泉の小説(3)

5 ライターの桃田さん

 バーベキューパーティー当日の午前、白壁は青山の車に乗り込み、買い出しに向かっていた。後部座席には、赤坂とグリーンも鎮座している。

「黄金くんと仲よくしてもらっているみたいで、ありがとう」

 赤坂が言う。いやいや、と白壁は手を振り、自分が失敗だらけだったこと、それでも黄金が最終的には受け入れてくれたことを伝えた。

「でも、すごいことなんじゃない? 彼にとっても、話ができる存在がいること自体が、とてもいいことだと思うけどね」

 青山にもそう言われ、気恥ずかしい。

 そこから話は移り、桃田の話になった。

「桃田さんは比較的、黄金くんとも仲がよかったわね」

「不思議なんだがね。桃田さんは口調がきついことも多いのに、なんで黄金くんがなついていたのか」

 赤坂が首をひねる。白壁は、会ったことのない桃田に思いをはせる。

 グリーンが指を鳴らし、「それなら分かる」と言った。

「二人は考え方がそっくりだからね。黄金くんはプログラマー的思考。桃田さんは、なんていうのかな? 数学的思考? 論理的思考?」

「ああ、確かにね」

 青山も相槌をうつ。

 ピピピ、と赤坂の携帯電話が鳴った。昔懐かしい折り畳み式だ。赤坂が「失礼」と言ってメールを確認する。

「噂をすれば、というやつだね。桃田くんからだよ。先ほど、空港に着いたらしい。電車とバスを乗り継いで、パレット荘に戻るのは昼過ぎかな」


 買い出しのついでに昼食も終え、四人そろって裏庭で涼んでいると、カラカラカラという音がした。キャリーバッグの車輪が回っている。

 バーベキューセットの手入れをしていたグリーンが「帰って来たね」と顔を上げた。青山と赤坂が立ち上がり、つられて白壁も腰を上げる。

 エントランスに入ってきた人物が桃田のようだ。しかし、何というか、「桃田」という名がこれほどしっくりくる人物もいないだろう。

 来ているシャツ、スカート、サングラスの縁に至るまで、コーディネートはショッキングピンクだった。何かのアーティストだろうか? しかし、グリーンは「論理的思考」をする人物だと言っていた。

「あら珍しい。四人も庭にいるのね」

 ショッキングピンクの日傘をたたみながら、桃田が言う。確かに、口調は不愛想というか、「怒っているのか」と相手を不安にさせるようなところがある。

「久しぶりだね。取材は無事に終わったかな」

「まあね。取材相手が話の通じないクソジジイばっかりだったから、大変だったわよもう」

 言いながら桃田はサングラスを取る。その目じりは下がり気味で先ほどまでの威圧感はなく、柔和で元気そうなおばちゃん、といった印象だ。

「あれ、知らない顔がいるわね。新入り?」

「ああ、彼は白壁くん。郵便配達員なんだけれども、なんだかんだでここの一員みたいなものかな」

 赤坂の紹介を受け、白壁は頭を下げる。

「あたしね、桃田光江。フリーライターやってんの。もしいいネタがあったら教えてちょうだいね、なんちゃって」

 桃田はポシェットから名刺を取り出し、白壁に押し付ける。

 そこには「フリーライター Spicy MOMOE 桃田光江」とある。

 それを見た瞬間、白壁は桃田の手を取っていた。

「うわあああああ、スパイシーモモエさんですか!」


 スパイシーモモエは、その天真爛漫なペンネームとは裏腹に、堅実な取材と論考を重ねるタイプのライターである。

 大学で経済学を専攻していた白壁は、彼女の記事を読み漁った時期があった。

 発端は、所属していたゼミの教授から、週刊誌を手渡されたことだった。いざ、卒業論文に全員が着手し始める、という時期。ゼミの学生全員分の雑誌をその教授は買い込んでいたのだ。

 白壁は眉をひそめた。その教授は超が付くほどの生真面目な人物で、一方その雑誌は、表紙に「国家機密! 巨大ロボット製造施設」だとか「詐欺から人々を救う謎の集団『ペインターズ』!」といった怪しげなキャッチコピーばかりが並んでいたからだ。

 怪訝な表情の学生たちに、教授は「スパイシーモモエの記事を読みなさい」と静かに言った。

「そこに、皆さんの身に付けるべき力が全て入っています」

 言われるがまま目を通し、白壁はうなった。大げさに言えば、心を奪われたのだ。

 それは、ある政治家の汚職事件を告発するものだった。あらゆる可能性を踏まえて各方面からの証拠が周到に用意され、ダメ押しで隠し撮りと録音による潜入調査まで行っている。

