プロローグ(3)

 小説キャンパーズの結成は、大学の「文学批評演習」と銘打たれた講義に端を発する。担当する木津井教授はとんでもなく辛口なおばちゃんとして学内で名を馳せていた。そのため、本来ならば文学部の精鋭だけが受講するような講義である。

 そこに、なぜか文学部でない学生が三人も紛れ込んでいた。

 経営学部の山本――名だたる紀行文を読んで感銘を受け、そのうち現実世界に飽き足らずSFへと手を伸ばしている。好きが高じて、いつか書籍関係の起業をするという野心をもち、この講義を履修するに至った。

 教育学部の金子――幼いころからファンタジーに耽溺し、年を重ねるごとにそれがホラー方面へとシフトした。国語教師の免許を取るにあたって、必須科目以外にも文学関係の講義を受けた方がいいだろうと考えた末の履修である。

 心理学部の泉――アニメや映画のノベライズにのめり込み、そこからジャンルを問わない活字中毒を発症した。「人間はいかにして文章を理解しているのか」という研究内容を志しているため、この講義へ潜り込んだのだ。

 木津井先生が最初に求めたのは、自己紹介でもなく、履修カードの提出でもなく、三、四人のグループを作ることだった。

「この演習では、それぞれのグループに文学作品を一つずつ割り当てます。時代背景を調査し、先行研究に当たり、その作品を批評しなさい。各グループでレポートを作成し、発表していただきます」

 一言ずつ噛みしめるような声に、三人が震え上がったのは言うまでもない。

 そして、この三人が同じグループになったことも、言うまでもない。

 グループ名は、コットンパンツとシャツにリュックサックという出で立ちの山本を見て、金子が「すごい、キャンパーだ」とはしゃいだことに由来している。無論、出会って間もないころの話である。

 彼らに割り当てられたのは、明治中期に上梓された短編小説だった。ある酌婦と、彼女を取り巻く男たちの姿。女性にとって、社会への参画が果てしなく困難な時代。文語体で書かれた文章に苦戦しながらも、彼らはこれまでの先行研究を調べ上げた。手垢が付くほど研究がなされているはずなのに、新しい解釈の可能性が生まれるのがその作品のすさまじいところであった。三人とも一年生で、どちらかと言うと一匹狼的な性質をもっていたことが幸いし、集まることのできる時間はいくらでもあった。

 彼らの頭を悩ませたのが、結末の解釈だ。その小説は、それまでの執拗なリアリティ描写から一転、最後の最後に強烈な終焉を迎えるのである。結末部分の批評に自分たちのオリジナリティを注ぎたい、というのが三人の一致した見解であった。

「菖雪館」の食堂に集まっては議論する、という習慣が生まれたのはその頃である。発表直前、徹夜でレポートを仕上げたときは泊まり込みだった。客室の座卓に、これまで集めに集めた資料を広げ、三人で額を寄せ、パソコンを叩く。文学部でないのに文学の講座を取るくらいだから、三人とも文学に対するこだわりが強い。意見の対立を恐れない喧々諤々の有様であった。

 そんな風にして作り上げたレポートだから、完成度はなかなかのものだった――少なくとも、本人たちはそう自負していた。発表はもちろんのこと、質疑に対してもおおよそ的確な応答ができていたはずだ。文学部の連中にとって、面白いわけがない。

 最後の質問に、三人はそろって眉を顰めることになる。

「この結末のところなんですけど」

 質問したのは、文学部の中でも「偉才」とされる青年だ。普段は大人しくさわやかな顔をゆがめ、意地の悪い笑みを浮かべていた。

「幼年時代のエピソードが主人公の将来を暗示しているって資料にはありますが、なんでそんなことが分かるんですか?」

 それを言っては元も子もない。三人にしても、論理的な説明は固めてきた。ただ文学批評という性質上、理数のように明確な根拠を差し出せるものではない。

 何を言っても答えにならず、おそらく相手も答えを期待していない。ただ三人を攻撃するために発せられた質問だった。言い返せない三人を見て、青年の口角が満足げに吊り上がる――が、それは長続きしなかった。

 それまで黙って聞いていた木津井教授が口を開いたのだ。

「ここでそのような質問が出るということは、残念ながら、あなたの『読み』が足りないということですね」

 言いながら立ち上がると、木津井教授がもともと長身だったこともあり、相当の威圧感である。可哀そうに、文学部の青年は小刻みに震えていた。

「もう一度隅から隅まで読んでいらっしゃい。作品に失礼です」

 ここまで言っても、「三人に失礼」ではなく「作品に失礼」と言う辺りが木津井教授らしい。ちょうど時間になったため発表はそこで終了となり、三人は木津井教授の研究室へ呼ばれた。

 木津井教授は本の山と化したデスクの向こうに座り、三人を見つめた。値踏みされているように泉は感じた。

「あなたたち、小説は好き?」

 三人とも躊躇なく返事を返した。しかし、木津井教授の反応はそっけないものだった。

「あら、そう」

 しばしの沈黙。後から語ったところによると、この時山本は「ちびるかと思った」らしい。

「レポートの出来は悪くなかったです。よくここまで突き詰めましたね」

 少し弛緩した空気が流れる。音を立てずに、金子が息をついた。

「過去の話はこれで終わり。次は、これからの話です」

 木津井教授が指を一本立てた。

「あなたたち、小説を書いてみなさい」

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