Episode 6 ようこそ麗しのマイホームへ

 これは前日のLINEだ。最初に連絡をよこしてきたのは冬香である。


 『数学1日目の前にご飯行こうよ』

 『いいよ。ご飯+予習も兼ねてうちくる?』

 『いいの?』

 『母親いるけどそれで良いなら』

 『いいよ』


 夏期講習は任意参加だ。夏休み前半に英語が4日間、後半に数学が3日間ある。各学年2人の教師が担当だが、どちらの教師に当たるかはランダムに決められる。結果は初日の教室前掲示で初めて分かる。数学においては、一人は淡々と進めるおじいちゃん先生で、もう一人は積極性だ、とかなんとか言って生徒を当てるタイプの教師だ。当然と言えば当然だが、後者は人気がなく、その教師のクラスは2日目から出席率が大幅に落ちる、というのが恒例になっている。


 1年生の時はおじいちゃん先生に当たった。冬香は積極性を重視する教師に当たっていたらしい。感想としては「なんとか乗り切ったけど、できればおじいちゃんの授業が受けたかったよ。かわいいから絶対やる気出るし」とのことだ。


 家に人を呼ぶのは小学生ぶりだ。中学生になってから、人が家に来るということの意味が徐々に重みを増していると感じていた。高校に入ってもそれは変わらない。というかむしろ更なる重みを感じるようになった。


 最寄りの駅まで迎えに行く。普段は通らない改札を通って冬香が出て来る。他の駅と同じ設備であるはずだが、あまり接点のない駅の改札を通るため、冬香の動きはぎこちなかった。


 「自分の最寄り駅」という背景に冬香を合成しているように見え、むずがゆく感じる。夏休み中に制服で会う、というのも違和感だ。全部がちぐはぐで、まるで他人同士に戻ってしまったようにも思える。


 ここを右に曲がるだとか、ここは横断歩道を渡るだとか、道案内をしていく。


 「一軒家?マンション?」

 「一軒家。だけど、豪邸じゃない。普通。すごい期待とかしないでほしい。庭でバラを育てたりとかはしてない」

 「私マンションに住んでるから、一軒家にめっちゃ憧れある。ペットとか飼ってるの?」

 「幼稚園の時に犬を飼っていたけどそれきり。大型犬で、小さかったから上に乗れた。穏やかな性格で、めったに吠えないから飼いやすくてよかったって聞いたことがある。そんなこともあったかな、と自分に思い込ませる位しかできないくらい、ぼんやりとしか覚えてないけど」

 「素敵。マンションがペットOKだったら、犬を飼いたかった。あと猫も。犬と猫、1匹ずつ飼うの。それぞれが干渉し過ぎず、仲良く過ごすの。2匹とも家族ととても仲良しなの」


 冬香が犬と猫を1匹ずつ飼っている光景を想像する。サイズの違うフードボウルに、2種類の餌を入れる。餌はフードボウルの丁度2/3が埋まる量だが、それはわざわざ狙ってやったことではなく、毎回たまたまが続いているだけである。餌が入ると犬と猫を呼んでくる。犬はともかくとして猫も、呼ばれたら忠実に冬香の元に飛んでくるのだ。そして餌をすました顔して食べる。冬香はそれをソファに座って、穏やかな表情で眺めている。そんな五月の一時頃を容易に想像することができた。



 部屋は入念に綺麗にしておいたが、隅に埃が溜まっているのを見られたらどうしよう、とずっと思っている。毎日暮らす部屋だからこそ、人が来ると落ち着かない。


 「綺麗にしてるね」

 「人が来る時はさすがにね」

 「化粧品とかアクセサリーも綺麗に並んでる」

 「それはこだわり。一つずつ定位置が決まってる」

 「出た。変ポイント」


 「変」という言葉は、字面はキツい。しかし冬香の声質は優しく、言葉に悪意は一切込められていなかった。


 普段の勉強机は1人しか座る余地がない。そこで普段は押入れにしまってあるちゃぶ台を出してきて、向かい合って勉強する。


 冬香の字は几帳面だ。数学でもそれは変わらない。ノートから線がはみ出すことはない。問題を解きながら、頭の中を入念に調査している感じがする。何が正しく、何が誤っているのか。答えを確認する前に見極めておいて、答えはただの確認作業にする。


 11時半頃、ドアがノックされる。2時間ほど勉強していたことになる。友達と向かい合っていながら勉強に集中している稀有な例ではないか。


 「買い物行ってくるから。お昼ご飯食べておいて」

 「お昼ご飯買ってきます。近くにコンビニありますか」

 「ごはんとスープとおかず出してあるけど食べるかい?」

 「ぜひ」


 *


 おかずは卵焼きとソーセージ、トマト、レタスだった。苦手なものがこの中にあるかが心配だったが、幸い「好き嫌いはあまりないの」とのことだった。


 「夏休み中の彼氏はどんな感じなの」

 「彼氏は寂しがりだから、LINEが増えてちょっと大変。私が他の男の人と会ってないか、すごく気にしたがるんだ。だけどしょうがないなって思う。それが私のことを好きでいてくれる印だって信じてる」


 冬香が彼氏の話をする時はいつも、「そういうものなのか」というスタンスでいる。それ以上に出来ることはない。経験の差が開き過ぎていて、何の感情も湧いてこないのだ。


 「部屋で見たんだけど、ソラってCDで音楽聴くタイプなんだ」

 「近所の友達と貸し借りしてるんだ。どうせアイツに貸すしって、それを言い訳にして、サブスク音楽配信サービスに入ってるのに買ってる。だからコンポがあるのに、ろくに聞かないCDを山ほど持ってる」

 「貸し借りしてる友達って男の子?」

 「そうだけど」


 CDを貸している後藤君は、幼稚園の頃からの付き合いだ。中学生の間は関係が途切れていたが、高校受験後、道端でばったり会って話す機会があった。その時やたら音楽の趣味嗜好が近いことが判明した。CDの貸し借りが始まり、今に至る。


 互いがギリギリ守備範囲ではないCDを貸し合って「何曲目が最高だった」とか「ちょっとずれてたわ」とか言う。後藤君は吹奏楽部に入っている。最近はインストゥルメンタルに凝っていて、少し難しいと思う瞬間がある。そこら辺は歩み寄りだ。私の好きな邦ロックも選曲によっては「ついていけない」と言われる。どちらが我慢している、とかではない。


 フユにそういったことを説明すると、半分納得して、もう半分は不満げだった。そしてこう言った。


 「フユって呼んで」

 「今?」

 「違う。これからずっと。冬香って呼ばないで、『フユ』って呼んでほしい」

 「どうして」

 「仲良い友達は皆そうやって呼ぶから」


 「仲良い友達」のフォルダに入って仲良しになるというのは、とても気楽である気がした。だから私はその提案を呑んだ。ご飯を食べ終わったら家を出る予定時間になったので、食器を急いで片付けて家を出た。「フユ」が私の生活の一部に溶け込んでいるようで面白かった。



 2日目、3日目もフユは家に来て、予習と復習をした。母親の提案だ。数少ない友達を大事にしろ、ということを暗に示していたに違いない。テレパシーを出されずともそうするよ、と思っている。私をこんなにも扱ってくれる人間は中々いなかった。大事にしていきたいと思っている。


 ちなみに、先生はおじいちゃんだった。この夏は中々順調に進んでいる。

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来ない春を探して おかお @okao

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