 白壁は、スパイシーモモエについて調べ始めた。調べるほどに、彼女のものすごさが分かってくる。彼女が嘘を暴いたことで失脚した政治家は数知れず、顧客を食い物にしていた実態のない企業や、事実を隠蔽した公的機関などを容赦なく断罪した。

 その過激ではあるが一貫したスタンスに、若かりしころの白壁は憧れを抱いたものだった。


 尊敬や憧れの念を恥ずかしげもなく口にし、「あの記事も読みました」「この記事も読みました」とまくしたてる白壁に、桃田は「あ、あらそう」と口元を引きつらせる。

 青山は唖然とし、赤坂とグリーンは笑い転げていた。

「桃田さんが押されている。珍しい光景だね」

 笑いすぎたのか、赤坂が涙をぬぐいながら言う。

「白壁さんって、あんな人だったっけ」と青山は首をひねる。

「ハウ、クレイジー」

 やがて白壁は我に返り、桃田に非礼をわびた。桃田は豪快に笑いながら白壁の背中を強くたたく。

「いいね、そのくらいの熱量がないとね、若いんだから」

 そう言うと、キャリーバッグを手に取る。

「夜にバーベキューやるんでしょ? ひと眠りしてるから、肉が焼けたら呼んでよね」

 カラカラ…と音を響かせ、颯爽と歩き去っていく。と思えば、

「おーい、白壁! このバッグ運んで!」

「あ、はーい!」

 早速、いいように使われている白壁だった。


 やがて日が暮れると、バーベキューが始まった。裏庭の周囲は田んぼばかりだ。多少騒いだところで、誰も気にしない。

 星が見える。空気が澄んでいる。

 グリーンはさっさと肉を焼いてしまうと、これからが本番だと言わんばかりにホットサンドを作り出す。

 赤ら顔の赤坂は、ベンチで寝息を立てている。

 いつの間にか黄金が裏庭に出てきていて、桃田と話し込んでいる。

 白壁は青山と並んで、缶ビールを空ける。

「バーベキューなんて本当に久しぶり。今はみんなそれぞれ忙しいし、なかなか集まる機会もなかったからね」

「僕も久しぶりです。こういうのも、すごく楽しいですね」

「うん、悪くないね。黄金くんがここに出てきたっていうのも、私にとってはびっくり。赤坂さんなんか、調子に乗って飲みすぎてたし」

「本当、よかったです。桃田さんも、強烈な方ですね」

「でしょ。昔からああなの。でも、心の底の方ではすごく温かみがあって、いい人なのよ」

「分かります」

「白壁くんも、すっかりここの一員だね。入居しちゃえばいいのに」

「ええ。実は最近、それもいいな、なんて思い始めて」

 時は緩やかに過ぎていく。食べきれないほどのホットサンドを作り終えたグリーンが、カメラを見せてくれる。そこには、いつの間に撮ったのか、パレット荘の面々の表情がとらえられていた。


6 郵便配達員の白壁さん

 バーベキューの余韻に浸りながら、白壁は歩いて自宅に向かっていた。シャツについた炭の匂いが香ばしい。

 入居しているアパートが見え、ポケットから鍵を取り出す。先ほどまでは誰かと話したり、はしゃいだりしていたのだ。そう思うと、少し寂しい気持ちになる。

 もしも、ここを退去してパレット荘に引っ越したらどうなるか、白壁は考える。毎日楽しいだろうな、と思う。赤坂やグリーンが頻繁に声をかけてくるだろうし、自分も黄金の部屋に遊びに行くだろう。青山も、たまにドライブに誘ってくれる――と思いたい。桃田はあちこちを取材で飛び回りながらも、もしかしたら新しい記事を見せてくれるかもしれない。

 その一方で、白壁は、今の関係を崩してしまうことを恐れてもいた。距離が近くなることで、互いに見たくない部分まで見えてしまうかもしれない。そのとき、疎遠になることが、白壁は一番怖かった。

 そんなことを取り留めなく考えながら、部屋の前に立ち鍵を回す。

 ガサリ、と後ろから音が聞こえた。振り向く間もなく、何かで殴られたのか、後頭部に強い衝撃が走る。

 白壁の意識はそこで途絶えた。


 白壁は病室のベッドに横たわっていた。今はまだ眠っている。

 自宅前で倒れているのを、散歩に出た近所のお年寄りが発見し、救急搬送されたのだ。頭部から出血していたため、いくつもの精密検査を受けた。まだ結果待ちだが、おそらく命に別状はないらしい。

