第10話『わたしのおとうと』
えっと、私が小学校低学年の頃に体験した話です。
ちょっとヘビーな話になっちゃうんですけど、その頃、私の弟が生まれる前に亡くなってるんです。
両親によると流産だったらしいんですけど。
私は当時流産って言葉の意味があんまりわかんなくて。ただ両親の報告を聞いた時、弟には会えないんだなってことだけわかりました。その日はひどい雨が降ってて、うまく考えがまとまらなかった。ただお姉ちゃんになれないことが悲しくて悲しくて、少し言っちゃいけないことも言ったりした。「お母さんの嘘つき、弟を殺したんだ!」って。
いや、今思うと妥当だった気もするけど、当時は言い切った後にすごく後悔したんですよほんと。
そんなこと言うもんじゃない?あはは、ごめんなさい。やな空気にしちゃいましたね。
話に戻ります。それで、お母さんもうつむいてごめんねって言うんです。その時は私の方がひどいことを言ったと思っていたから、何にも言えなくて部屋の隅で丸まっちゃいました。
それからはしばらくは気まずかったです。両親は弟が死ぬ前よりずっと私に優しくなったんですけどそれがかえってチクチクしました。
お母さんがね、「あなたは元気に、可愛い素敵な子に育ってね」って言うんです。多分心からそう言っていたのに、私はそれを素直に受け取れなかった。ほんとにね、心から言ってたんでしょうに。
毎日ね、生まれてくるはずだった弟のために私が考えた名前を呟いていました。一応お母さんがいないところで。
特に雨の日は、弟にまた会えるんじゃないかって、お母さん達はあれは嘘よって言ってくれるんじゃないかって、そんなふうな気がして何度も何度も呟きました。
でもその度に本当はそんなことありえないんだって思い知らされて、トイレで吐いちゃって。だんだん吐き癖がついて、体重も心配されるくらい減っちゃいました。今はもう、元気モリモリですけれど。
それである雨の日、私はすごい熱を出して家で寝込んでいました。両親がすごく狼狽えて、甲斐甲斐しく看病してきたのを覚えてます。
それで私、朦朧としながらお母さんたちに酷いこと言ったなって、ちゃんと謝らなきゃなって思いました。
でも、口がうまく動かなくて、寝たり起きたりを繰り返して、気がついたら深夜になっていたんです。
両親が私の隣で寝ています。頭がやたらとすっきりしていて、熱が下がっているのがわかりました。
多分両親もどこかで体温を測って気が抜けてしまったんでしょう。
私は、父親の足を跨いで部屋を出ると、暗い廊下を歩いてトイレに向かいました。
廊下の暗闇もすごく澄んだ感覚で感じられて……ほら、風邪が治った直後って普段の健康な時よりも気分がいいじゃないですか。
便座に座った私は、やっぱりやけにはっきりした思考で、弟の名前を呼ぶのはもうやめようって思いました。それで、最後に名前を読んだんです。
そしたら、あ、あ、って。
声です。絞り出したような声。
蛙の声だなって思いました。
私は立ち上がりました。蛙の姿を見ようとしたんです。冷静に、普通に。
えへ、いま思うとおかしいですよね〜、こんなの!……でも、その時はそれで正気でした。
便座の、水の中に、それは浮いています。
小さな、赤っぽい、何か。
私が手の汚れるのも気にしないで持ち上げると、それは頭でした。
丸っこくて、てらてらした膜のようなものがかかった赤ちゃんの頭です。
口のところからごぽっ、と音を立てて水が溢れました。それでまた、あ、あ、あ、って。蛙の声で。
怖くはなかったです。むしろ可愛かったですよ。ほっぺたはぷくぷくしてて、目はまだ開いていなかったけれどなんとなく綺麗なのはわかりました。
ただ頭の形がひしゃげていて、顔も少しへこんでいたんです。
お母さんの言葉が頭の中をよぎりました。
「あなたは元気に、可愛くて素敵な子に育ってね」って。
だから、この子はいらなかったんだろうなぁ。
私は頭をそっと抱きしめると、盛大に嘔吐して、気がつけば朝でした。
目を覚ますと、両親が涙目で私の顔を覗き込んで、よかったぁって言っていました。
その日から弟のこと、全部受け入れたふりをしてるんです。多分それが、一番ひどい罰だから。
あはは、そんな神妙な顔しないでくださいよっ。
一応ね、表面上は仲良し家族ってことで通ってます。こないだもみんなでディズニー行ったんですよ〜。
……でも時々誰もいないところであの子の名前を呼んでしまうんです。あれ以来返事はないですけどね。
……そうだ。いま、呼んでみましょうか?
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