の箸が普段より明らかに遅い。見かねた紗奈が永魔に問いかけた。

 

「さっきの話の続きだけどさ…一体なんの夢を見たの?無理して言わなくてもいいけど…」

 

「うん…あんまり深くは言いたくないけど、ちょっと家族関係のことを…兄貴にすっげえ罵倒されたよ。夢の中で。」

 

「そうなの…ごめんね、さっきは早とちりしちゃって。もしかして、その怪我も家族の人にやられたの…?」

 

「ああ、これも兄貴が俺を殺そうとしてあちこち殴りまくって付けやがった傷だ…全く酷いことしてくれるよな」

 

覇気のない笑みを浮かべて永魔は苦笑した。

 

「永魔ちゃん…」

 

横で話を聞いていた真理愛が、涙を流しながら永魔に近づき、顔を覆うように抱きしめた。

 

「真理愛さん…励ましてくれるのは嬉しいんですが、これじゃあご飯食べられませんよ。俺は別に平気ですから…」

 

「どうせご飯の味もしないんでしょう。美味しいと思って食べてもらわなきゃ、せっかく作ったご飯が勿体無いでしょ。ほら、今のうちに心の中の膿を全部出しちゃいなさい。」

 

10数秒してから永魔が口を開いた。

 

「…………俺…俺は、生まれてきてよかったのかなって、夢の中で…兄貴が、お前は産まれた時から欠陥品だって、お前と血が繋がってるだけでも反吐が出るって…!!ぅう…俺は…!」

 

「そんな事ないわ。あなたがうちに来てくれて私も紗奈も楽しいの。私たちが作ったご飯を”美味しい”って食べてくれるだけでも、私も紗奈も幸せになれるの。あなたがうちに来てからまだまだ短いけど、他にもたくさんいいところが言えるわ。顔だってかっこいいし、喋ると面白いし、痛くて辛い治療にも耐えてくれる我慢強さだってある。今回は昔の事を思い出してちょっと辛くなっちゃったのよね…いくら我慢強くても、どんな人にでも、耐えきれなくて泣きたくなる時があるのよ。だから、永魔ちゃん。別に平気なフリして溜め込まないでいいのよ。」

 

その言葉を聞いて永魔は大きな声をあげて泣き始めた。それに釣られて紗奈も泣き出した。

 

「わぁぁあんああああああ」

 

小一時間泣き叫ぶと、永魔と紗奈は泣き疲れたのか、子供のように眠ってしまった。膝に乗せた永魔の頭を撫でながら眠りこける2人を見て、真理愛はクスッと笑った。

夕飯はすっかり冷めきってしまっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

永魔が目を開けると、急いで学校に行く準備をする紗奈の姿が目に入った。

 

「ん…もう朝か…」

 

「あ、永魔起きた。昨日の夜ご飯食べ切らずに寝ちゃったわね。今朝はもうあれ食べといて。」

 

「ん…ああ、はい。」

 

「それにしても永魔、昨日は子供みたいに泣きじゃくっててびっくりしたわよ。お母さんが私が赤ちゃんだった頃思い出したって。おほほほほ」

 

「笑い方直したのかw不自然な笑い方でそれはそれで変だぞ。確か昨日は紗奈も一緒に泣きじゃくってた気がするけど…」

 

「あんたの方が泣いてたわよ。私はおねしょなんてしない大人なんだからね!」

 

「俺もしてねえよ!…ったく…いやあ、しかし俺が昨日一番驚いたのは、紗奈の泣き方が意外と普通だった事だなw絶対オットセイみたいな泣き方だと思ってたぞwウォwwウォオオw」

 

永魔が冗談混じりでそう言うと、紗奈が追いかけてきた。

 

「なんだとこらああああ!!こちとら乙女じゃぞおおお」

 

「知るかよ!こちとら病人だぞ!」

 

2人で騒いでいると、洗面所の方から真里愛の声が聞こえてきた。

 

「紗奈ぁ!あんた早く準備しないと学校遅れるでしょ!」

 

「あ!そうだった!永魔ぁ!あんた私が帰ってきたら覚えてなさいよぉ!」

 

「おう!何するか知らねえが来るならきやがれ!」

 

「永魔、今日は元気そうね。良かった!それじゃ行ってきまーす」

 

相変わらず紗奈はいい奴だ。こんな軽い会話の中でも俺を励ましてくれる。

それになんだか少し、紗奈とより親しくなれた様だ。しかし、彼女のために生きると決めたのに、まだ彼女に支えられてばかりいる。なんとも情けない。

 

「いってらっしゃい…」

 

そう言って微笑みながら永間が振り向くと、後ろに真理愛がいた。

 

「永魔ちゃん、昨日はよく眠れた?」

 

「あ…真理愛さん…昨日はどうもありがとうございます…お陰様でよく眠れました。」

 

「あら他人行儀ね。これから一緒に暮らしていく家族なんだから、ママって呼んでくれてもいいのよ?」

 

「…あはは、真理愛さんでお願いします…」

 

流石にママと呼ぶのはまだ無理だけど、真理愛との距離も近づいた気がした。

温め直した夕飯の残りは、永魔にとって今までで一番美味しかった。

 

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