 頭に巻いた包帯が痛々しい。それだけでなく、いたるところにガーゼが貼られている。

 転倒によるけがではなく、何者かによる暴行の可能性が高い。バットか何かで殴りつけられたようだ。財布や携帯電話は盗まれており、さらには部屋の中も荒らされていたらしい。

 白壁は、時折意識を取り戻しては、二言三言話し、また昏睡状態に戻ることを繰り返した。

 ガチャリと病室のドアが開き、鞄を提げた赤坂が入ってくる。

 病室内には、すでに青山、グリーン、黄金、桃田がそろっていた。

 赤坂は無言で鞄を開け、いくつもの封書を取り出す。

「しきりにポストを気にしていたからね、確かめに行ったんだよ」

 誰にともなく言い、ベッドわきの机に広げる。

「うちの、パレット荘の空いているポストに入っていた」

 桃田が中身をあらため、目を見開く。

「これって――」

「うん。会計簿のコピーだ。他にもいろいろあったよ。領収書や帳簿の写し、手書きのメモまで。すべて、彼が以前勤めていた企業に関するデータだ」

「マーカーも引いてある。確かなことは言えないけど、この領収書の書き方と言い、不正の香りがプンプンするね」

 赤坂はうなずく。

「彼は、大企業相手に一人で闘っていたんだよ。煙たがられ、退職に追い込まれても、地道に証拠を集め続けた。しかし、いつそれが露見して、証拠を回収されてしまうとも分からない。だから、こうして自宅外に、証拠のコピーを残しておいたんだと思う」

 毎日郵便を届けに来た白壁。鞄から封書を出し、それぞれのポストに入れていく。最後に、「空 チラシ入れないでください」と書かれた一〇一のポストへ、宛名のない封筒をそっと落とし込む。

 青山が腕組みをする。

「たぶん、襲ったのはその企業のやつらだね。もしくは、そいつらが雇ったごろつきか」

「そうだと思う。ただの物盗りを装っているが、部屋からは証拠のデータがすべて消えているはずだ」

 赤坂は書類をまとめ、鞄に戻す。白壁は、深い眠りの中だ。

「諸君、行こう」

 全員連れだって、病室から出ていく。

 病院の入口で、五人は誰からともなく横並びになった。

「さて、どうします?」

 グリーンが言う。目は、まっすぐ前を見据えたままだ。

「もう全員そろって引退したはずなんだがね」

 赤坂がため息をつく。

「でも、このままにしておけないね。白壁くんを傷つけた罪は重い」

 雨が降っている。細かなしぶきが、五人の髪や肩を濡らしていく。

 雷鳴がとどろいた。

「みんな、いいね?」

 赤坂の問いかけに、黄金が笑顔でうなずいた。


 ペインターズ

  詐欺、隠蔽、不正の復讐代行人

    リーダー  赤坂洋介

    ドライバー 青山加奈子

    カメラマン トム・グリーン

    ハッカー  黄金了太

    インフルエンサー 桃田光江


 運転席には青山、助手席には赤坂、後部座席には、桃田、黄金、グリーンの順に座っている。

 青山はバックミラーを気にする。白いワゴン車が、病院からずっと追ってきているのだ。

「つけられてるわね」

「我々が、白壁くんの病室から出てきたのを見ていたんだろう。用意のいいことだ。撒けるかい?」

「任せて」

 青山はギアを入れ替え、アクセルを踏み込む。小気味いいエンジン音が響いた。ワゴン車も慌ててスピードを上げる。

「オートマには負けないっていうの」

 青山はブレーキを踏み込み、ハンドルをこれでもかと回す。彼らの乗った青いスポーツカーは、甲高い音を上げながらドリフトし、細い路地に入った。一歩間違えば、畦道に車輪を取られるような道だ。

 案の定、ワゴン車は曲がり切れず、田んぼの中に突っ込んでいった。車体の頭を泥水に突っ込んだまま、バックしようとしているが、タイヤは空回りするばかりだ。あれでしばらく出られないだろう。

「なんだ、もう終わりか。つまんないの」

 青山は頬を膨らませる。

 

 スポーツカーは、高速道路を飛ばしに飛ばし、例の企業付近に乗り付けた。

 グリーンだけが車を降りる。紺のジャケットを着て、オフィス内に踏み込んだ。

 携帯電話で話すふりをしながら、受付を通過する。堂々としていれば誰も気にしないものだ。グリーンがセミフォーマルないでたちをしているのも、周囲の疑念を払拭するのに役立っている。

