Episode 5-2 連れ出して
小学校6年生の時、修学旅行でスキー場へ行った。リフトに乗る時、板が足から外れて、リフトを止めてしまった。初めてだったため仕方がないとはいえ、その時は肝が冷えた。係員の人の「また止まったよ、面倒だな」みたいな顔も忘れられないし、スキー講師の「仕方ないな、フォローしてやるか」みたいな顔も恐ろしい。それ以来、タイミングを見計らわないとならないものが怖い。
陽は後一歩で沈みそうだ。遊園地に灯るオレンジの光が映えるようになってきた。係のお姉さんがドアを開いてくれる。ゆっくりと右にスライドしているブルーのゴンドラに乗る。今回は観覧車を止めずに済む。
斜向かいに座る理由もないので真向かいに座る。そうすると冬香と目が合う。逸らすことができない。目を合わせない理由が必要になった。冬香の目が私を吸い込んでいく前に、会話を切り出すしかない。
「そうだ、今日まだちゃんと座って話してない」
「一日中歩いててさすがに足が疲れたわ。ソラと同じように、スニーカーにしてくればよかった」
「もう少し気づいてあげられればよかった」
「今言われて初めて疲れたって思ったのよ。そんなに深刻そうな顔をしないで」
車内では最近はやっている曲のオルゴールアレンジが流れている。もちろんラブソング。こんなのは恋愛感情の強要だ。ここでキスする奴の気がしれない。もっと無機質で自由な空間であれば、ゴンドラの中を私的な空間であると錯覚し、キスでもなんでもすることができただろうに。
腰を据えたタイミングで、今日はやらなければいけないことがある。それは他の人間にはなるべく目撃されたくないと考えていたことだ。ここは完全な私的空間ではないが仕方ない。隣のゴンドラの中の人が見ていても許容して、今思い出したように装って、嘘臭く話を切り出す他ない。
「そうだ。ピアスと、誕生日プレゼント」
「誕生日教えてたっけ?」
「LINEで見た」
「何かすごく、ロマンチックな場所で渡すんだね」
「タイミングが難しくて。本当はもう少し後でもいいかな、と思ってたんだけど、観覧車で間を持たせられないな、と思ったから今渡す」
「正直ね。そういう所好きだよ」
「どうも」
「この後夜ご飯行く?」
「実は串焼きのお店で食べたいところあるんだけど」
「いいね、もしかして調べてくれてた?」
「そんなことないよ」
「……ねぇ、誕プレ開けてもいい?」
「恥ずかしいし、大したものじゃないから夜ご飯の時にしてよ」
冬香は私の言葉を無視してラッピングを開く。そのときには私の半分はまだ開けないでくれ、と言っていたが、もう半分は開けてくれ、と言っていた。ここまでの間は繋がったが、観覧車はノロマだったため、恥ずかしいだけの時間が生じそうだったのだ。
「ありがとう、大事に使うね」
だけど結局、大体は1つ後ろのゴンドラで向かい合うカップルの会話を想像する時間になった。
*
「これが最後だ!と思って、横浜の夜景を目に焼き付けておいたわ」
観覧車からの帰り道、冬香は終始ほくほくしていた。自分の会話における選択は間違いではなかったと知り、私も安心していた。多少キザに映っても、夢見がちに見られても、タイミングが大事だ、ということは何となく分かっていた。下世話な創作物に教えてもらったものだというのが何とも言えないが。
「別に彼氏さんと行ってもいいんだよ」
「そうなんだけどね、こういうのは気持ちが大事だから。そうだ、ピアス開ける時、手伝ってよ」
「嫌だよ。何もできることないって。危ないし責任取れないし。病院で開けてきな」
私の左手に冬香の右手が滑り込んでくる。骨ばって、長くて、小さな指だ。夏なのに手のひらには汗一つなくて、さらさらとしている。爪の先が手のひらに当たっている。冬香の今日の爪はどんな形をしていたんだっけ。もっとちゃんと見ておけばよかった。もしかしたら何か塗ってあったかもしれない。それを知っていれば、何か気の利いたことを話して間を繋ぐことができたかもしれない。
「一日楽しくしてくれてありがとう」
「何もしてないよ」
「その何もしてないは基準が厳しすぎる。夜ご飯の場所まで考えててくれたんでしょ。私の彼氏はここまでしてくれないわ。もっと自分のことを誇ってよ」
握り返すまでにしばらく時間がかかった。自分の手が汗ばんでいるかいないかを確認できないのが申し訳ない。そして、握られた手は握り返すものだ、という事実を忘れていた。なんせ中学校1年生ぶりの感覚だ。ウブすぎる。「友達同士で手を繋ぐのは普通だ」を免罪符にして、ようやく手を握り返すことに成功した。TikTokで女の子が仲良くしている動画を永遠にスクロールする自分を想像していた。今日は目の前の人を使って、どうしようもない情報をたくさん思い出す日だ。集中が足りない。
遊園地全体ががあまりにオレンジの光を瞬かせているので、夕飯までの道は逆光になった。いつになったら手を離していいのだろう、とか、どうして手を握っているのだ、とか、周りの人はどう思うだろうか、とか野暮なことしか考えられない、小さな自分の脳みそが嫌いになりそうだ。ただいっぱいいっぱいだった。そして今の自分から見れば、若さという箱のなかにまとめて放り投げて、捨ててしまいたいような感情だらけだった。
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