第2話

第2話


永魔が鉛のように重い瞼をゆっくりと開くと、真っ白な天井が視界に飛び込んできた。しばらくうつろな目で天井を見つめていた永魔だったが、意識がハッキリしてくると身体中に激痛が走っていることに気付き、顔をしかめた。

 

永魔があたりの様子を少し見ようとして、ズキズキと痛む身体を持ち上げると、自分はどこかの部屋に居て、寝床に寝かされていることに気がついた。辺りにあるものは見たこともないものばかりで、この場所が自分の元居た世界と違うことは明らかだった。

 

まさかここは下界なのか…?何で俺は下界にいるんだ?

何より一番腑に落ちないのはー、

 

 

「俺…しんでねえ?…何で…?」

 

永魔はたしかにあの瞬間、自分の最後を悟った。

あのときの虚無感、屈辱感、絶望感、そして殺に与えられた恐怖は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

思い出しただけでも身体中を悪寒が駆け巡って、冷や汗が吹き出してくる。

 

その時、誰かがドアを開けて、永魔のいる部屋の中に入ってきた。一瞬身構えた永魔だったが、入ってきたのが永魔と同年代くらいの人間の女の子だったので、警戒を緩めた。その子は永魔に近づいてきて、永魔の顔を覗き込んだ。

 

「あ、目覚めたんだ。包帯変えるよ。しっかし、ひどい怪我したね〜」

 

そう言いながら、女の子は永魔の頭に巻かれた包帯を新しいものと交換し始めた。頭の傷は永魔が思っていたより深かったらしく、包帯を変えている間、永魔はずっと顔をしかめて歯を食い縛って痛みに耐えていた。地獄で死にそうな目にあった後に目が覚めると、自分を看病してくれる女の子が現れた。もしかしたらここは下界では無いのだろうか…そう思った永魔は、包帯の交換が終わると女の子に問いかけた。

 

「もしかして…ここはあの世なのか?」

 

それを聞いて女の子は、数秒間キョトンとした表情を浮かべた後に、大声で笑い出した。

 

「ブハハハハハハッ……ギャヒャハハひいいい、フヘッwww」

 

かなり汚い笑い方だった。綺麗な顔が台無しだ。

 

「いきなりそんなこと言ってどうしたの?頭の怪我のせい?それとも私が天使に見えた?…ふふッw」

 

よほど可笑しかったらしく、時折後ろの方を向いて小刻みに震えている。なんだかバカにされてるような気分になって少し腹が立ったが、傷だらけの自分をここまで連れてきて傷の手当てを施してもらった恩があるので、特に何も言わず彼女の笑いが収まるのを待った。

しばらくして、彼女は「ゴメンゴメン」と平謝りしながら話し始めた。

 

「ここはあの世じゃなくて私の家、診療所やってんのよ。まあ私の事を天使と見間違えるのも分かるけどねw」

 

彼女はそう言いながら、またぶり返してきた笑いを必死に堪えていた。普通なら彼女の発言は自意識過剰だと言われるものなのだろうが、実際に彼女の容姿は整っていて、何かに例えるとするならば天使というほかなかった。これほどの整った顔立ちなら、自分の容姿に自信があるのも当然だろう。彼女は笑いの波が収まった頃に、再び口を開いた。

 

「それにしてもびっくりしたよ〜。朝起きて家出たら、門の前に傷だらけの人間が倒れてたんだもん。一瞬死んでるかと思ったよ。」

 

そう言いながら彼女は小さく笑った。そして、永魔のために持ってきたであろう果物カゴの中からりんごを取り出して、

 

「あんた丸一日寝てたからね。おなかすいてるでしょ?リンゴ好き?」

 

と聞いてきた。永魔は不思議とお腹が空いていなかったため、

 

「あんまり食欲がー、」

 

と答えようとした。その瞬間、永魔のお腹から爆音が鳴り響いたと共に、猛烈な空腹感に襲われた。永魔が地獄を追われてから、既に1日以上経過している。最後の食事から、およそ2日ほど立っていたのだから、無理もない。

 

「な~に嘘ついてんのさ。思いっきりお腹なってんじゃないの。この嘘つき〜w」

 

彼女はニヤニヤしながら永魔の頬を指先で突っついた。

恥ずかしさと申し訳無さで赤面しながら、永魔は

 

「…今突然お腹が空いたんだよ…出来れば食べたいけど…」

 

と言ってリンゴを剥いてもらって食べた。下界の食べ物は地獄の食べ物とは比べ物にならないくらい美味しかった。久しぶりの食事なこともあって、思わず涙がこぼれそうになった。

リンゴを食べ終わって、少し腹の虫がおちついた永魔は

見ず知らずの自分のことを助けてくれたことについて感謝を伝えなければいけないと思った。

 

「本当に…ありがとう。君の助けが無きゃ俺は間違いなく死んでた。この恩はいつか必ず返す。」

 

「そんなに畏まんなくても良いよ。アンタほどの怪我は手当したことないけどこっちも一応仕事でやってるだけだし、結構慣れっこだからね。治療費さえ貰えれば良いんだから、アンタは早く怪我治して元気になること!」

 

彼女は相手に気を遣わせないような最適な言葉を選んだ。善意で助けたのではなく、あくまで利益を得るためにしたのだと、恩着せがましくならないような気遣いが感じられる言葉だった。

しかし、永魔にとっては逆効果だった。

 

“治療費さえ払って貰えれば”

 

この言葉を聞いて、永魔は動揺し始めた。

下界の生活には必要なものだと知識では知っていたが、

お金なんてもの、今までの生活とは無縁だった。

下界に知り合いも居ないし、貯金もあるはずがない。

オマケに戸籍さえも登録されていない。働き口を探すのも、とてもじゃないが出来そうになかった。

 

「俺、金持ってない…」

こうして働けない一文無しが爆誕した。

永魔の下界生活は、一日目で詰んだ。

 

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