 まずは、経理課と書かれたブースに目を付ける。ドアノブを回して中に入ると、パソコンを操作していた数人がグリーンを注視した。

「アー、ハロー、ドゥーユーノウマイワークプレイス?」

 そのまま英語でまくしたてる。会社員たちは目を丸くし、固まったままだ。やがて、グリーンは話にならんとばかりに肩をすくめ、部屋を出ていく。それを、営業部、人事部、総務部と順に行い、最後には仕事を委託されたと勘違いしたフリーランスの海外実業家を演技しながら、オフィスを後にする。

 スポーツカーに戻り、すでにタブレットとノートパソコンを開いて準備していた黄金へSDカードを渡す。

 黄金がデータを開くと、オフィス内、ブース内の写真が何十枚と記録されていた。

「あーあ、何ということでしょう、パスワードをホワイトボードに掲示するなんて」

 セキュリティの甘さを小ばかにしながら、会社内のWi-Fiへアクセスする。

「脆弱だね。すぐに破れますよ」

 画面を凝視し、キーボードをたたく。グリーンの撮影した写真を確認しながら、いくつものロックを破る。必要そうな資料を見繕い、タブレットにダウンロードしていく。

「白壁さんの社員コードもまだ効くようですね。念のため記録しておいてよかった。個人のパスワードは…よかった、生年月日だ」

「私のスリのテクニックも、まあまあ役に立ったかな」

「本当、初日に財布をスるなんて、赤坂さんもやりますね」

 黄金が白壁の携帯電話から吸い出したデータ、そして白壁の赴任初日に、身元を確認するために赤坂がスった身分証のデータが役立っているのだ。

 ダウンロードされた資料に、桃田が片っ端から目を通す。手元のノートに、すさまじいスピードで何かが書き込まれていく。

「典型、本当に典型。びっくりするくらい。これならすぐに完了するよ。白壁さんが、大事な証拠はほぼ押さえていてくれたから助かる」

 やがて、桃田が「よし!」と声を上げた。

「いけるよ。赤坂さん、よーく聞いてね。パターン1は…」

 相手の不正を暴き、論破するための筋書きを桃田は伝え始める。赤坂はふんふんとそれを聞く。

「もし、相手が責任を他社になすりつけたら?」

「そうしたら、パターン2…」

 そうして理論武装するのだ。最終的に、パターン5までの説明が終わり、そのすべてを赤坂は頭にインプットする。

「よし、それではいってくるよ。いつもの通り、何かあったら、よろしくね」

 赤坂と桃田は車を降りる。二人は首元にピンマイクを仕込んでおり、車のスピーカーから音声を拾うことができる。

 赤坂と桃田は、にこやかに受付へと赴き、社長に面会したい旨を伝える。普通なら突っぱねられるところを、人のよさそうな笑顔と嘘を赤坂が絶妙に織り交ぜ、社長室へ案内されることとなった。

 革製の椅子に腰かけ、赤坂は両手の指を組む。

「それでは、少しお話したいことがございましてね――」


7 パレット荘の面々

 裏庭から笑い声が響く。

 バーベキューをしているのだ。

 白壁の姿もある。まだ額にガーゼを貼っているものの、元気そうだ。

 赤坂が皆に酒を注いで回っている。

 青山は風になびく髪をかき上げている。

 グリーンは、相変わらずのホットサンドだ。

 黄金は、ベンチに座って皆の様子を見ている。

 桃田は、自身の記事を見せびらかしている。


 あの後、ペインターズは企業を相手に、一切の不正を認めさせた。同時に、白壁への暴行事件も、企業の上層部が指示したものだということが明るみに出た。

 赤坂らが企業側に求めたのは、二つだった。一つは世の中に向け、不正の事実を公表すること。これは白壁がずっと願っていたことだった。もう一つは、二度と白壁にかかわらないこと。これは警察を介し、正式な命令として受理された。

 企業側は何とかごまかして切り抜けようとしたが、動かぬ証拠と桃田の理論武装を前に、どうしようもできなかった。結果として、企業が罪を認めたその翌週には、スパイシーモモエ名義で、有名週刊誌に当該企業の不正をこれでもかと暴く記事が載った。


 裏庭での宴会はまだ続いている。

 風が吹き、花壇に植えられた色とりどりの花が揺れる。

 香ばしい香りと、焚き火の煙がエントランスまで流れてくる。

 煙の先には、いつもと変わらず、ポストが並んでいる。

 一〇一号室の「空」シールははがされ、代わりに「白壁」というネームプレートがはめ込まれていた。

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